高円宮妃久子さまの三女、絢子さまが守谷慧さんと婚約されたということは、まことにめでたいことです。
守谷さんの父親である守谷治さんは、昭和54年(1979年)通商産業省入省で私より4年後輩です。同期の有名人には、江田憲司衆議院議員や内閣府事務官で秋篠宮家のお世話にして紀子さまの信頼厚いといわれる谷みどりもいます。
私のパリ在勤中に守谷氏も一緒(守谷氏はIEA事務局出向)でした。パリにはOECD事務局もあるので、当時は25人もパリに同僚がいたのです。
海外での役所仲間のお付き合いはそれぞれの場所の風土で違うのですが、夫婦連れで動くことの多いフランスの習慣に従い、一緒に集まることもありますので、守谷夫妻がパリ市の南隣にあるブーローニュ・ビアンクールに住んで慧さんはそのころ幼稚園児だったという記憶はあります。
すでに報じられているとおり、両親ともしっかりした人たちですし、祖父の守谷兼義氏は日本郵船常務ロンドン支店長をつとめた方ですから、旧華族とかいうことではありませんが、経済的にも知的にも国際的な感覚からいっても申し分のない皇族女性の結婚相手として国民の一人として安心です。
支給される一時金は内親王の場合よりは少なく1億円程度とみられますが、こういうしっかりした経済基盤をもった相手と結婚されるなら、それが生活を支えるとか、配偶者の借金を返済するとか、親の見栄っ張りの生活のために使われるのでなく、あくまでも、+αとして皇族出身女性としての品格を保っていただくための足しにするするという制度の本来の趣旨にも合います。
お二人の出会いは、久子さまが主導されたもののようですが、本来ならこういうのは、宮内庁が主導して組織としてもうすこしちゃんとやったらどうかというのが、私の意見であることはすでにこれまでも書いているとおりです。
高円宮家の女性たち
さて、これを機に、「男系・女系からみた皇位継承秘史」 (歴史新書)や「誤解だらけの皇位継承の真実」 (イースト新書)でも紹介している、高円宮家の女性たちについてお話しておきたいと思います。
高円宮憲仁親王の妃である久子さまは、鳥取滋治郎氏の娘です。滋治郎氏は、香川県三豊市の地主の子で、フランス三井物産社長などをつとめました。
母方の祖父・友田二郎氏は外交官でした。宮内庁式部官をつとめたこともあり、著書の『国際儀礼とエチケット』はいまでも名著として知られています。
さらに、母方の系統は明治時代に東宮太夫だった柳河藩士出身の曽我準子爵や、公家の松園家を経て今上陛下の祖母である貞明皇后の祖父である九条尚忠氏に行き着きます。宮内庁人脈に属する人です。
久子さまは、学習院初等・中等科から、父親の海外勤務とともにイギリスに渡りケンブリッジ大学で人類学・考古学を学んで帰国し通訳として働かれていました。そのときに高円宮殿下とお会いになり、わずか3か月で婚約。「Will you marry me?」と英語でのプロポーズだったことが話題になりました。
高円宮憲仁親王は、三人の女王を残して2001年に死去されました。長女の承子(つぐこ)さま(1986年3月8日生まれ)は、学習院女子高等科を経てエディンバラ大学へ留学しましたが、ミクシイなどでネット上に自由な私生活ぶりを綴っておられたのが発覚して「週刊文春」に報道されました。
「好きな人がゲイ…。終わってる」
「私も親さえよいなら胸にヤモリの刺青入れたいんだけどなぁ~…間違いなく縁切られますからね(笑)」
「彼氏→三角関係(むしろ四角関係)のすえ泥沼化して終わった。ビバ波乱万丈(嘘)」。
現代の女性として異常とはいえませんが、簡単に本人が特定できる形でこのような書き込みをされたことは、やはり軽率で、国費で留学されているだけに、勉学の進み具合も含めて皇族としての自覚が問われたこともあります。そんなこともあって帰国後、2008年に早稲田大学国際教養学部に再入学をされ27歳で卒業されました。
典子さま(1988年7月22日生まれ)は、学習院大学文学部心理学科を卒業され、2014年に、出雲大社の千家国麿と結婚されました。皇族の結婚としてはもっとも最近ですが、このとき国から一時金として1億675万円が彼女に支給されました。千家家は大国主命の子孫ではなく、大国主命の一族が退場した後に土着した天照大神の子孫です。
そして三女が絢子さま(1990年9月15日生まれ)です。