天皇は正当に解釈されているか?

2019年04月15日 06:00

天皇への消極的否定的解釈

憲法学者の芦部信喜氏によると、天皇は「国の象徴たる役割以外の役割をもたない」(1)と言う。

芦部氏の著作は現在でも司法試験・公務員試験受験者にとって必読書であり、氏の影響力は絶大である。立憲民主党会派所属参議院議員である小西洋之氏は安倍首相が芦部氏の存在知らないという事実をもって、安倍首相を批判したほどである

この芦部氏が示した「国の象徴たる役割以外の役割をもたない」という表現は明らかに天皇を消極的否定的に解釈するものである。しかし、これは天皇を正確に解釈したものと言えるだろうか。もちろん「否」であり芦部氏の政治的価値判断が含まれている。

天皇について語るときに「天皇とは憲法1条に明記された存在である」という説明だけで満足するものはいないだろう

天皇は1,000年以上の歴史があり実際「天皇とは何か」という言説は憲法に限らず政治・歴史・文化と言った様々な文脈から語られている。

天皇と憲法の関係について言えば天皇は憲法に明記されているから存在しているのではなく天皇が存在しているから憲法に明記されている存在に他ならない。

天皇は憲法制定前から存在していた。だから憲法に明記したのである。我々はこのことを忘れてはないだろうか。

天皇制度が継続したからこそ戦後日本は安定化した

日本国憲法に署名する昭和天皇(Wikipedia:編集部)

戦後日本では「天皇主権から国民主権への転換」が強調され、それは「8月革命」と紹介されるが、1945年8月時点に「革命」と呼べる事態がなかったのは明らかである。

君主制を否定しない「革命」とはそもそも「革命」とは呼べないし終戦直後にそんな余裕はなかった。

「天皇主権から国民主権への転換」もっと言えば天皇の力を削いだことが戦後日本を形成したと評価されることが多い。

一方で戦後日本は天皇制度が継続したからこそ成立したという評価もできるだろう。

もしGHQ主導の占領改革で天皇制度を廃止していたら政治的混乱は極地に達し日本ではGHQを相手とした「内戦」が起きていただろう。もちろんその場合でも日本は勝てないし日本人もGHQ派と反GHQ派に分かれ血で血を洗う闘いをして国内に回復困難な分断を招いたに違いない。安易な天皇制度の廃止を避け、天皇を国家元首から象徴に転換させたとはいえ天皇制度を継続したからこそ戦後日本は安定化し平和と繁栄を実現出来たのである。

儀礼的形式的存在では無意味・無内容か 

戦後の憲法学者の圧倒的多数派は天皇の存在を強調すること自体、国民主権を脅かすものだと考えた。

彼(女)らの「本音」は天皇制度の廃止であるが、日本国憲法の天皇条項の削除の改憲は国民的多数派になるのは極めて困難であるから、やむを得ず天皇の存在を認めたうえで天皇の存在をなるべく無化するよう努めた。その結果が「国の象徴たる役割以外の役割をもたない」という解釈である。また天皇の無意味・無内容性を強調するためにその儀礼性・形式性も強調された。

我々はある物が「儀礼」とか「形式」と評価されると、それが無意味、無内容なものと安易に評価していないだろうか。「儀礼・形式=傀儡」という思考が強くないだろうか。

しかし儀礼や形式が本当に無意味・無内容ならば、そもそもその存在は肯定されない。

「儀礼」「形式」にも意味があるからこそ存在しているのである。

「天皇は儀礼的形式的存在である、だから象徴に過ぎない」という思考は憲法学者に毒されたものである。

では天皇が儀礼的形式的存在であることになんの意味があるのだろうか。

ここで確認しておかなければ「天皇の歴史」である。天皇は憲法制定前から存在しており、天皇は摂関家・幕府と言った歴代政権に対して、その「正統性」を付与してきた。

摂政・関白・征夷代将軍も天皇の存在を前提にしたものである。

戦後日本では「天皇の歴史」というとかなり早くから政治的権力を失い「傀儡」となった事実ばかりが強調されがちだが、一方で天皇を超える権威は結局のところ誕生しなかったことが忘れられている。

歴史的に見ても天皇は日本の国家制度に関与してきた。日本国憲法制定前までは天皇は日本の権力の正統性の淵源だったのである。憲法に天皇が明記されている理由もこの文脈で理解した方が正確である。

国民主権の現在、権力の正統性の淵源はもちろん我々国民にあるが、これを根拠に天皇と権力の正統性が無関係になったと解釈するのは早計だろう。

国民主権に反しない範囲ならば天皇がかつてのように権力への正統性の付与に関与することは問題ない。

憲法で明記されているように天皇の行為は「内閣の助言と承認」が必要であるから天皇個人の意思で政治的決定はできない。だから天皇側から国民主権を侵すことは出来ない。

国事行為などの儀礼的形式的行為とは「国の象徴たる役割以外の役割をもたない」存在が他人の視線を気にしながら控えめに行うものではない。

「天皇の歴史」を考えればまさに「権力への正統性の付与」であり、主権者が憲法の手続きに則り決定した事柄(法律の制定等)に正統性を付与するものである。

主権者の政治的決定は天皇の行為を媒介することで「正統」なものであることを確認されると言えよう。

100年に満たない国民主権に1000年を超す歴史を持つ天皇を関係させることは国民主権を補強するものだし天皇に要請されている「国民統合の象徴」として役割とも合致する。

だから儀礼的形式的存在は無意味・無内容ではないし天皇制度と国民主権も対立関係にない。「国の象徴たる役割以外の役割をもたない」という解釈は「天皇の歴史」を参照にしていないし憲法学者に要請されている憲法各条文の整合性・調和を無視したものである。

宮内庁サイト:編集部

天皇・皇族は防御されているか

天皇は「生ある人間」であり各種公務に従事するためにも天皇に対する一定の防御措置は肯定されよう。物理的精神的保護が求められ、喫緊の課題は精神的保護である。具体的には天皇個人に対する名誉棄損、侮辱からの防御である。また天皇の精神的安定には親族たる皇族による支援・協力も不可欠であるから皇族の防御も必要である。

現行刑法では天皇と一部皇族(皇后・太皇太后・皇太后・皇嗣)に対する名誉棄損罪・侮辱罪は内閣総理大臣が代わって告訴することになっているが、天皇・皇族への防御として実際に機能しているとは言い難い。また保護される皇族の範囲も狭すぎである。

内閣総理大臣は激務であり告訴することが困難なことは容易に想像できる。

だから保護される皇族の範囲を適正化したうえで代理として告訴する者を宮内庁長官にするか、あるいは思い切って天皇・皇族に対する名誉棄損罪・侮辱罪は非親告罪とするか、不敬罪のように主従関係を意味しない天皇・皇族に対する名誉毀損・侮辱行為への罰則を新設すべきことも検討すべきではないか。

現行法では憲法で明記すべき存在への防御体制があまりにも脆すぎる。

日本は民主主義国家であり「言論の自由」「思想・信条の自由」が保障されているから天皇制度の廃止は幾らでも議論しても良いが、肝心の天皇個人とそれを支える皇族の防御体制が脆弱ならば天皇制度の議論も著しくバランスを欠いたものになり民主主義国家に期待される議論にならないだろう。

5月1日の新天皇即位までの間、天皇を憲法に明記しなくてはならない理由、そしてそのような天皇が適切に防御されているのかという議論を深めてみてはどうだろうか。

(1)憲法 第五版 芦部信喜 高橋和之 46頁 岩波書店 2011年

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員

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