新聞全紙に超高率税を!

純丘 曜彰 教授博士

関東じゃ、逆さに読んでも、しんぶんし。だが、関西では、しんぶんがみ、と読む。今年も元旦から各社100ページ+チラシいっぱいのもの配りくさって、その総量は、年間350万トン。古紙を混ぜてるからいいんだ、とか、屁理屈をこねているが、大量の真水を使って古紙のインクを漂白するのが、どれだけの環境負荷か。こんな建前ばかりのきれい事を言っているから、製紙会社のアホ息子がカジノで100億円も擦ったりできてしまう。津波になって、過去の悪業として積もりに積もった海底の真っ黒なヘドロが再び我々に襲いかかってきて、それではじめて後悔するんだろうなぁ。


以前、どこぞの新聞社のカメラマンが、沖縄のサンゴに傷をつけ、環境問題を自作自演して問題になったが、そのとき刻みつけた文字が「KY」。空気読めない、読まない、のまんま。でかけりゃ目立つ、って、今年も、全面広告、それどころか、見開きで、おめでとうございます、って、おめでたいのは、あんたの頭。これで、環境に優しい電気自動車って、そりゃないだろう。会社でも、使えないやつに限って、話の要点が絞れず、やたらと会議資料のページ数が多い。いまどき全面広告なんかやってる企業に未来は無いよ。

社会保障のためには消費税引き上げもやむなし、なんて書いているくせに、日本新聞協会は、昨年の夏前から、新聞だけは税率軽減を、と、画策している(「税制改正要望書」)。そりゃ、17世紀の新大陸開拓時代なら、新聞は、フロンティアの人々に最新の情報を人々に伝える命綱だった。だが、いまどき、こんな時代遅れのチラシの化けものみたいなのを社会的に優遇する理由がどこにある? むしろ逆だろ。環境破壊の権化として社会の敵そのもの。怪しげなムダガネをため込んでアホみたいな広告を打っている企業からも、ドッカーンと超高率の税金を踏んだくってやればいい。

かつて京都や城下町では、通りに面した家の間口で高率の税金が課せられた。それで、店の幅を抑えた独特の高度集約的な町屋の商店街が発達し、日本各都市の経済は、世界から見ても驚異的な繁栄を確立した。同様に、今日、やたらでかい広告だの、だらだら長いCMだの、そんなにカネが余っている連中がいるんだったら、そいつらから高額の税金を絞り取るのは、当然のこと。世間だって、みんなヒマなわけじゃないんだから、プロなら要点だけを3行で宣伝してみろよ。それで、気になったら、こっちからネットでアクセスするからさ。

つまり、情報の集約性を高めるためにも、むしろ累進高率の新聞紙税や電波税のようなものが積極的に必要なのだ。そうでないと、市場に既得権を持つ大企業のみが見せかけの宣伝力で社会的な支配を続け、真の意味での競争力は落ちる一方になってしまう。

税金は、必要だから取る、というだけでなく、次のあるべき社会像へ向けて戦略的に制度設計されなければならない。その意味で、環境負荷の大きすぎる時代錯誤の紙の新聞や雑誌は、高率課税で撤退を促し、その一方、電波などの限られた情報資源の高密度のフェアな有効活用を導くような政策が求められている。

なんにしても、全面広告はうざい。紙のムダ。消費税引き上げの提灯持ちをしながら、裏でコソコソと自分たちだけ減免を求める新聞社も信用ならない。結局、すべては既得権の側。そこに切り込んでいって、硬直しきった既得権を破壊していくような税制にしないと、枯れ木の森のように、社会そのものの活力が失われる。

by Univ-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰博士(大阪芸術大学哲学教授)