アベノミクス第3の矢は、なぜ「竹やり戦術」に終わってしまったのか? --- 鈴木 亘

アゴラ

アベノミクス「第3の矢」として先ごろ閣議決定された「成長戦略」が、極めて不評判である。確かに、異次元の金融緩和を実行しつつある「第1の矢」、補正を含め過去最大の予算を積んだ「第2の矢」から、日本経済再生のバトンを引き継ぐ成長戦略としては、いかにも力不足で、見劣りのする「第3の矢」である。

これでも、民主党政権が行ってきた「逆」成長戦略を基準に考えれば、50点ぐらいの点数をあげても良い内容のように思われるが(そして、甘利大臣や霞が関の官僚達はもっと高い自己評価をしているようであるが)、問題は、もはや誰も民主党時代のことなど覚えていないことである。


現在のピークとも言えるアベノミックスへの「高い期待水準」、あるいは、社会保障や巨額債務等の難題を抱える日本経済にとって、「問題解決のために、本来必要な高い経済成長率を達成する」という観点からみれば、せいぜい20点ぐらいの低評価とならざるを得ない。株式市場の動きから判断すれば、市場の評価はもっと厳しく、「これでは成長は無理」と失望し、0点を付けたと言うことであろう。

確かに、閣議決定された成長戦略(日本再興戦略-JAPAN is BACK-)に挙げられている項目数はあまりに膨大で、読むのも疲れるほど包括的、あるいは総花的である。しかしながら、経済成長に必要な「新たな成長市場」を作り出すような大胆な規制緩和はほぼ皆無であり、さながら「竹やり戦術」のようである。竹やりでは、B-29は落とせない。

成長戦略が「竹やり戦術集」になった理由は簡単で、要は「霞が関の官僚任せ」にしたからである。経済産業省を中心に、霞が関の各官庁に総動員をかけて、各省庁の各局・各課から挙がってきた成長戦略を束ねてはみたものの(しかもその多くは、民主党時代から既にあったものである)、このようなやり方では、(1)各省庁単位の小粒な項目の寄せ集めになりがち、(2)各省庁内、省庁間で全員賛成型の調整を経るため、人畜無害な骨抜き案になりがち、(3)調整が難しい項目は具体性や実効性の欠ける先送り案になりがち、ということは、初めから明らかであった。

こうした官僚主導の従来型成長戦略の欠点を補うためには、(1)分野横断的に大胆な発想ができ、(2)反対する業界・官庁があっても、大局的な成長を優先して政治決断できる「政治主導」が不可欠である。そして、まさにそのために設けられた「舞台装置」が、官邸直轄の経済財政諮問会議、産業競争力会議、規制改革会議の3つの会議であったが、結果から判断して、これらはうまく機能しなかったと言わざるを得ない。そもそも各省庁がまとめてくる政策が総花的な竹やり戦術になるのは当たり前であるから、今回の成長戦略の「失敗の本質」は、この官邸直轄会議が機能しなかったことにある。

その理由の一つは、三つの会議の役割分担や権限が、当初から明確に与えられていなかったことである。委員にはせっかくのスター・プレーヤー達がそろったが、司令塔不在で、御互いの連絡・調整もうまく取れていなかったようである。まさに、「船頭多くして船、山に登る」という状態であり、官僚達が最初から意図していたかどうかは分からないが、まさに、官僚達にとって最も御しやすい「分断戦略」の術中に、結果的にはまってしまった。

第二は、政治主導・民間主導であるはずの各会議の主導権が、完全に霞が関の官僚達(事務局)に握られていたことである。官僚主導どころか、官僚支配と言っても良いだろう。もちろん、民主党時代とは違って、官邸サイドのリーダーシップが時折発揮される場面もあったし、民間議員・民間委員が個人技で突破する場面も皆無ではなかったが、しかし、小泉政権時代、あるいはその後の自公政権時代と比べても、官僚支配の度合いは格段に強まっていた。

私自身、前回の安倍政権末期から麻生政権まで規制改革会議の専門委員を務めており、今回も、規制改革会議の大田弘子議長代理に請われて、途中から規制改革会議「保育チーム」のメンバーとして、目玉である「待機児童対策」の立案に携わった。まさに、前回と今回の自公政権における規制改革会議の官僚支配の違いを肌で感じる立場にあったので、少しご紹介をしたい。

就任して、まず驚いたことは、前回の自公政権時には、規制改革会議の事務局の大半が、民間からの出向者で占められていたのに対して、今回はものの見事に霞が関の官僚ばかりであったことである(途中から、経済同友会、日本経団連から2、3人の出向者が来たようであるが、多勢に無勢の上、新参者が来る前に勝負が決しており、既に後の祭りであった)。

例え、規制改革に反対する官庁からの出向者が事務局の直接の担当者でなくても、霞が関の官僚同士は、直ぐに裏で手を握る。規制改革会議はあくまで一時的な出向にすぎず、この先、長く霞が関ムラで生きて行く官僚にとっては、相手官庁とつるむ方が合理的である。また、相手官庁の官僚の方が個別テーマに詳しいから、その道の専門知識のない委員達が、事務局に安易に「調べておいてね」等と言うと、相手官庁に相談したり、教えを乞うなどして、簡単に借りを作る。

しかし、こうした官僚の行動原理は自明のことであるから、前回の規制改革会議では、利害が各官庁と一致しない民間会社からの出向者を大勢入れ、事務局の官僚達を牽制していたのである。出向者の多くは、規制改革会議の議長の出身会社からの出向や(これは、本当のエースたちが大勢やってきた)、委員達の出身組織からの出向であるから、規制改革会議の委員とはいわば一心同体である。もちろん、事務局に官僚が全くいないと、相手官庁とのやりとりなど、会議の運営に支障がでるので、官僚の存在は不可欠であるが、問題はその割合である。

