あんなに「苦いビール」がなぜ美味い

石田 雅彦

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関東地方は例の「ヤギ台風」以来、本来の梅雨空でジメジメしていますが、近畿東海は猛暑だそうです。梅雨時も五月晴れで暑くなると、やっぱりビールが美味いですな。前回の投稿で紹介したとおり、苦味を感じる味覚センサーは舌ベロの奥にあって、いわゆる「喉ごし」と呼ばれるビールの美味しさも喉に近い舌ベロの奥のほうで感じています。


ビールに限らず食品の味覚研究は、世界中の食品会社がチマナコになって取り込んでる分野。より「美味しい」飲み物食べ物を作って、より多くの人に買ってもらおう、という動機からでしょう。しかし、我々ヒトの味覚は一筋縄じゃいきません。特に苦味についてはかなり敏感だ。それはあんなに多種多様のビールがあることからもわかります。

苦味を感じるのは、毒性に対するセンサーでもあります。ほかの味覚に対して苦味のしきい値はかなり低い。しかし、マウスを使った米国UCサンディエゴの実験では、甘味と苦味の味覚受容体細胞を入れ替えると、嫌いなはずの苦い水をまるで甘い水のように好んでゴクゴク飲むようになります。これは味覚が入り口センサーである証拠ですね。

ところで、最近の若い連中はビールが苦手のようです。彼らに聴いてみると、あの苦味が嫌いだ、と言う。飲み物食べ物の好き嫌いは誰にでもありますが、子どもは特に好き嫌いが激しいね。

野菜嫌いの子どもは、野菜特有の苦味に抵抗があることも多い。あの味はアルカロイドやビタミン、カルシウムなんかの味です。アルカロイドは植物毒で、コーヒーのカフェインやタバコのニコチンもアルカロイドの一種。苦味の標準物質でありマラリア原虫への特効薬であるキニーネは樹木の皮から採られ、日本では劇薬扱いですが米国では苦味成分の食品添加物として認可されています。

ワインや渋柿のタンニン、お茶のカフェインも独特の苦味というか「えぐみ」を出している。野菜料理では「あく抜き」します。特に、野草、山菜などもそう。春の七草もえぐいですし、ワラビにはプタキロサイドという毒素があり、中毒になると死んでしまうこともあります。

しかし、おでんの大根にしてもビターなチョコレートにしても、子どもの味覚が大人になって変化する、というのはよく起きる。ビールの苦味を好きになるのは、アルコールとの関連で快感物質が出て習慣化するから、とも言われています。絶対にやっちゃいかんが、仮に子どもにビールを飲ませたら途端に吐き出しちゃいますわな。それが大人になると、こんなに美味いもんはない。

味覚では塩味も重要ですが、塩味の好みはどうも後天的な感覚らしい。生まれたての赤ちゃんは、塩味を感じません。我々ヒトは進化の早い段階から、森から出て草原や海辺などの多様な環境下で暮らしてきました。ナトリウムは必須の物質であると同時に、摂り過ぎると高血圧などの病気になります。米国モネル化学感覚研究センターの実験によると、塩味への応答は乳幼児期の味覚経験によって大人になってかなり違う。塩味は環境によって調節可能な後天的なセンサーにしたんでしょう。

ビールのような苦味も後天的な経験から嗜好が変わってくることがわかっています。苦味の受容体は「T2R」群と呼ばれ、これもモネル研の調査ですが、母親と子どもの遺伝子と味覚の嗜好を調べてみた結果、同じ遺伝子を持っていても子どもの年齢によって苦味の感受性が母親と違うようになる。

また、苦味受容体を反応させるフェニルチオカルバミド(PTC)という苦味物質があり、これを苦いと感じる人と感じない人がいます。平均して4人に一人はこの苦味を感じない遺伝子を持っている。このため、苦味を中心にした味の感覚に個人差ができ、苦味に対して鋭敏な遺伝子を持つ「Supertaster」と呼ばれる人たちは、鈍感な人より約千倍も多様な味を区別できます。こんなに敏感だと、逆に味のノイズだらけで困りそうですが、天才ソムリエなんかは鋭敏遺伝子の持ち主なのかもしれません。

