がん遺伝子パネル検査と全ゲノム解析:不思議の国、日本

おととい(5月30日)、シスメックス社と中外製薬が申請していた「がん遺伝子パネル検査」が保険診療の対象になることが決まった。しかし、56万円という価格は驚きだ。もちろん、高額すぎるという意味でだ。保険診療では多くが3割を患者さんが負担することになるが、患者さんが高額療養費制度を利用した場合、45万円強が保険で負担されることになる。一人に分子標的治療薬を見つけるのに、約500万円かかるだろう。最適な分子標的治療薬が見つかった場合、それらが保険で利用できるようになっていることを願っている。

また、「患者さんから同意が得られた場合」には、国立がん研究センターに遺伝子情報を提供することが定められているようだが、この「患者さんから同意が得られた場合」の一言が曲者だ。臨床情報(患者情報)の提供がどうなっているのか不明だが、遺伝子情報は会社から一定のフォーマットで病院に送り返されるのならば、中央のデータベースに登録するのは簡単だ。しかし、臨床情報を収集するためには、担当医師が何らかの形で関わることが必要だ。

56万円は遺伝子診断に対する価格であり、病院から国立がん研究センターへ遺伝子解析情報(あるいは、臨床情報)を登録する際に、何らかのインセンティブが与えられるのかどうかは、私の知る限り、ハッキリしていない。病院全体に対しては、登録実績が問われるようだが、トップダウンではなかなかうまくいかないのが、実情だ。働き方改革の中で労働負荷を減らすことが求められる中、どうするのだろうかと他人事ながら心配である。臨床情報の登録が面倒で、患者さんに対して「中央へ登録したくない」方向への誘導が起きないことを願っている。

と考え込んでいる時、毎日新聞に出た「全ゲノム解析、本格運用へ 『3年間で10万人』を目標」という標題の記事が目についた。がんの全ゲノム解析、10万人分を行うようだ。

写真AC:編集部

引っ掛かったのが、「人間の遺伝情報を担うDNAは30億個もの塩基の並びで構成され、2万~3万個の遺伝子を含むとされる。政府・与党内には、100~300個程度の遺伝子を調べるパネル検査では「新薬開発に有用な情報が不十分」との意見が根強い。そのため、パネル検査を受けるタイミングに合わせ、全ゲノムの解析も同時実施するよう患者に促していく。」の最後の文章だ。疑問符が頭に中で急速に広がってくる。

常識的には、全ゲノム解析をすれば、パネル検査で得られる情報は、すべて入手可能である。同時にするのは、全くの税金の無駄だ。記者の理解が足らないのか、情報を伝えた人が良くわかっていないのか?

そして、もっと大きな疑問が「政府・与党の試算によると、初期投資や解析費用に5年間で550億円程度が必要とされている」の部分である。10万人で550億円ならば、一人55万円を計上していることになる。わずか114遺伝子の解析コストが、全ゲノム解析のコストよりも高くなることになる。

確かに、遺伝子解析コストは下がっていくのだろうが、遺伝子解析コストだけでなく、30億塩基対のゲノムデータの解析コスト、データを保存するコストも膨大なのに、まさに「不思議の国、日本だ」。

私は全エキソーム解析で十分だと思っているが、論文を書くために全ゲノム解析が必要なのだそうだ。悲しきかな、わが母国。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2019年5月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。