炎上中「#教師のバトン」運動は責任のバトンの押し付け

中沢 良平

文科省が、激減した教員志望者の増加を祈願して、「#教師のバトン」というハッシュタグで教員の皆さんに教員の魅力を伝えてください!というプロジェクトを立案しました。Twitterで教師たちへ呼びかけるようにアナウンスしたのです。

#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】@teachers_baton より

どうなったかというと…

結果は文科省の意図とは真逆で、とうぜん、日ごろの激務を恨んだ教員たちの不平不満がツイートが投稿されつづける結果となりました。ほとんどが不満という分析もあります。

こうなる結果は見えていましたが、なんでこんなことになってしまうのでしょうか。

文科省はある意味不幸な役所だと思います。予算規模は多いかもしれませんが、天下り先は少ないし、現場や市民から恨みも買いやすいです。若手のうちは残業も多いし、給与もそんなに高くはないでしょう。

その少数精鋭で、100万人近くになる教職員をハンドリングしようというのですから、たいしたものです。

統制を強めて自滅した教育行政

近年は、校長のリーダーシップを強めて、文科省の指示が通りやすくしました。その結果、現場での調整機能がなくなり、だからといって校長はいい意味でのリーダーシップは取らず文科省が言ってるからやれとなり、現場の裁量はほぼなくなりました。

だから現場で文句を言う教員はいなくなった(その時代を知るものとしては、上司に楯突くなんて大人気ないなあと思っていましたが)代わりに、文科省も世間の批判の矢面に立つようになってしまいました。ただし、昔の教員は、管理職や教委だけでなく、児童・生徒や保護者、地域社会にまで盾突いてしまったので、世間から信頼を失ってしまったというとても残念な歴史でもあります。

そしてだれも責任を取らなくなった

間に入る教委とて責任は取りたくありません。事務方は「責任を取らないようにするのが優秀な公務員の証」くらいの確信をもっています。

文科省に言われたから、議会に言われたから、というエクスキューズは常に手放しません。とうぜん議会では東大を卒業していなくてもいきおい東大話法(東京大学の教授によると、東京大学の学生、教員、卒業生たちが往々にして使う「欺瞞的で傍観者的」な話法だそうです)になります。

教員も教員で

教員も教員で、文科省がいかに財務省と戦って、国庫負担を減らさせないようにがんばっているか知りません。(それが文科省の権益の源泉とはいえ)

教員の給与は他の地方公務員と比べて特出しています。

教員は教育調整費の4%上乗せで残業させ放題という識者もいますが、教員の給与体系はそもそも一般地方公務員とはまったくちがいます。

もし国庫負担が削られて自治体に権限移譲となれば、一般公務員よりちょっとだけ高い給与になるだけでしょう。

文科相は、組合よりよっぽど給料の維持にがんばっているのに、そんな親の心は子知らずなのです。(省益のためとはいえ、主観的にはおれたちががんばって給与維持してるのに、と思っていることでしょう)

なぜお花畑になるのか

文科省の人にしてみれば、こんなにがんばっているのに、なんで嫌われるんだろうと思っていることでしょう。

指揮系統を作れば、思うように動くと思ってた面があると思います。

その上で、とうぜん文科省の近くにいる人は、大学教授や教員でも、文科省に賛意を持っている人たちです。

そんな人たちに囲まれていたら、判断の目も曇ることでしょう。

#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】@teachers_baton より

それにおそらくこのプロジェクトの責任者はいません。起案した担当者という意味ではいますが、責任を取る人はいないはずです。そんなふわふわした意思決定を経て出てきたのが、この#教師のバトンプロジェクトなのではないでしょうか。しかも、プロジェクト応援団という賛同者が59人もいて、ここにも責任の所在をもやもやさせるなにかがあります。

おそらく、同じような#〇〇のバトンプロジェクトが立ち上がっても、地方公務員や民間企業の人たちなら、経営層が丸投げしても、こんなネガティブなことは書き連ねなかったと思います。

なんでこんなことになっちゃうのでしょうか。

中長期的には、財源も地方に移管されていくと思われます。文科省に文句が言えたころはよかったなあと思う時代が来るかもしれません。