慰安婦問題解決を拒む「感情的遺産」

①韓国で生存されている通称・慰安婦の数は現在「25人」となったというニュースが流れてきた。数日前に「26人になった」という報道があったから、高齢者の慰安婦の人々が次々と亡くなっているわけだ。誤解を恐れずに書くが、生存されている慰安婦が全て亡くなった場合、日韓両国間で謝罪・保証問題で争われた慰安婦問題に終止符が打たれるだろうか。換言すれば、慰安婦問題を契機に先鋭化してきた韓国の反日運動は鎮まるだろうか。もちろん、慰安婦には家族があり、残された遺族の間で謝罪や保証問題が飛び出すだろうが、直接の関係者である慰安婦が亡くなれば、慰安婦問題は時間の経過とともに、沈静化し、消滅していくだろうか。

▲慰安婦の1人に謝罪する文在寅大統領(2018年1月4日、韓国大統領府公式サイトから)

▲慰安婦の1人に謝罪する文在寅大統領(2018年1月4日、韓国大統領府公式サイトから)

朴槿恵前政権時代の2015年12月、日韓両国外相がソウルの外務省で会談し、「慰安婦問題について不可逆的に解決することを確認する」と共に、互いに非難することを控えることで一致し、生存している「慰安婦」救済の「和解・癒し財団」を創設することで合意した。2015年4月当時、謝罪要求する慰安婦の数は54人だった。その数が現在、25人に減少したが、慰安婦に関連した反日感情は減少するどころか、拡大傾向さえ見られる。

②欧州連合(EU)は欧州内の反ユダヤ主義の拡大に憂慮し、反ユダヤ主義の台頭に警鐘を鳴らしたばかりだが、欧州の中でもポーランドは昔から反ユダヤ主義が強かった。アウシュビッツ強制収容所はポーランドにあった。ポーランド上院は1月31日、物議を醸した「ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)に関する法案」(通称「ホロコースト法案」)を賛成57、反対23、棄権2の賛成多数で可決した。内容は、ユダヤ人強制収容所に「ポーランド収容所」といった呼称をつけたり、ポーランドと国民に対し、「ナチス・ドイツ政権の戦争犯罪の共犯」と呼んだ場合、罰金刑か最高3年間の禁固刑に処す、というものだ。

ところで、第2次世界大戦後のポーランドにはユダヤ人はごく少数だけになった。にもかかわらず、欧州の中でもポーランドでは依然、反ユダヤ主義傾向が強い。中傷・罵倒する対象のユダヤ人がいないのに、反ユダヤ主義が治まらないのだ。

反イスラム主義、イスラム・フォビア(イスラム嫌悪)は北アフリカ・中東から殺到したイスラム教徒に対して欧州人が感じる一つの傾向だが、イスラム教徒の殺到は事実だから、身近なイスラム教徒に嫌悪を抱く欧州国民が出てきても理解できる。しかし、ユダヤ人が去ってしまった国に反ユダヤ主義の勢いが今だに衰えないという現象は注目に値する。反ユダヤ主義という「感情」だけがそこに居座っている、というべきかもしれない。

①と②の例は、人間が体験した強烈な経験、それに関連して生まれた「感情」は被害者、加害者の区別なく、本人がいなくなっても消滅せず、関係者、同じ民族に相続されていくことを示している。独週刊誌シュピーゲル最新号(12月15日号)はその現象を「Emotionales Erbe」というタイトルで写真入りで9ページに渡り特集している。「感情的遺産」とも訳せる内容だ。

人生で強烈な体験、例えば、第1、第2次世界大戦、共産政権下の牢獄生活、そして9・11(2001年)の米同時多発テロ事件などといった大事件に遭遇した場合、その時に味わった恐怖、憎悪、無力感などといった「感情」はその本人が亡くなった後も世代から世代へと相続されていく、という体験報告だ。

例えば、戦後生まれで、ナチス・ドイツ軍の蛮行を体験していない女性が頻繁にナチス・ドイツ軍に追われ、必死で逃げ隠れる恐怖に襲われ、時には射殺されるという夢を見てきた。ユダヤ人の父がナチス・ドイツ軍時代、ハンガリーの収容所で射殺される運命だったが、たまたま友人と場所を交換したことで、友人が射殺され自分は命を免れた、という体験をしていたことが後で分かった。その人の娘は父親が体験した内容を夢で繰り返し追体験してきたわけだ。父親の感情が娘さんに相続されているケースだ。

前日のコラムで「骨の話」をした。骨にはその人の歴史が刻み込まれている。一方、その人が味わった強烈な出来事に関連した「感情」は世代から世代へと相続され、消滅しない。体験者は個人的には心的外傷後障害(PTSD)に悩み、家族、氏族レベルでは「感情的遺産」として次世代に引き継がれていく。

①の問題をもう一度考える。日本の人気作家・村上春樹氏が共同通信社とのインタビューの中で、「ただ歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が『すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう』と言うまで謝るしかないんじゃないかな」と答えたという。その発言を聞いた時、当方は批判的に受け取ったが、「感情的遺産」という観点からみれば、現時点では「それ以外の道はないのかもしれない」と考えてきた。慰安婦問題の政治的解決は可能だが、「感情的遺産」がそれを拒否するからだ(「日本は韓国の『誰』に謝罪すべきか」2015年4月26日参考)。

生存してきた慰安婦が全て亡くなったとしても、その「感情的遺産」は次の世代に相続されていくだろう。その時、その「感情的遺産」が時の為政者によって変質され、悪用されることが十分考えられる。文在寅現政権では、そのような懸念が既に現実化している。「感情的遺産」の負のプロセスをどのようにしたら制御し、止揚できるかが大きな課題となる。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年12月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。