学校のゾンビ退治(3)漢文とその害悪について --- 山城 良雄

2014年05月21日 10:26

大学では新学期が始まり新入生の品定めが一通り終わったところや。今年、医学部で面白い話がある。6年後の国家試験の合格率は、地方大学や私立大学の合格率が大上昇するという予想や。

国立大に行くには、ほとんどの場合、センター試験が必須になる。特に、旧帝大をはじめ難関とされている都市部の国立大医学部に合格するには、90%近い得点が必要になる。つまり苦手科目があると致命傷になりかねん。


今年のセンター試験。やたらと古文が難しかったという、そのせいで、英数理で大暴れをする猛者が枕を並べて討ち死にしている。連中のうち、「どうしても、今すぐ医学部に行きたい」という層が地方大や私学に流れた。地頭があるのやから国家試験は期待できるというわけや。

以前には、漢文で同じ事がおこったらしい。勝負事で負けてからルールに文句を言っても仕方ないが、古文はともかく、漢文の出来不出来が医者の適性にどれだけ関係しているか大いに疑問やと、漢方薬嫌いのワシとしては思う。

ただし、こういう議論はきりが無い。物理学科に地理歴史はいらんとか、数学の苦手なやつは国文学はできないのかとか、我田引水ならぬ彼田脱水の泥仕合は避けたいと思う。そやけど、ものには限度がある。はっきり言おう。いくらなんでも漢文は下らなさ過ぎる。国公立大学志願者全員に強制するようなシロモノやない。

漢文批判にはコンテンツ批判とスキル批判の両面がある。まずコンテンツ論から行こう。漢文で扱う文章は、基本的には史学(歴史書など)、哲学、文学(漢詩など)の3分野や。

史学と哲学は歴史や倫社と完全に重複している。それでもやるなら、はるかに大きな影響を現代文化に与えている聖書や近現代史より重視する理由を説明してもらいたいもんや。

では、漢詩はどうか。そもそも学校教育が特定の芸術作品を支持して良いのかとか、なんでシナ文学なのかとかのヤボは言わんけど、冷静に見ればこれほど奇妙なものはない。外国語の芸術作品を、発音や語順を無視して強引に自国語で読んでしまって、「さあ感動せえ」はないやろ。

勝手に倭人に訓読されて白楽天は泣いておるぞ。李白の許可はとったのか。もし著作権があったら一発でアウトや(今の日中関係ではギャグとは言い切れん)。そのくせ、訓読すれば消滅する平仄や韻へのこだわりも捨てきれてない。わけがわからんがな。

次にスキル論。漢文の読解には次の3つのステップがある。まず、漢字だけの白文に、読む順番を指示した訓点(返り点や一二点など)や送る仮名をつける。次に、それを訓読した形の文章、書き下し文に直す。最後に内容を現代語訳にする。

確かに、シナ語の文献を簡便に理解する技術として、漢文訓読は高度に実用的かつユニークやったと思う。現代シナ語の文献の大意を読む技術としてなら一定の評価も出来るが、指導要領【文部科学省】にも、そんな発想はミジンもない。

この方向を高校の漢文教育に導入しようとしているセンセを見たことが無い。機械翻訳なんぞと組み合わせて上手に伸ばせば、面白い技術になると思うが、こういう発想が学界から出てこんところを見ると、あまり漢文を学ぶと発想の柔軟性を損なうのではないかと邪推したくなるで。

将来、実用上白文を読む機会があるのは、センター試験を受けた50万人のうち0.1%もおらんやろ。実際、指導要領【文部科学省】でも、「漢文については訓点を付け、時には書き下し文を用いるなど理解しやすいようにする。」となっている。つまり、現代の漢文教育は、訓点をつけた漢文を読む技術の習得だけということや。

ちなみに、白文や書き下し文はJISでもユニコードでも、かなり対応できるが、訓点や送り仮名は専用規格がいる。これを開発しろとワープロメーカーにねじ込んだ漢文のセンセがおったらしいが、ワシは大いにこれを評価したい。

どうせ訓点を付けるなら、書き下しまでやってしまったらええ。古文の一分野に吸収し、平家物語なんぞの漢文訓読体との関連で教えた方が、「日本文化と中国文化の関連」という指導要領の主旨にはよっぽど合うやろ。

さて、害悪の話をしよう。よく漢文のメリットに造語能力が増えるというのがある。たとえば、「朝鮮民主主義人民共和国」。「朝鮮」以外の「民主」「主義」「人民」「共和国」は全て近代日本人が作った言葉や。世界一の反日国が国号に使うぐらいやから、いかにフィットした熟語かよく分かる。

実は、ワシもこの記事で造語をしている。「彼田脱水」や。激怒して反論を考えてはる漢文のセンセ方は、下線を引くか訓点を付けたりしてはると思う。御苦労ハン。ググった限りでは他に用例はなく山城熟語。直前に「我田引水」があることもあって、「他人のリソースの奪い合い」という意味は伝わると思う。確かに便利やけど、こういうやり方は危険な部分がある。

例を挙げよう「性奴隷」や。「性奴隷急募、寮・託児所完備」とか「SDR48」とか見たことが無い。アジア・太平洋戦争史専門の新語や。こういうのは定義をはっきりさせておかんと、中嶋よしふみハンのおっしゃるバズワードになる。簡単に言えば誤解の元や。

性奴隷は英語の「sex slave」の訳語やが、もともと2語に分かれていたものを、「性的な奴隷労働者」とせずに、何でひとつの漢語にしたんやろか。拉致されたか、生まれながらの娼婦、5歳のときから鉄のタンポンで鍛え上げました(待ってました下ネタ!)というイメージになりかねん。「奴隷」の定義が一定せんからや。

一方、「従軍慰安婦」というのも、後付けの言葉。「慰安」と表現をボカシているので、当時の隠語風に見える点でタチが悪い。もっと問題なのは、「従軍」の定義や。「行軍について歩いた」の意味なのか、「軍と雇用関係にあった」という意味なのか、定義が全くわからん。従軍記者と従軍看護婦では「従軍」の意味が全く異なる。これに、中・韓・日の漢字感覚の違いも加わって、不毛の誤解が拡散する。

新熟語は、動脈・神経・関数のような専門用語以外、よほど意図的に定義をしておかんと、トラブルの温床になりかねん。微妙な言葉のニュアンスが大事な現代社会では、漢文系の造語文化には大きな危険があると言いたい。

もうひとつ、漢文教育の害悪は「翻訳とは訓読」という発想が無意識のうちに蔓延することや。「I love you.」を「わたし 好き 君」としてから、語順を変えて「わたし(は)君(が)好き(です)」としていく発想や。日本人の外国語学習の効率が悪い原因のひとつと言われている。

洗練された邪道と言える漢文訓読文化は、意図的に封印すべき時期に来ていると思う。

今日はこれぐらいにしといたるわ。

帰ってきたサイエンティスト
山城 良雄

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