「学歴中心から経験中心の履歴書で格差解消」はありではないだろうか

起業家の平原依文さんの「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」という主張が半年以上経って炎上したが、その理由が今ひとつぴんとこなかった。

ちょっと調べたら、彼女の「経験」は「親の財力によって成せたもの」であり「格差を拡大させてしまうのではないか」ととらえられたことで炎上したことがわかったが、ちょっとひっかかるところがあった。

平原依文さんはこう述べている。

「人を評価する判断基準は学歴ではなく、その人個人が持つ唯一無二の経験。いつからでも、自分の頑張り次第で結果も生み出せて、収入格差がなくなると思います。」

このロジックに「それはちがうな」と首を横に振ってしまう人もいるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。

「経験は唯一無二のものだ。だから経験を重視しよう」という発想は、「あり」である。

とりあえず、教育論・格差論的文脈では物議をかもす発想だろうが、長い目でみれば、むしろ「正しい」選択であると私は思う。

なぜか。

そもそも、「学歴重視」だろうが「経験重視」だろうが、面接だけで終身雇用の契約を結ぶというのはかなり無理があるからだ。(実際はもっと複雑で手数をかけているという指摘は置いておく)

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先日、大手企業数社から内定を取った学生と話す機会があった。関西の有名私大の学生だ。内定先は売上が1兆円規模で営業利益が3000億円ちかい優良企業だ。提示された課題の提出と、オンライン面接2回で内定が出たという。

すごいことだと思う。

もちろん、すごいのはその学生だけでなく、この選考過程で終身雇用の内定を出してしまうという肝っ玉の座った採用方針のことだ。

まず、面接で本当のことを言っているかどうか(というか人間性)を判定するのは至難の業だ。

繰り返す。面接で本当のことを言っているかどうか(というか人間性)を見抜くのはプロでも至難の業である。

逆に「盛る」のが下手で落ち続ける生真面目な学生もいる。

だから、ウソのつきようがない、そして努力の跡が確実にわかる「学歴重視」が望ましいというのはもちろんわかる(学歴ロンダリングの話題は置いておく)。

ところで、実社会では、その人物がいくら「キラキラしたこと」を言っていたり、高学歴だったり、一流企業出身だったり、難関資格を持っていたりしたとしても、支払いが遅れたり、契約を簡単に反故にしたりするような相手ならば取引はなるべくすべきではない。その人の評価で大切なのは、「言っていること」よりも、「行動」であり「経験」であろう。

ようするに、新卒・中途を問わず、採用は「年齢不問」の「経験重視」にすべきなのである。

ただし、平原依文さんのいう「経験重視」と、私のいう「経験重視」はちがうものを指しているようだ。平原依文さんのいうそれは、学生が面接でいかに優位になるかのための手段を指すのであろう。だから皆の心がざわついたのではないか。

経験したことがある人ならわかると思うが、転職は基本的に「経験重視」である。その業務に必要な資格を持っていても、「経験」がなければ、本人にとっても業務への対応が難しいものになるはずだ。まして、学歴はそれらよりもあとの点検項目となるであろう。

付言すれば、就職氷河期世代が氷河期世代のままなのは、この「新卒一発面接主義」によるものだ。

経験重視」ならば、現在も不相応な立場に甘んじている氷河期世代の人のかなりの割合の人たちが浮かばれたはずだ。この世代は、「経験」を積んでも、いまだに正式ルートから外れてしまっている人は多い。

平原依文さんには「経験重視」という言葉を履歴書の飾りではなく、もっと根本的な意味で使ってこの問題に切り込んでほしかった(解雇規制も含めてね)。しかし、経済的強者が自分にさらに有利な「経験」を重視しろと前面に押し出したように見えたから批判されたんだろうね。

ただし、日本企業ではすでに「経験重視」の新卒一発面接採用が行われているようだ。時代は平原依文さんや私が考えているより先に進んでいるのかもしれない。