「40」は神のラッキーナンバー?

30日は「イエスの昇天」の日に当たり、「復活祭」(イースター)に連動した移動祭日だ。カトリック教国のオーストリアでは休日だった。クリスマスや復活祭とは違い、国民はプレゼント買いや礼拝参加といったストレスはなく、日ごろの疲れをとるためにゆっくりと休む国民が多い。

▲「方舟を出た後のノアによる感謝の祈り」ドメ二コ・モレッリの画(1901年)=ウィキぺディアから

▲「方舟を出た後のノアによる感謝の祈り」ドメ二コ・モレッリの画(1901年)=ウィキぺディアから

ゴルゴダの丘で十字架上で亡くなったイエスは3日後、復活し、その後40日間、散らばった弟子たちを訪ね、福音を延べ伝えた後に昇天した。それからキリスト教が始まり、世界宗教へと発展していったのである。

ところで、イエスはなぜ、復活後40日間、地上に留まったのか、「30日」でも「100日」でも良かったのではないか。実際は40日間だ。興味深い点は、新旧約聖書66巻の中には数字「40」が頻繁に登場することだ。代表的な例としては、ノアの40日間の洪水、モーセの2度の40日間断食、カナンの偵察期間40日間、イエスの40日間断食、そして復活後の40日間だ。なぜ神は「40」という数字に拘るのだろうか。ひょっとしたら、「40」は神にとってラッキーナンバーではないか。

神はノアに(アララト)山頂で方舟を建設するように命じる。40日間、天が割れ、大洪水が襲ってくるからだという。洪水は25日間でも、30日間でもない。40日間続いた。モーセはユダヤ民族をエジプトの奴隷生活から解放し、神の約束の地カナンに向かったが、60万人のイスラエルの民は不信仰を犯し、金の子牛を造り、それを神として拝んだ。激怒したモーセは神からもらった十戒の石版を壊した。神はモーセに40日間断食すれば、新たに石版を与えると約束する。30日間の断食でもなく、50日間の断食でもない。神は40日間の断食をはモーセに命じたのだ。

“第2のアダム”の立場だったノアは40日間の洪水後、人類の始祖として再出発する。モーセも40日間の断食後、イスラエルの民を再結束し、カナンへ向かう。復活後のイエスの時も同様だ。ユダヤ教から別れを告げ、新約の福音を携えて神のみ言葉を延べ伝えるキリスト教が始まる。困難を克服し、新しい出発の時、神は不思議と数字「40」に拘っていることが分かる。

もちろん、数字「40」だけではない。例えば、「3」も聖書には頻繁に出てくる数字だ。イエスの3弟子、3大天使、ノアの箱舟の3構造、サウル、ダビデ、ソロモンの3王などだ。聖書の世界以外でも、3度目の正直、3つ子の魂100まで、といった数字「3」に言及した格言がある。物理の世界でも、ものを安定するためには3点が必要だ。1点、2点では定着できない。

宇宙を観測する天文学者や物理学者たちは最性能の望遠鏡を駆使して宇宙を観測するが、宇宙が無秩序で構成されていたら、宇宙を観測できない。宇宙の観測性は、すなわち、宇宙が偶然に出来上がったのではなく、一定の数理性をもって構築されていることを実証しているわけだ。だから、人類はこれまでの学問的実績を土台としながら宇宙を眺め、その秘密を解明しようとしてきた。

その意味で、「宗教と科学」の対立、といった命題は基本的に間違っている。神は最高の科学者だ。「科学」の世界を通じて、神がその作品の中に秘めた数理性、公式を解き明かし、「宗教」の世界を通じて、神に戻る道を教え、諭してきた。宗教と科学は相互補完関係といえるわけだ。

「イエスの昇天」に戻る。イエスは「40日間」、福音を延べ伝え、新しい出発の土台を築いた後、昇天した。その後の2000年間のキリスト教の歴史はある意味でサクセス・ストーリーだったが、限界が見えてきた。イエスの十字架を信じる人々に一定の恩恵を与えたが、キリスト教神学の土台を築いた聖パウロ自身が告白しているように、十字架の救済には限界が明らかになってきた(「ローマ人への手紙」7章22節)。だから、イエスの再臨はどうしても不可避となるが、その前に数字「40」を成就する何らかの出来事が必要となるはずだ。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年5月31日の記事に一部加筆。