2011、流行語大賞は自粛?

2011年04月09日 10:01

自粛と言う言葉がまるで新興宗教の如く広まっている。モハメッドが広めた右手にコーラン左手に剣、宜しく、自粛を強要すると共にこれに従わない人間には不謹慎と言う言葉を、剣に代り浴びせかけるらしい。

昨日偶然ではあるが、自粛教の布教現場に遭遇した。仕事の合間にタリーズでコーヒーを飲んでいたところ、中年女性二人が隣の席に座り話を始めた。断っておくが、私はこの二人に何の興味もなかったし、盗み聞きをした訳でもない。5メートル先でも聞こえる程の大音量で喋っておられただけの話である。取分け布教に熱心な女性は。

話は普通に天気の話で始まり、遅ればせながら桜も満開で週末はお花見?みたいな全く普通の展開であった。

違ったのは自粛教の方の女性が激昂と迄は行かないものの興奮し、この非常時、要は東北の被災者がえらく難儀をされてるさ中に、花見等もってのほかとまくしたてた事である。

不謹慎と言うお約束の言葉も何度か登場した。今一方の女性は出来た方なのか、或いはこんな面倒な話どうでも良いのか適当に受け流し紛糾するには至らなかった。

店内は8割程度の入りで、若い人が多かった。どう思ったのか聞いて見たかった。多分気の弱い人なら自粛に向かうんだろうなと言うのが私の感想である。若い人は理屈より、面倒な事を嫌う様に思う。

それから、あの自粛教のおばさんこの週末桜の名所をまわり、お花見の自粛を説く積りではないだろうか?そんな事も漠然と考えた。

何時の時代でも、どの国でも、宗教の害毒は唯我独尊と偽善、そこから来る他人への不必要なおせっかいと、時には強制である。

客観的に観て迷惑極まりない話で、不適切な他人への強要なのだが、本人は正しい事をやってると錯覚し、自分勝手で独善的な善意の行動に陶酔しているので始末が悪い。

小学校卒業程度の学力があれば、自粛等誰の為にもならず、寧ろ東北の食材で料理を作り、これを肴に東北の銘酒でお花見をした方がよっぽど東北復興に貢献出来る事判る筈だ。

もっと露骨に言えば、この自粛教のおばさんこそが厳しい状況に置かれた東北の人達を更に追いつめているのである。

本当に無知と宗教程怖い物はないと思う。

自粛教の台頭を流石に危惧してか、自粛の自粛を!と訴える人も出て来た様だ。気持ちや言わんとするところは理解出来るが、所詮言葉遊びの域を出ていない。

それにしても、何故この種のおばさんが増殖するのであろうか?実に興味深い。

こういう記事を投稿すると、決まってtwitter等に不謹慎であるとか攻撃に向かう若い人達、彼らは決まって偽名と趣味の悪いアイコンで身を隠す卑怯者であるが、と共通する所があると思う。

知的弱者であり、体系的に自分の意見を纏める事等出来ない彼らであっても、不謹慎だから自粛せよはある種短いフレーズのお経であるから言える。

そして、群れて数を頼み、広い視野、深い洞察力、考え切る力を持つ智者を攻撃したりする。

中国の文化大革命がこの典型であろう。字も読めない若者が大学教授を見せしめに市中引き回し拷問した。時には死に至らしめた事もあったようだ。戦後中国の復興は文化大革命で大きく遅れた筈である。

日本は法の支配が貫徹され、法を順守する限り国民は自由に考え、考えた事を表現、発表し各自の信念に沿って行動する事が保障されねばならない。

そしてコインの裏表であるが、同時に自分の頭で考え、考えた内容を上手に纏め上げアウトプットし、自身の行動には責任を負わねばならない。

個人として独立した日本人こそが、世界市民として世界でやって行けると確信する。

3.11以降の日本に要らない物は自粛教のおばさんやこれに付和雷同する知的弱者の若者であろう。

その意味で、2011の流行語大賞に自粛が選ばれる事のない、今後の展開を希望する。

山口 巌

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