背景にある官僚の無謬性

2011年05月02日 16:22

今朝の北村氏の記事には考えさせれられしまった。指摘された例と、それ以外にもに極めて重要な案件であるにも拘わらず、政府の対応が本来あるべきものから大きく逸脱している事例に共通点があるからである。

結論から言えば、今尚、日本を席巻する官僚の無謬性がこの背後にあるという事実である。


東大教授、小佐古内閣官房参与辞任は既に政治問題化している。問題は政府の対応である。

佐藤優氏が指摘する所では枝野官房長官は情報操作されている可能性が高いと言う事である。

官僚は自らの過ちを認めたがらない。小佐古氏に関して、「極端な意見に固執する学者がただでさえ複雑な状況を一層複雑にしています」というような情報操作を、官僚が枝野長官に対して行っているのではないだろうか?

日本国民の生命と健康、特に子供たちの未来に直接かかわる事案だ。官僚的面子に拘っていたら国益(国民益+国家益)を毀損する。

枝野官房長官! 軌道修正は今からでも可能だ。まず、同僚である空本衆議院議員から真相について虚心坦懐に聞くべきではないか。本件でハンドリングを誤ると、多くの国民が枝野官房長官に対して持っている信頼感が根底から崩れかねないと危惧する。(2011年5月1日脱稿)

真偽の精査はこれからであるが、官僚の無謬性を守る為なら官僚はこの適度は朝飯前であろう。仮に佐藤優氏の指摘が正しければ枝野官房長官は政治生命を失うし、民主党は空中分解する事になるだろう。

次に挙げるのは、東電の賠償スキーム案である。ちなみに、私の回りで政府案を支持する者は皆無である。

郷原氏の語る東電の将来「送電施設を国に売って賠償原資に」 があるべき東電の賠償スキームを実に明快に語っている。私も以前同様の内容を記事にしている。

東京電力副社長は従来より経産省幹部の天下りポストであり、経済産業省電力局東京電力部と言っても過言ではないだろう。官僚の無謬性を信じ、政策の誤りを認めず、結果形振り構わず東京電力の現状維持に動いているのではないか?

最後は堀江貴文元社長 の実刑確定である。堀江氏が常々引用する諸行無常は真っ向から官僚を絶対視する官僚の無謬性を否定する。

堀江氏は批判を恐れず、何が最も肝心か?ある種極論と受け取られようとも主張し続けた。官僚に取っては官僚の無謬性を揺るがす不倶戴天の天敵であり、形振り構わず実刑に動いたと推測する。

藤沢氏の記事に共鳴する。

ライブドアが所有するファンドがライブドア株の売却でたまたま得た利益を売上に計上したことが、粉飾決算とされた。東京地検特捜部の主張は、これは資本取引であって、売上に計上して損益計算書をよく見せるのは粉飾決算だというのだ。事件の詳細などは、すでに本人の書籍やブログ、様々なメディアで報道されているので、ここでは触れない。筆者の感想は、量刑がむちゃくちゃである、ということである。
なぜ継続性に何の問題もなかった生きた上場企業に、東京地検特捜部があのような形で強制捜査に踏み切り、過去の粉飾決算での量刑相場からは考えられないような重い判決が堀江貴文氏をはじめとした、ライブドアの元経営陣にくだされなければいけなかったのか。確かに、ファンドを通してインサイダー取引が疑われやすい非常にデリケートな自社株の売買をしていたというのは、証券取引等監視委員会から何らかの調査の対象になっても不思議ではないし、行政処分の対象となってもおかしくなかったかもしれない。しかし、いきなりの強制捜査で、経営陣を実刑判決にして刑務所に送り込むようなことではなかった、と筆者は強く思う。全てが異例だった。

堀江氏の行為に全く問題が無かったとは思わないが、そもそも新興市場の創設は一定のこの種カオスをを許容しても、起業に追い風を与え、経済を活性化しようという思惑、狙いがあった筈だ。

成功した起業家が官僚の無謬性の如き愚かな神話を否定するのは当然の成り行きである。堀江氏の如き成功者が増える事を恐れた官僚が一罰百戒を目的に堀江氏を見せしめにしたと言うのが私の理解である。

御蔭で新興市場は焼野原となったが、官僚に取って守るものは市場ではなく官僚の無謬性のみであるから、何ら反省する所がないのは当然である。

さて、どうするべきかである。北村氏が指摘される下記に異存はない。

日本人も国家的な危機に際会した今こそ、憲法に定められた国民の権利と義務を真面目に履行する事が、今回の様な統治不全による人災の再来を防ぐ為の国民の義務ではないでしょうか?

より具体的言えば、従来の頭を使う難しい仕事は官僚に丸投げし、政治はその手柄を横取りするではこの先やって行けないのは明らかである。矢張り政治家がきちんと仕事をしなければならない。

その為には、政治家が保身とその為のパーフォーマンス以外何も出来ないと言うのでは困る。選挙で出来る政治家をきちんと当選さす事が必要である。

私は世田谷新区長に就いて苦言を呈した。別段個人的に含む所がある訳ではない。唯、日本国中に同様の例が多数あると思うので、判り易いケースとして取り上げた迄である。

先ず、こう言う選挙期間中の無責任な揚げ足取り的コメントは下品で感心出来ない。

次いで、選挙で「原発依存から自然再生エネルギーへ」と訴えた事と区民の良識が選挙の勝因との自画自賛記事は論理破綻である。

最後のこの記事には空いた口が塞がらない。要は、公務初日の朝に「原発依存から自然再生エネルギーへ」はさっさと店仕舞いで、手慣れた「情報公開と区民参加」に方向転換するとの意思表示である。

今回の区長選挙結果の報道は「原発問題」が一点で焦点化したが、私の政策の土台には「情報公開と区民参加」を掲げていた。お役所然とした行政組織ではなくて、区民の使いやすい「道具」にどう変革していけるのか。また、「地域の問題はみんなで解決する」ことが定着して、「お互いの顔が見える街」となることで災害時の救援や被害からの再生力が強い世田谷区にしていこうと訴えた。最後の決断はトップがするが、区民と区職員からの提案・提言が日常不断に潤滑に行なわれるようにしたいと思う。

一時の熱狂が覚めれば、選挙民は間違った選択をしてしまった事に気付く。結果、自分達が選んだ政治家が信頼出来なくなる。その空白を埋めるのが、官僚の無謬性と言う名の神話ではないだろうか?

官僚の無謬性の呪縛から逃れる為には、有権者がしっかり勉強し、有能な政治家を育て、当選させ、しっかり仕事をして貰うしか方法はない。遠くて長い道のりかも知れないが、近道はない。

山口 巌

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