書評:池田信夫『「空気」の構造』(下)~ 日本軍と原発の空気 --- 中村 伊知哉

アゴラ

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「空気」の構造

日本社会の特徴をこう書きます。

「役所や企業のタコツボ的な自律性が強く、人々がまわりの「空気」を読んで行動するため、責任の所在が曖昧で中枢機能が弱い。部下が上司の足を引っ張る「下克上」の風潮が強いため、長期的な戦略が立てられない。」

日本軍の失敗で、これは如実に表れました。ノモンハン、ガダルカナル、インパール、沖縄。「本来の指揮系統とは逆に現場の意向で作戦が変更されるため、一貫性のない作戦がとられて失敗することが多かった。」

曖昧な戦略、補給の軽視、縦割りで属人的な組織。これら論点について、永田鉄山、石原完爾、東条英機、武藤章、田中新一ら帝国陸軍の指揮官を引き合いに説いていきます。永田暗殺後、撤退不可の「空気」が重くなっていくさまを。


ぼくも以前、この5人+北一輝を扱った川田稔 著「昭和陸軍の軌跡」についてブログでコメントしました。ターニングポイントは4つと考えました。 1)永田暗殺から2.26、 2) 石原vs武藤・田中、3) 武藤vs田中、4) 東条が勝ち残って制御不能・場当たり対応に。
 http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/01/blog-post_14.html

あれだけの大失敗がどういう意思決定の連続でなされ得たのか。興味があります。何をなした人物かよくわからない坂本龍馬や白洲次郎にスポットを当てるより、リスクを取って決断し、指揮し、遂行し、大失敗をもたらした方々がどのような権限と決定と命令の系統の下に動いたのか。この5人を扱ったドラマってないですかね。

ぼくは昭和陸軍のブログの最後に、「政策発動・変更を巡っては厳格な手続があった。会議での決定・命令であったり、殺人であったり人事であったり。原発停止・再稼働のような「依頼・要請」はあり得ない。」と記しました。

池田さんの書でも、法律よりも空気が重い例として、2011年5月、菅直人首相が浜岡原発の運転停止を中部電力に要請したことを挙げています。首相のお願いに沿って中電が自発的に停止するという構図です。

さらに菅首相は、法的根拠もなく「ストレステスト」が終わらないと再稼働は認めないと言いだし、経産省の意向にも反して玄海原発も動けなくしてしまいました。結局、当事者の聴聞など行政手続法の定める手続きもなく、法的根拠のない行政指導っぽい要請によって事態は止まっているわけです。

原発の是非がテーマとなっているのではありません。再稼働すべきか否かにはぼくも意見がありますが、それは置いといて、ぼくもこの一連の動きに対し、当時強い違和感、いや、反発を覚えました。

許認可行政には恣意性がつきまといます。ぼくが通信政策を担当していたころ、通産省や産業界は行政の透明性を強く要求していました。そこで規制緩和が繰り返されました。通信政策だけでなく、行政全般の恣意性を奪うため、行政手続法も整備されました。「空気」を薄める努力を重ねてきたわけです。

ところが首相が一人でブチ壊した。なんてことだ、と思いました。まだ経産相が設置法に基づいて「指導」するならわかります。責任は政府にあるし、イヤなら行政訴訟起こせばいいので。でも、根拠なく逆らいにくい形で頼み込んで、相手に決めさせる曖昧な形は最悪。

「では役所は動かすなと言っていないのに、電力会社はなぜ原発を止めているのだろうか。その理由を中部電力の幹部に聞いてみると、「当局の機嫌をそこねたら何をされるかわからない」という。しかし中部電力が原発の停止でこうむった損害は、2012年3月期決算で3700億円。」

んなこたあ孫さんだったらゼッタイに飲まないですよね。規制業種である通信業であっても。結局は経営者の胆に帰するのでしょう。だからマズいわけです。そこに依存する行政ってのは、「政」を「行」ってない。

当局の機嫌をそこねたら、という話はぼくの周りでもよく聞きます。例えばデジタル教科書。

デジタルの教科書を正規の教科書にするには3法を改正する必要があるのですが、業界は長い間この議論を腫れ物扱いしてきました。政府は門前払いを繰り返し、民間は当局の機嫌をうかがい続けていたのです。ぼくらの団体が昨年、ダメもとの破れかぶれで政策提言をした結果、政府でも検討されることになりましたが、そうした「空気」の打開にはやみくもなパワーが要ります。

本書は最後に政策論に移ります。

「日本では古代以来の「古層」が破壊されないまま、その上に武士のエートスが上書きされ、近代化によって西洋文化が重なってきた。多くの人が一致して指摘するその特徴は、タコツボ的な中間集団の自律性が強く、全体を統括するリーダーが弱い日本型デモクラシーである。それが世界にもまれな日本の長い平和を実現し、また平和によって補強されてきたことが日本人の特異な国民性の原因だろう。」
と再整理した上で、「日本人の意思決定システムを変えることは可能なのか」と問いかけます。

その処方としていくつかヒントが並びます。それらはお読みいただきたい。ただ、巻末のメッセージは引用させてください。

「今の日本にそれ(中村注:企業中心の閉じた社会)を破壊するエネルギーがあるかどうかは疑問だが、幸か不幸か老朽化したタコツボを維持してきた政府の力は弱まり、財源は枯渇してきた。TPPなど対外開放を進めるだけではなく、政府が裁量的な介入から撤退して国内的な開放を進めることが日本を再建する道だろう。」


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年9月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。