私はピーター・ドラッカーBOT(@DruckerBOT)さんをフォローしそのツイートを日々目にしていますが、その中で今年の4月中旬、「(ウィンストン・)チャーチルが与えてくれたものこそ、道義の権威、価値への献身、行動への信奉だった」という言葉をリツイートしました。ドラッカー曰く、此の3点こそは正に当時「ヨーロッパが必要とするものだった」ということで、チャーチルを次のように高く評価しています。
一九三〇年代の現実は、完全ともいうべきリーダーシップの欠如だった。(中略)チャーチルが自由世界のリーダーの地位につくまでは、ヒトラーが無謬の存在として闊歩していた。しかしチャーチルが現れるや、ヒトラーの命運も断たれた。(中略)もしチャーチルがいなければ、アメリカもナチスの支配に対し手を出さずに終わったかもしれないことを実感するのは難しい。
第一に道義の権威、これ程ある意味大事なものはないかもしれません。「経営者が為さねばならぬことは学ぶことが出来る。しかし経営者が学び得ないが、どうしても身につけなければならない資質がある。それは天才的な才能ではなくて、実はその人の品性なのである」とは、ドラッカーの言葉です。之は経営者に限った話ではありません。指導者が、ある意味どうしても身に付けねばならないものが此の品性なのです。道義の権威とは、正に品性・品格であります。
第二に価値への献身、社会的に意義ある事柄にどれだけ身を献ぜられるかも物凄く大事な要素です。安岡正篤先生は御著書『知名と立命』の中で、「内面的には良心の安らかな満足、またそれを外に(中略)発しては世のため人のために尽くすということ、これなくしては人間ではない。動物となんら異ならない」と述べておられます。「自靖自献(じせいじけん)…自ら靖 (やす) んじ自ら献ずる」(『書経』)ということで、ひと月前のブログ結語でも指摘した通り、此の「“靖献”は我々の人格生活上に実に適切な一語」だと思います。
第三に行動への信奉、之も何時も言うように知識(…物事を知っているという状況)や、見識(…善悪の判断ができるようになった状態)だけの、「言うだけ番長…言葉ばかりで結果が伴わない人」の類では駄目なのです。見識に勇気ある実行力を備えて初めて之が胆識がある人物ということになるのです。そして自らの言をきちっとやり抜くからこそ、肚が出来た人だと世間から評価されて行くことになるわけです。知行合一的に物事を処理して行く中で、胆識を有するに至って初めて意味ありと言えるのです。
以上、偉大な指導者であったチャーチルが与えたとされる上記3点の全ては、当ブログでも度々ご紹介済みの次の指導者の条件(…私が考える君子の六つの条件)に内包されましょう。それは換言すれば、洋の東西古今を問わず、偉大な思想とは、こういうものだということです――①徳性を高める/②私利私欲を捨て、道義を重んじる/③常に人を愛し、人を敬する心を持つ/④信を貫き、行動を重んじる/⑤世のため人のために大きな志を抱く/⑥世の毀誉褒貶を意に介さず、不断の努力を続ける。
編集部より:この記事は、北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2020年8月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。