リスク分析は「不安の海の羅針盤」-原子力対応への提言

2015年07月03日 00:01

石井孝明
経済ジャーナリスト

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(写真)東日本大震災・福島原発事故直後に避難所になった、郡山市の「ふくしまビッグパレット」。混乱は必要なものだったのか。

なぜ無駄な混乱が生まれたのか

おかしなことが、日本で進行している。福島原発事故では、放射能が原因で健康被害はこれまで確認されていないし、これからもないだろう。それなのに過剰な放射線防護対策が続いているのだ。

健康被害をめぐるパニック、デマによって社会が混乱した。(参考・筆者記事「デマ拡散者は何をしたか-福島への呪いを解く」)その結果として、賠償を含む事故対策費用の国・東電による総額11兆円の支出(今年3月まで)が発生し、そして避難者の中からストレスなどによる健康悪化で「災害関連死」として1800人以上の方が亡くなった。また原発の停止によって代替燃料費が14年までに累計で推定約12兆円も国外に流失し、電力料金が各地で2-3割上昇した。

「健康被害はない」という前提に立って政策を組み立てれば、この巨額の費用も、死者も、混乱も少なかったであろう。筆者には福島原発事故を矮小化する意図はないが、被害の実態に比べて騒動の大きさは異常だ。

後世の歴史家は、リスク評価をめぐって生じたこの無駄な混乱について、愚かしいというはずだ。しかし、混乱をもたらした政治家、官僚、そして恐怖を煽った一般人たちは何も反省していない。このままでは、大規模災害でまた同じ失敗を繰り返すだろう。

筆者は、この騒動をきっかけに、「リスク」をどのように適切に認識するかという問題を考えている。

「リスク」の意味と社会への反映方法

「リスク」とは、国語辞典の大辞林(三省堂)によれば「損害を受ける可能性」という。訳語がなく英語をそのまま使っていることから、昔から日本人にはなじみがなかった考え方なのだろう。

この言葉には2つの要素がある。「損害を受ける」つまり起こる災害から私たち個人や社会の被る被害の程度や影響を考えること。そしてその事象が発生する「確率」
を考えるということだ。教科書的には、「リスク=ハザード×確率」と表現される。

「損害を受ける」ことの分析では、出来事の連関、つまり何が起きたら次に何が起きるということを、順番に考えることが必要だ。ちなみに多くのリスク分析では、「フォールトツリー」という樹形図が作られる。

原子力事故なら「人命を守る」ということを最大の目標にして、何が起きるのかを考えていく。参考として、原子力安全対策の考察で使われるフォールトツリーの図の一部を示す。(三菱重工ホームページより)そしてこの事象ごとの発生可能性を考え、総合的な評価をしていく。

図1・フォールトツリーの一例

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リスク評価は「不安の海の羅針盤」

こうしたリスクの分析はどのように役立つのか。どのような場面でも、私たちの安全を確保するための思考法であると筆者は思う。工学者の中西準子先生はリスク分析を「不安の海の羅針盤」と形容し、自著の題名とした。適切な例えだと思う。

ある出来事や物質に対して、誰もが「どの程度安全か」という不安を持つ。それは「どれ程度リスクがあるか」という考えの裏返しだ。リスクを分析することで、どのように安全に暮らすか、そして究極的には何よりも大切な命を守ることにつながる。

何かをする場合に「リスクゼロ」はありえない。私たちが安全を確保するためには、ある行為に伴ってリスクはどの程度あるのかを考え、そこから得られる便益とリスクを把握し、便益を最大化する一方でリスクをできるだけ低くしていくことが必要だ。リスクはもちろん一つではない。他の事象との比較、調整をしなければならない。

前述の福島事故後の政策では、放射能による健康被害のリスクをゼロにしようという動きが強すぎた。その結果、社会混乱、経済損失、避難者の健康悪化など、さまざまな他のリスクを高めてしまった。リスクの比較を冷静になぜできなかったかが、悔やまれる。

リスク分析の原子力規制への反映

日本では原子力規制でも反映が試みられた。原子力安全委員会は2003年に、原子力事故で一般人の日常生活での事故リスクよりもはるかに小さい安全目標を原子力規制の目標にしようと、案を出した。(図2、下記パンフレット)1年間の日本人の人生では、不慮の事故による死亡率は1万分の3だが、原発事故では100万分の1以下にしようとするものだ。

さらに機器・設備などのハード面からの分析(「決定論的安全評価」)に加え、リスクを洗い出していく「確率論的安全評価」(PSA:Probabilistic Safety Assessment)を併用する構想を示していた。米国ではリスク分析は、社会のさまざまな産業で行われており、原子力規制の分野でもすでに取り入れられている。

図2・安全目標案の提示

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しかし2004年の東電の原子力虚偽報告事件、新潟中越沖地震、そして福島原発事故と原子力関係の問題が次々と浮上。また2012年に原子力安全委員会が解体され、PSAの導入の本格的な取り組みは立ち消えになった。福島事故の反省の上につくられた原子力規制委員会は11年の発足直後にPSA評価を導入するとしながら、後述するように実際には積極的に使わず、行き当たりばったりで規制行政を行っている。

日本人にはなじまない「確率」の話

こうしたリスクの考えは、日本人になかなかなじまないようだ。また福島事故が起こってしまった今となっては、「100万分の1の可能性」などと言われても、違和感を感じてしまう。

