中国で「母親節(母の日)」に感じたこと

2017年05月15日 11:30

中国でも母の日(母親節)を祝う。花を贈ったり、遠方にいれば電話をかけたり、あるいは携帯のチャットでメッセージを送る。改革開放後、西洋から入った記念日だが、もともと家族の情を重んじる国柄なので、習慣が広まるのは早い。贈る花はやはりカーネーションが多いが、バラもある。母親のほか、祖母が育児にかかわることも多いので、子どもは母親と祖母の二人に渡すことになる。

バレンタインデーのバラは値段が平常時の3~4倍の跳ね上がり、弱みを握られた男性の懐から暴利をかすめ取るが、さすがに母の日は、そこまであくどい商売はしない。子どもたちも、「花屋にも良心があるのか」などとささやき合っている。

今日、女子学生数人とお茶を飲んでいて、面白い話題になった。

「母の日に母親の偉大さをたたえることは、女性を抑圧することになるのかどうか」

ネットでも議論がされていた。母親の偉大さは、すなわち子育てでの評価を意味する。行きつくところは、女性に結婚、出産を強い、家庭に閉じ込めるのではないか、という懸念にたどりつく。女性の人生の選択はもっと自由であるべきで、「母親」の役割にのみ限定されるべきではない。

これに対する反論もある。

もし自由選択の結果、家庭の主婦になることを選んだのであれば、ことさら目くじらを立てる必要はないではないか。母親を偉大だと言えないのならば、どんな女性が偉大なのか。世界人民の闘争のために立ち上がる女性こそ偉大だとでも言うのか。多様さこそ重要なのではないか。

昨今、メディアにおける女性への性差別をめぐる声がしばしば聞かれる。新聞学部は学生の7割を女子が占めるので、授業の自由研究でもこうしたテーマを選ぶケースが目立つ。彼女たちの問題提起は、

--「女子大生」や「美女」といったステレオタイプの見出しで人の目を引くようなニュースが多い
--女性を弱者だと決めつける偏見で記事を書いている
--適齢期を過ぎた未婚女性を「剰女(余った女性)」と呼ぶのは、個人の自由を尊重していない

などなどである。

私から見れば、中国女性は日本女性よりもはるかに強く、たくましいと思うので、そんなむきにならなくてもよいではないかと思ってしまう。社会主義の男女平等理念によって、社会進出も日本よりはるかに進んでいる。都市部では共稼ぎが当たり前で、女性は経済的に独立し、家事も分業されている。父親の料理で育った子どもたちも少なくない。人件費が安く、家政婦を雇うことも一般的だ。さらに子育ては両家の祖父母が力を貸してくれるので、負担は少ない。育児の支援態勢は、日本よりも恵まれている。

確かに農村ではなお、跡取りの男児を重んじる男尊女卑の風潮がなお強い。だが、かつて、女性が足の成長を止める纏足を強いられ、生活の自由を奪われていた時代を思えば雲泥の差だ。この間にはもちろん、五四運動の文化的側面を担った胡適や魯迅らが、女性の覚醒を求める主張を展開した功績も大きい。

中国女性の苦悩もわからないではない。女性の学歴が高いので、釣り合いのとれた結婚相手を探すのが困難だ。本人はまったく慌てていない。ふさわしくない相手と結婚しても不幸になるだけだと考える。だが、適齢期を過ぎれば、周囲からはうるさく言われるのでうっとうしい。社会の急速な変化によって、伝統的な結婚観、家族観とのギャップに悩まされる。

社会進出が進んでいるとは言っても、主要ポストは男性が独占している。政治の世界にそれが顕著だ。中国共産党の最高指導機関である中央委員会は205人の委員で構成されるが、うち女性は10人。そこから選ばれた政治局員25人のうち女性はたった2人。トップの常務委員7人はすべて男性だ。こうした幹部たちがメディアを統制し、経済を牛耳っているのだから、女性が不満を持つのもやむを得ない。

だが、母の日である。あまり堅苦しいことは考えず、生んでくれたこと、育ててくれたことに、素直に感謝する日にしたい。相手が天国にいても、感謝の気持ちが伝わることを願いつつ。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年5月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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