1980年代の初期に、日本も米国や英国とともに金融改革を行っていたならば、あのバブル、その後に大きな禍根を残した昭和の大バブルは、起きなかったと思う。
バブルの背景は、低経済成長への移行に伴う産業界の資金需要の後退と、旧来と変わらない金融機関の強力な資金調達の仕組みとの間に、大きな資金需給の不適合が生じ、巨額な余剰資金が不動産へ向かったことである。
昭和のバブルも遠くなりにけり。バブル処理に伴う2000年前後の金融危機、小泉金融改革も、もはや過去のことだ。しかし、日本の金融機関には依然として変わらない強みがあるようにみえる。この強みは、1980年代初期に改革をしていれば、別な形になったのだろうけれど、現実には、その時点での改革はなく、古き時代の強みが今も生きているということだ。それが、良いことか悪いことかわからないけれども。
しかし、この生き残り続ける不思議な強みの意味を検討することなく、日本の金融改革はあり得ない。その強みとは何か。それは、いうまでもなく、日本の金融システムの個人貯蓄の支配力としての強みである。貯蓄から投資へ、それに適合した金融制度改革、さらには国民の意識を変えるための投資教育などと、叫ばれ続けたが、依然として、国民貯蓄の大半が預貯金と保険である。
確かに、この貯蓄構造は、国策的に金融機関を保護育成する過程で形成されたのだが、だからといって、国民の貯蓄についての選好として、預貯金と保険が適合していたのでなければ、これほど強く支持されることはないはずである。
金融の規制緩和や、ペイオフの解禁などによって、いかに政策的に貯蓄から投資への転換を進めようとしても、国民の貯蓄に関する選好までをも政策的に変え得るかどうかは、大いに疑問であり、事実、変え得ていないのが実情である。変えようとして変わらないものには、変わり得ない後進性を見るのではなくて、むしろ、全く別な視点から、強みとしての価値をこそ、見出すべきなのではないか。
そもそも、金融の基礎となる貯蓄構造が変わらない限り、いかに制度改革を推進しても、金融の本質は変わりようがない。強みが変わらない中で強みを否定する方向での制度改革は、おかしいといわざるを得ない。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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