福島事故は、事前に損害を予想する分析で「津波による全電源喪失」という想定を入れていなかった。想定に欠陥があれば、リスク分析も成り立たないことができることの好例だ。

しかし失敗があっても、原子力の規制、または活用で、この考え方が無駄であるとは意味しない。

こうしたリスク分析によって、分析の過程が透明になり、共通の「ものさし」をつくることができる。何で間違えたのかも分かりやすくなる。確率で問題が語られれば、科学的合理性、整合性も向上していく。また事象のリスクを比較することで、より危険な問題に対策を集中させ、事業者にも、規制当局にも、手間や金銭、労力のコストを減らせる。

原子力安全委員会の資料に、次のような例が記されている。スウェーデンの原子力発電所では、冷却系統の溶接のひびを検査する頻度について、リスク情報を踏まえて見直した。ひびによる冷却水漏れが発生する確率と炉心が損傷する可能性を検討した。当然ながら、同じ配管でも場所によって破損リスクはまちまち。その前は一律の検査をしていた。

そして損傷可能性リスクが相対的に高い部位、つまり高温でひびが懸念される箇所の検査頻度を高くすると同時に、リスクが相対的に低い部位の検査頻度を低くした。すると、炉心損傷が発生する可能性を4分の1に低減でき、また検査工程や点数を効率化でき、また検査に係る従事者の被ばく低減にもつながったという。こうした応用は他の産業でもできるだろう。

「安全神話」「リスクゼロ論」のばかばかしさ

またリスク分析の発想に基づけば、日本の原子力をめぐる議論で、おかしなものが多いことに気づく。

福島事故前には政府は「原発は安全だ」と強調した。ネット放送などによると、シンクタンク独立総合研究所社長の青山繁晴氏が国会の参考人質疑で安全保障の専門家として「原子炉の電源喪失の可能性」を指摘したところ、電力組合出身の当時野党だった民主党議員から「事故など起こらない」と抗議が来たという。こうした「事故は起こらないと信じれば起こらない」という「安全神話」のおかげで、福島事故は、政府、当時の与党の民主党とも大混乱を起こした。

逆に福島事故後の原子力をめぐる世論も、規制の話も、おかしい。筆者は原子力問題の国会審議を聞いている。そこに頻繁に登場する民主党の辻元清美議員の質問について、アジテーターとしては凄いと思うが、内容の稚拙さにうんざりしている。彼女は火山が爆発したら、または地震で原子炉が壊れたら、「どうするんですか」と繰り返す。そこには損害の精査も、確率の分析もない。感情に基づき「ゼロリスク」を求めているのだ。

リスクの考えが、社会に定着していれば安全神話とゼロリスク論について、言う方も、聞く方もおかしいと気づくはずだ。

「ゴジラ」規制を要求しかねない規制行政

そして今の原子力規制では、行政機関がリスクをめぐりおかしな規制を行っている。「笑えない笑い話」を紹介してみよう。現在原子力規制委員会・規制庁が全国の原子炉について、新安全基準の適合性審査を行っている。その現場では、審査官が思いつきで安全設備を要求しているそうだ。現場は混乱し、審査は長期化している。

新安全基準では、竜巻対策の規定が新設された。ところが明確に統一基準が決まっていない。規制庁側はある会社の原子炉の審査で竜巻対策を求めたが「どのようなリスクが想定されるか」と示さなかった。そのために同社は、その地域で発生したことのない日本最大級の竜巻を想定した大規模工事を行い、主要設備にワイヤーをくくり、防護ネットをつけた頑丈なものにした。すると規制委・規制庁の審査をパスした。

この会社のほとんどの人は不要な設備と思っているのに、再稼動を早くしたいために規制庁のおかしな言い分をそのまま聞いたという。この費用は利用者に回され、再稼動は遅れる。

この話を明かしたある工学者は、映画『ゴジラ』シリーズで怪獣ゴジラが核物質を食べるために原子炉を襲う場面があることから「可能性があるといって、規制委員会は今度「ゴジラ対策」を要求するんじゃないか」と、おかしさを悲しげに笑っていた。

各原子力発電所の原子炉は今、関係者から「ゴテゴテプラント」と呼ばれている。上記のように装備を大量に付けたために構造が複雑になり、災害時の対応が手間がかかりリスクが高まっている可能性があるという。規制の目標がないために、またリスクの分析がないために、行き当たりばったりの規制が行われている。これは原子力の安全からも憂慮すべき事態だ。

リスク分析が広がらない社会の転換を

原子力をめぐっては、規制でも福島事故対応でも、またその活用法でも、感情的な議論ばかりが目立つ。もちろん辻元議員のような人が世の中から消えることはないだろう。しかし、せめてこの問題をまじめに考える人、そしてエネルギー問題にかかわる人々、政治家、行政官は、リスクというものに配慮して問題に向き合ってほしい。

しかし、私たち日本人は感覚的な対応を好む。中国と北朝鮮の侵略リスクの高まる安全保障問題においても、破綻リスクが高まっている年金・財政においても問題解決は放置され、原子力問題と同じような「笑えない笑い話」だらけだ。

リスク分析の発想が日本社会に定着するのには、長い時間がかかるかもしれない。

参考文献
リスク情報の活用とリスクコミュニケーション(原子力安全委員会パンフレット
中西準子「環境リスク学-不安の海の羅針盤」(日本評論社)

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