「神の手」と「見えざる手」の黙示論

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サッカーの元アルゼンチン代表、ディエゴ・マラドーナが25日、死去した。60歳だった。ブラジルの伝説的サッカー界の大御所ペレさん(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)と共にサッカー界が誇るスーパースターだったが、当方などはマラドーナの名前を聞けば、どうしても1986年のメキシコ開催のワールドカップ(W杯)でのマラドーナの「神の手」を思い出す。

具体的には、準々決勝の対イングランド戦でマラドーナがゴール前でゴールキーパーより先にボールに手が触れ、ゴールしたことだ。ゴールはそのまま認められ、その直後「神の手」と呼ばれる伝説が生まれた。名選手には伝説が付きまとうが、マラドーナの「神の手」はその表現の奇抜さもあって彼の生涯に付きまとってきた(ビデオ判定では主審の誤審)。

ここではマラドーナへの追悼コラムを書くつもりはない。テーマは「我々の時代に働く神の手」だ。マラドーナに働いた「神の手」はサッカーのピッチ上だけではない。例えば、18世紀の英国の経済学者アダム・スミスは「国富論」の中で市場主義システムはそれ自身が「自己完結的」と指摘したが、「市場は見えざる手でコントロールされている」という箇所がある(「神の見えざる手…」という表現ば後日、誇張されて伝わっていったといわれている)。

その「見えざる手」はマラドーナに働いた「神の手」と意味する内容は似ている。両者とも事例の動向を左右するが、舞台表には出ず、一見不可視だという点だろう。

ところで、新型コロナウイルスの世界的感染拡大を受け、世界経済は停滞し、マイナス成長に陥る国が増えてきた。本来ならば、財政赤字の削減が国の経済政策の大きな柱だが、そんな綺麗ごとを言っている時ではないとして、「新型コロナ感染から国民経済を守るため」という理由で企業支援をはじめ各種の営業の補助や失業者対策のために天文学的な財政赤字を積み重ね、公的債務は最高レベルに達している。

要するに、コロナの感染拡大で国民経済をもはや「市場の目に見えない手」に委ねておけなくなってきたとして、国家が積極的に経済活動に介入してきているわけだ。一見、「小さな政府」から「大きな政府」への回帰にみえる。

世界から実業家、学者、政治家を招きスイスで毎年開催される通称「ダボス会議」と呼ばれる「世界経済フォーラム」(WEF)は来年の主要テーマを「グレート・リセット」(The Great Reset)と決め、新しい経済システムの構築を考えていくという。

WEF公式サイトによると、「グレート・リセットとは、協力を通じてより公正で持続可能かつレジリエンス(復元力)のある未来のために、経済・社会システムの基盤を構築するというコミットメント」と定義し、その上で「社会の進展が経済の発展に取り残されることのない、人間の尊厳と社会正義を中心として、新しい社会契約が必要だ」と明記している。

既成の経済、社会システムが機能できず、新しい経済システム、社会体制を構築しなければならない状況に対応するために、「株式資本主義」から「ステークホルダー資本主義」への移行を主張する経済学者もいる。「貧富の格差」是正を叫び、地球温暖化の防止を叫ぶ人々には、「グレート・リセット」論を理想社会が実現する時代の到来といった一種の革命前夜のような熱気すら感じる。

ただし、新旧の秩序の移行時、葛藤や混乱が生じやすい。「グレート・リセット」論に対し、労働者の天国を標榜して登場した共産主義の影を感じて警戒する人も少なくない。それは理由なき懸念とはいえない。歴史を見る限り、人類は「グレート・リセット」を成功裏に乗り越えてきたとはいえないからだ。例えば、共産主義社会の台頭に理想社会を描いた人々はその後、失望と絶望を味わっただけではなく、数千万人の命を犠牲にしてきた。

「聖書の世界」でも何度も「グレート・リセット」を迎えたことが記述されている。「ノアの洪水」も「グレート・リセット」だったはずだ。8人のノア家族を残して人類は滅んだ。「第2の天地創造」の時だった。また、エジプトで奴隷生活をしていた60万人のユダヤ民族がモーセに率いられてカナンに向かった「出エジプト」も「グレート・リセット」だったはずだ。

人類最大の「グレート・リセット」といえば、2000年前の「イエスの降臨」だろう。興味深い点は、「ノアの時」、「モーセの時」、そして「イエスの時」も「グレート・リセット」はスムーズには展開できず、多くの犠牲者が出、時代の大変革は延長されてきたことだ。イエスの時では、イエス自身が「悪魔の頭ベルゼブル」と罵倒され、イエスは十字架で亡くなったために、再臨を約束せざるを得なくなった。

参考までに、著名な哲学者ギュンター・アンダースは生前、「原爆の投下はホロコーストと同じく人類最大の非人道的な行為だ」と述べ、広島・長崎への原爆投下を人類歴史にとって「グレート・リセット」だったという認識を示している。

21世紀の「グレート・リセット」が人類の幸福を高め、公平、平等な世界構築へと導く機会となるかは不明だが、マラドーナの死を契機に「神の手」という表現がメディアで話題となり、市場経済をコントロールしてきた「見えざる手」が行き詰まり、新しい世界の構築を求める声が各方面から高まってきている。新型コロナ感染の拡大に苦闘する我々の「時代」が明らかに大きな転換期に遭遇していることを示唆しているわけだ(「『夜の神』の時代がやってくる」2018年8月11日参考)。

「まことに主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」(アモス書3章7節)という聖句が蘇る。時代の移り変わりの時、必ずそれを暗示する何らかの出来事、現象がキャッチできるというのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年11月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。