若者はなぜ10年で半分辞めるのか?

ある報道で面白い調査結果を見た。それは「10年で新入社員の半分が退職の意向」についてというものである。

現在は史上最高の売り手市場で、新入社員はかつてなく希望の企業に入社できているはずである。

新入社員の約半数が「10年以内」に退職予定…働き続けない理由に男女で“明確な差”も? 理由を調査した企業に聞いた FNNプライムオンライン

しかし、それで新入社員たちは満足しているように思えない。

というのは、人間は自分の評価を客観的に認識することはできないようになっているからだ。自分の恵まれた境遇を、恵まれていないと倒錯させたほうが、本人にとって快適であるような心の動きが人間の中には存在する。

私たちは「じぶんは優れている」という承認欲求を抱え込んで生きている。

社会的生き物である人間にどうしてそんな本姓が備わってしまったのかわからないが、そのような本性が備わっている以上、私たちはその本性と適度な距離感を保って生きていかなくてはならない。

しかし、現在は中堅社員となっている氷河期世代・就職難の時代の先輩より今の若者たちは「恵まれていてラッキー」と客観的に思ったりするだろうか。

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そこでマイナビが「10年で半分が退職の意向」について、新入社員に聞いたという。多少バイアスがかかっている気もしなくもないが、だいたいそんなものなのだろう。

2006年の城繁幸による「若者はなぜ3年で辞めるのか?」は、3年で3割の退職する若手社員の姿を追い、衝撃をもって受け取られていた。それからしばらくたった現時点で5割の新入社員が就社早々に転職を視野に入れているというのはさほど不思議ではない。

[城 繁幸]の若者はなぜ3年で辞めるのか?~年功序列が奪う日本の未来~ (光文社新書)

新入社員がこのような認識となっているのならば、今までどおりのマネジメントは効かなくなってくるであろう。職務上知り得た秘密は墓場まで持っていくということはもはや期待しないほうがいいのかもしれない。SNSで社内の内情を醸される昨今、就活の面接官たちもすでに就活生を腫れ物に触るように扱っている。

一方で、今の若者はまた違った価値観を持っているようだ。金間大介の「先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち」による令和の若者像の分析はなかなかに衝撃的である。皆の前でほめられたくないし、悪目立ちもしたくないし、埋もれていたい。でも、経済的にも精神的にも安定はほしい。

私たちは現実を直視することはできない生き物である。それは自分の客観的な評価を遮ってしまう。こと、ビジネスに関しては致命的である。転職は「キャリアの断絶」にも結びつく。転職は悪夢の具体的なかたちにもなりうる。客観視できない度し難い生き物なのだから、率直に認めよう。

転職したら、どういうふうにキャリアが拓けて、人生が好転するのか、ということについてあたう限りの想像力を駆使し、それを繰り返し、繰り返し図象化し、物語化して若者は胸が締め付けられると同時に、胸ときめく思いも味わってきた。

そして、「転職したら今まで積み上げてきたものが灰燼に帰する」という恐怖によって思いとどまってきた。

そうやって会社に縛り付けてきたと私そんなふうに考えている。

「転職したい」と思っていたら、転職エージェントが現れて転職を進められた、というときに人間はもっとも転職したいという欲望が亢進しており、その欲望を満たそうと意気揚々と転職をしてみたら、急速に新しい現状に失望する。

だから、転職による欲望の亢進とその充足が同時に経験されることは理屈の上ではあり得ない。

それでも、この先も「若者」は転職への欲望は手放さないだろう。それは自分に適した職場に就くためではなく、自分に適した職場があるはずだという思いに駆動される「人間の本性」のようなものであろう。

しかし、こういった若手もやがて、中堅・ベテランとなっていく。10年後、転職をする人もいれば、そのまま居続ける人もいるだろう。

どんな社員になるのであろうか。

10年前の新入社員も、氷河期世代の新入社員も、同じ期間を社会人として働いてきたにも関わらず、もはや同期や同級という以外に共通点がないと言っていいほど、別世界の人材となってしまっていた。その当時の若手ビジネスマンたちも、もはや年功序列も終身雇用も見通しのない時代だということをよく理解し、行動していた。

その10年後に日本企業がどういった組織になっているのか、今から気になるのである。