今回のように官僚ばかりの事務局では、官僚のやりたい放題になることは火を見るより明らかである。私自身も、前回から考えると「まさか!」と思うようなあからさまな事態に数多く遭遇した。一例を言うと、まず、 (1)保育チームの委員間でまとまったはずの重要な規制改革項目が、事務局の判断で勝手に削除されてしまう(その理由を問うと、言い分は厚労省と瓜二つであり、情報源は明らか)、(2)反論してその項目の復活をさせても、手を変え品を変え、バージョンが変わるごとにしつこく何度も削除してきて、持久戦に持ち込まれる(こちらも忙しいので、油断して何度目かのバージョンをスルーするすると、その削除案で決まってしまう)。

(3)さらに公表を前提に、規制改革会議で発表するために入れておいた資料が当日の配布資料から消えている、(4)次の会議できちんと資料を入れるように指示をすると、厚生労働省にとって都合のわるい肝心な部分を勝手に抜いて、意味不明の資料に差し変わっているといった具合である。(5)また、「この部分は事務局が説明しますから」というので説明資料から肝心の部分を省いたら、事務局が結局説明をせず、当日配布資料にすら入っていないということもあった。

もちろん、委員同士が意見の交換をしないように、重要な連絡を委員一人ひとりに個別に行っていたり、委員間の意見が違う時には個別説明をして情報を都合の良い方向にコントロールすると言う「分断戦略」も行われていた。また、重要な会議の日程連絡や重要な情報がそもそも送られてこなかったり、都合が悪い日程にわざと重要な会議をぶつけてくると言うような「事務局の常とう手段」も、行使されていたように思われる。

産業競争力会議では三木谷委員が「医薬品のネット販売ぐらいのことも決められないなら委員を辞職する!」と叫んで、埒の明かない事務局を押し切って、今回の唯一の目玉と言うべき規制緩和項目を通したそうだが、私自身も「この程度の項目が残せないのであれば辞める」と事務局に啖呵を切らなければならないありさまであった。また、大田議長代理とは、事務局抜きで、外の喫茶店で重要な打ち合わせをすることもあった。

これが、私が垣間見た規制改革会議の官僚支配の現実である。安倍首相や甘利大臣は、(たとえ不十分でも)今ある成長戦略を確実に実行してみせることで成果を上げるとしているが、その実行をチェックする事務局がこのありさまでは、相手官庁に配慮して、細部で骨抜きになっていったり、サボられたりする可能性が高いものと思われる。

しかし、冷静に考えれば、もともと自民党という政党は、官僚依存の政党であり、規制緩和に反対する既得権益・業界利権に立脚した族議員中心の政党なのである。来る参院選挙で無党派層にアピールするため、改革派のイメージを背負った安倍総理やその側近達がいくら頑張ってみせても、党内の政治力学、あるいは霞が関との力関係から言って、そうたやすく改革が進むわけではない。

ましてや、参院選で脅威になると思っていた「維新の会」がオウンゴールを重ね、「みんなの党」も維新と手を切ったのは良いが、実際には一緒に自沈している。民主党に至っては、未だに反省の意味すら理解できない混迷ぶりであり、民主党政権のトラウマから長期政権を望む国民の「下がり切ったハードル」と相まって、7月の参院選は自公両党の圧勝が確実である。このように、無党派層にアピールをする必要性が全く無くなった状況下では、古い自民党や官僚主導が復権し、成長戦略が骨抜きになることはやむを得ない。

既に政府は、マスコミの批判を考慮して、成長戦略に設備投資減税を追加で明記したり、参院選後の秋に、成長戦略の第二弾を打ち出す等と発表しているが、政治力学から考えて、今出ている成長戦略よりマシな内容になるとは考えにくい。参院選で自公政権が盤石の基盤を築き、次の衆院選までほぼまるまる4年もある無競争状態で、自民党が既得権に踏み込んだ改革を行う動機は、何一つなくなるからである。

恐らくは、先日の「保育園抜き、幼稚園児のみの幼児教育無償化」のように、業界利権に配慮したバラマキ拡大策を成長戦略と称するかもしれないし、税制改革や投資減税も官僚達が利権を拡大しやすい方向に歪められる可能性が高いだろう。つまり、秋に出る成長戦略は相当に劣化したものになる可能性が高い。

何か手を打つのであれば、参院選の後よりも、参院選の前である。参院選後の秋では勝負は既に終わっている。なんとか、官僚支配の3会議に民間出向者を大量補充したり、「国家戦略特区」に霞が関の官僚支配が簡単に及ばない仕組みにするなど、官僚支配の「舞台装置」を変えることを今のうちに仕込むことが重要である。特に、官僚支配で調整不能になった3会議が、なんとか切り出して脱出させた「期待の舞台装置」が国家戦略特区であるから、これは大事にすべきである。

また、前回の規制改革会議では、地方分権改革推進委員会と協調路線をとって、規制改革事案を進めることが多かった。「敵の敵は味方」であるから、霞が関に対抗する地方自治体を味方につけて改革するという視点も重要である。今回は、なぜか地方分権という視点が成長戦略からほとんど欠如しているが、地方の声と力をもう少し引きいれることも、「舞台装置」の変革になるのである。


編集部より:この記事は「学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)」2013年6月17日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった鈴木氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)をご覧ください。