『たかじんNOマネー』という番組で、水道橋博士が橋下徹大阪市長の発言にきれ、生放送の終わりに、番組降板を宣言して、退席してしまったことが大きな話題になっている。
もっとも、東京に住む人間のなかで、この番組を見た人は少ないだろう。なにしろ放送されていないからだ。それは、もう一つの「たかじん」を冠した番組、『たかじんのそこまで言って委員会』についても言える。
私は、どちらの番組にも出演したことがある。NOマネーの制作者は、委員会はともかく、こちらの番組なら東京進出も可能だと考えていた。だが、いまだにそれは実現していない。私は、それはとても無理だと思う。
委員会は、日曜日の午後2時から放送されている番組であるにもかかわらず、毎回15パーセント前後の視聴率を稼ぎ出している。時間帯を考えると、あり得ない数字だ。
その秘密は、東京の番組ではとても取り上げられないようなことを話題にできる点にある。たとえば、私の関連で言えば、葬式についての番組なら東京でも可能だろうが、東京の番組で創価学会や幸福の科学について語ることは、現状ではほぼ不可能である。
委員会の番組は収録で、編集が入り、問題発言に処理が施されることがあるが、かなり過激な内容の番組であることは間違いない。だからこそ、関西では絶大な人気を誇っているわけである。
ところが、NOマネーでは、今回の降板劇が起こり、委員会のほうでも、レギュラーだった勝谷誠彦氏の降板という出来事も起こっている。いずれも、やしきたかじん氏が病気のため不在であるあいだの出来事である。
私は去年の11月、たかじん氏不在中にはじめて委員会の番組に出た。そのときは、ひかりの輪の上祐史浩氏が本を出版した直後で、パネラーから批判が彼に集中し、合わせて私にも批判が向けられたが、かなり番組の雰囲気がそれまでと違うように感じられた。
たかじん氏は、通常の司会者とは異なり、番組を仕切るわけではないが、どんな問題が出てきても、それを笑いに結びつけるという才能を有している。この才能は特異なもので、ビートたけし氏に近い部分もあるものの、それとも違う。それは、彼がいかなる立場に立つことなく、一定の主張にも与せず、少し引いたところから、その問題点やおかしさをあぶり出していくからである。
それにパネラーも影響され、あやふやな主張を展開するようなゲストがいると、いかにその人物から笑いになるようなネタを引き出すか、案外親身になって助けようとしたりする。番組を明るく面白いものにするということを、最大の目標とすることが共有されていた。
ところが、たかじん氏が不在だと、そうした番組全体の構造が崩れ、パネラーも自己の存在を主張しようとして、言論が過激になり、笑いに結びつけようという意図が消えてしまう。
その点で、これは当たり前のことではあるが、たかじんの番組にはたかじん氏が不可欠なのである。その代わりをつとめられるようなタレントは存在しない。それは、委員会やNOマネーが放送されている地域の精神状態にも何程か影響を与えているのではないだろうか。
やはりたかじんは偉大である。
島田 裕巳
宗教学者、作家、NPO法人「葬送の自由をすすめる会」会長
島田裕巳公式HP