前述したように味覚に関する調査研究はたくさんあり、アフリカ系の遺伝子と非アフリカ系遺伝子を調べた米国ペンシルバニア大学の研究によれば、調査を受けたアフリカ系の人たちはその民族や食生活、などに違いがあるのにも関わらず、フェニルチオカルバミドの苦味を感じない割合にはほとんど影響を与えていなかった。つまり、従来は住んでいる土地の食べ物による特殊な影響から辛味受容体の変異が起きるんじゃないか、と考えられていましたが、どうも食事以外の要因も考えられそうだ、というわけです。

苦味を感じる受容体は、現在、36種類が見つかっていて、そのうちの25種類しか機能していません。残りの遺伝子がどうして機能しなくなったのか、どんな役割をしていたのか、についてはまだハッキリとわからない。この日本の総合研究大学院大学の研究によると、生物には進化のかなり最初のころから苦味を感じる遺伝子が備わっていました。苦味が生命維持に欠かせないセンサーだった、というわけです。

同じヒトでも1/4がフェニルチオカルバミドの苦味を感じないことでもわかるように、苦味を感じる遺伝子の変化は遺伝的にかなり近い生物同士でも違います。米国ユタ大学らの研究によると、チンパンジーにもフェニルチオカルバミドを感じない苦味受容体の変異がありますが、我々ヒトとは別の方向性で進化したらしい。京大霊長類研の調査によれば、チンパンジーの場合は住んでいる場所や食べる植物の違いによって苦味のセンサーの機能を遺伝的に変えているようです。

マラリア原虫へ効くキニーネもそうですが「良薬は口に苦し」と言われるように、寄生虫などの駆除のために経験的に苦い食べ物を口にすることで生き残ってきた生物種もいるでしょう。また、苦くても体に必須の栄養素を含んだ食べ物はたくさんあります。ブロッコリーやキャベツ、カイワレダイコン、クレソン、大根などのアブラナ科の植物には、フェニルチオカルバミドと似た構造を持つグルコシノレートという天然の苦味成分が含まれています。

春の菜の花やフキノトウ、山菜なんかの苦さはアルカロイドのせいですが、あれは植物が害虫などを寄せ付けないための植物毒です。しかし、アルカロイドには、抗がん効果や老化防止、体内の毒素を排出するデトックス作用があることがわかっています。ゴーヤの苦味成分であるモモルデシンには、血糖値を下げたり肝機能を高め、動脈硬化を防ぐ作用がある。また、日本茶などの苦味のもとになっているカテキンには血圧上昇を抑制したり、抗酸化作用、抗アレルギー作用などがあります。

ビールの苦味成分も同じですね。米国ワシントン大学の研究者らによると、あの苦味はビールの製造に欠かせないホップに含まれる苦味酸(フムロンとルプロン)のせい。ホップの苦味成分には、抗炎症作用や抗がん作用があることが知られ、ビールには肥満や糖尿病、動脈硬化などの予防などの効果があるかもしれない、という研究結果も出ています。

それにしても、甘味と苦味の受容体を入れ替えられたマウスのように、大人になると苦いビールを「美味い美味い」とゴクゴク飲むようになるのはいったいどうしてなんでしょうか。フェニルチオカルバミドについての味覚研究をみると、どうやら苦味に対する生物の進化はかなり複雑なようです。種によっても受容体の特徴はかなり違いますし、同じヒトでも民族や住んでいる環境によって多様性がある。

植物は自分を守るために苦い毒を作り出し、その毒は時として食べる側の益にもなる。しかし、食べ過ぎれば逆効果です。生活習慣病の予防効果が期待されるビールも飲み過ぎたら毒になる、ということなんでしょう。でも、また飲んじゃうんだよなあ。

石田 雅彦
アゴラ編集部