オリンピック後も少子高齢化はつづくことを忘れてはならない

河合雅司著「コロナ後を生きる逆転戦略 縮小ニッポンで勝つための30カ条 (文春新書)」を読んで、縮小していくニッポンという現実を考えさせられました。河合氏は「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること 」のように、人口減社会をコンパクトにまとめて伝えてくれる労作が多いです。

Tomwang112/iStock

オリンピック批判は多いですが、見ていると気分が高揚します。自国の選手が活躍していると希望も湧いてきます。

けれども、オリンピックが終わったらどうなるのでしょう。私たち庶民の生活は、困難さが顕在化してくるのではないでしょうか。

人手不足もさらに加速します。

公共インフラをメンテナンスしている技術者も、高齢化が進む一方で若年層の人材が補充されていません。

たとえば、電気主任技術者を見ると、50歳以上が57%を占めており、最も多い層は60~69歳である。このままでは2030年代に熟練技術者の大量退職が避けられない。(経産省「電気施設等の保安規制の合理化検討に係る調査」)

けれども、これはあらゆる業界で言えることではないでしょうか。現業職の地位を蔑みつづけ、ホワイトカラーになることが勝ち組だという風潮が、若者の就労意欲を奪いつづけてきました。ITをふくめ、あらゆる業界がゼネコン化して、こうして公共インフラすら維持できない国になり果てようとしています。

そして、非正規労働者として氷河期世代の人たちが50代になろうとしています。健康を害して働けなくなった彼らの保障はだれが見るのでしょうか。河合氏はとても手厳しい評価を下しています。

子供を作って未来を託そう、という希望を持てなくなってしまうのは当然だ。第三次ベビーブームが起こらなかったのは、そのためだ。そうやって、数十年先のマーケットがさらに縮んでいく種を、産業界と企業経営者は自ら蒔いてきたのだ。

また、便利な社会はもうあきらめようと言います。

(コンビニの24時間営業や宅配サービスのような)「便利さ」の維持には多くの”若い労働力”を必要とするが、日本社会はこれからその”若い労働力”をどんどん失っていくのである。

年金世帯は、自身の現役時代のようなサービスレベルを、これからの労働者に求めるのは不可能になるのでしょう。

民間サービスだけでなく公共サービスもコストを下げないと、その持続可能性は著しく低くなります。

地方自治体にとって最も痛いのが、住民の高齢化による税収の大幅減である。・・・集住しないと行政サービスが成り立たない。少子高齢化や人口減少問題は、家族を始め、地域にサービスの支え手となる住民がいないことが課題なのだ。

都市を集約することは、住民の権利を侵害していると主張する余裕はもはや日本にはありません。

ではそのためにはどうすればいいか。たとえば、個々人としては各年代で以下のような戦略を取るように勧めています。

  • 40代―セカンドキャリアに必要なことを仕込める最後の10年だ
  • 50代―少なくとも人生のプラスマイナスをゼロにしておこう
  • 60代―戦略的に生活コストを削っていこう

あまり明るくありません。

けれども、こういったことを考えられる余裕のある人は、かなり恵まれているかもしれません。

サラリーマンは遠くない将来、定年が70歳まで延長されるでしょう。けれども生涯賃金はかなりのダウンが見込まれるのではないでしょうか。

河合氏は、コロナ禍が積年の課題を前倒しにしただけだと言います。未来は明確にわかっています。あとは備えるか、備えないか、自己防衛だけのようです。