金融引き締めに軸足を移した中国発大激震の予感 --- 岡本 裕明

アゴラ

中国の準大手銀行が企業向けの不動産融資の一部について停止することを発表しました。これを受けて中国の株式市場は大きく売られることになりました。中国の中央銀行もすでに市中から資金を引き揚げる動きに出ており、不動産業者にとっていよいよ相当の試練の時を迎えることとなりそうです。

1989年12月、平成の鬼平と言われた三重野康氏が日銀総裁になった時、氏が副総裁の時からずっと温めていた金融引き締めを実行しました。結果として不動産バブルは崩壊し、日本に未曾有の経済的困苦の時代をもたらしました。今でも三重野采配がバブル崩壊を引き起こしたとする三重野主犯説は根強く残っていますが、私も当時苦い思いをしたのを思い出します。


あれから25年もの年月が経つといろいろなことが落ち着いて見えてくるのですが、私は三重野氏の「思い」が戦前の井上準之助大蔵大臣の行動に重なって見えるのです。井上準之助は緊縮財政、金解禁を唱えていたもののその機が熟すのをじっと待っていました。そこに民政党の浜口雄幸が総裁に就いたのを機に大蔵大臣として浜口と二人三脚で緊縮財政、金解禁をやってのけました。しかし、そこに待っていたのは井上の理論とははるかに違った想定を超えるデフレでありました。それは1930年代のアメリカの大恐慌も影響し、昭和大恐慌として歴史に残る経済状況を生み出したのであります。

理論と現実のギャップとは机の上では計り知れないものがあります。バブル当時、供給側の目線に立てば企業の役員は部下に「銀行から借りられるだけ借りよ」そして「売れるだけ売れよ」とはっぱをかけ、企業は需要量を過大に想定し、企業は売り上げが上がることに全精力を傾けていました。そこにはもはや、モラルも理論もありません。ただただ、勢いのビジネスであったというのが私の印象です。

その中で建設会社が儲かっていたか、といえば表面上を取り繕っていたといえましょう。決算が近くなると経理部長はひっきりなしにトップに呼ばれ、売り上げの先食いをしようとするトップと経理の「できる、できない」の押し問答が繰り返えされました。建設会社の実態は多くの下請けをいかに抱き込むか、これにかかっていました。A物件が赤字工事だとわかっていれば下請けに「今回は泣いてくれ。その代りもうすぐB物件が発注されるからそちらではおいしい思いをさせるから。」と一種の赤字の先送りを繰り返し、決算上で儲かる数字が作られていたともいえましょう。これが世にいう「自転車操業」であります。われわれはそれが80年代半ばから起きているのは知っており、一様に不安感は持っていたはずです。

この自転車操業は道が平坦であればまだ走るのですが、金利が上がるといった坂道になると途端に走れなくなります。これがまさにバブル崩壊であります。現場により近い立場の私が三重野主犯説にいまだ同意しているのは机上の理論と実態はあまりにも違いすぎるということであります。それは井上準之助が犯した間違えでも同じでありました。その結果、銀行や不動産会社、建設会社は倒産し、私も路頭に迷うことになるのです。

では中国が今、金融を引き締め気味にし、一部銀行が不動産向け融資の一部を停止する事態になるとどうなるか、といえば上述のストーリーが当てはまると思いますが、中国の場合にはスケールがはるかに大きなものであって、そのマグニチュードは全く想定できないのであります。

もともと中国地方政府は地方債を発行できないため、苦肉の策で理財商品という形で資金を集めることに成功しました。そこには不動産開発業者と建設会社が見事に結託し、自転車をこぐという形が出来上がっています。ですが、中国の開発業者にしろ、建設会社にしろ、「ゴミ」を見えないところに押し込み続け、時間稼ぎをしているだけであります。これが「いつかはじける不動産バブル」と言われ続けたものであります。ところが次々と編み出される手法でその生命維持装置はいまだワークし続けたのですが、資金という事業の血液が途絶えることで挽回の余地はもはやわずかであるように思えます。

トランプでババを含む残されたカードは数枚というのが私の印象であります。

時代は繰り返されています。日本はその点、中国が今、実に困難な状況にあることが手に取るようにわかるはずです。私は当時、その現場にいたからこそ、中国が置かれている現状を見るにおいて「足が震えるほど」怖いのであります。中国も中央政府と地方政府の距離感が強く、中央の机上の政策が実態以上の影響を与えることはあるでしょう。その時はもはや遠い日ではないと感じています。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年2月25日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。