外国の学生との日本的経営についての討議 --- 岡本 裕明

2012年02月19日 08:00

私のところに地元大学院の学生さんがインタビューに訪れました(編集部注:筆者はカナダ・バンクーバー在住)。内容は日本的経営について。

インタビューの詳細を事前に察知していませんでしたので予習や下調べなくいきなり勝負でした。学生さんが一番興味を持っていた内容が「何故日本の若者は(起業をしに)外国に来ないか」「日本的経営とカナダ的経営」ということでしたので内容的に皆様とシェアしたく今日はその一部をご紹介します。


まず、「日本の若者は何故、(起業をしに)外国に来ないか」という質問ですが、一言で説明するのは難しいし、予習なしでは厳しい質問でしたが私は次のように答えました。

現代の日本がスタートしたのは第二次世界大戦後であり、アメリカがさまざまな形でサポートし、日本は高度成長期を迎えた。成長期を謳歌した団塊の世代やブーマーはバブルの崩壊で一つの区切りとなったものの十分な経済成長過程を楽しんだ。しかしその子供たち、特に1971年から74年頃に生まれた団塊ジュニアは親の華やかな生活振りを背中越しに感じ、自分達もそれに近いライフを享受できると思ったが、社会人になってみれば年収は減り、正社員は減らされ、縮小経済の罠にはまりそのギャップを感じていた。そこでは夢を見る余裕はなく、常に今日明日、という短期的視野に立つ現実社会に左右されやすくなった結果、海外で一旗上げる、という気にはなれないのかもしれない、と考えを述べました。

また、日本からの海外留学生が減っているという点に関しては、中途半端な豊かさの中で学んでしまい、ぬるま湯状態にある、と指摘しました。

日本的経営とカナダの経営で何が違うか、という質問にはこう回答しました。

カナダのA社に勤めるヒロさんがカナダのB社に転職したらヒロさんは禁止条項に触れない限りにおいてA社時代の顧客をB社のビジネスに繋げることで期待に応える。あるいはA社で培った人的つながりや営業努力、更にはトレーニングなどを通じた個人の能力をB社で発揮することにある。

日本のX社に勤めるヒロさんが日本のY社に転職してもヒロさんはただの新人であり、ゼロスタートである。なぜならX社時代、ヒロさんは個人能力というより「X社のヒロさん」であってヒロさん個人は欧米ほど価値評価されない。言い換えれば、日本では個人プレーより会社という組織に所属することに意味があり、取引相手先もX社のヒロさんは名刺の社名と肩書きによってサポートされている。カナダ(或いはアメリカ)との違いは個人と会社ではないか、と答えました。

日本の経営のヒエラルキーはどうか、という質問に対しては日本企業の経営陣は長年会社に勤務して「その会社のエキスパート」であることに価値をおくがカナダやアメリカは「会社経営という職人」が経営のハンドル捌きを見せることに相違があるのではないか、と。

例えば日本の重役はその会社に30年勤め、会社の隅から隅まで知っていることに意味がある。だから、日本の会社の社長は現場にも良く出る。一方、日本の重役が他の会社に移って力を発揮できるかといえば欧米の経営のエキスパートに比べ、何処まで能力を発揮できるかは疑問が残る。

こんなことをつらつらと討議しました。カナダの学生さんにとって日本が不思議の国に見えているようです。それは学生さんの主題である日本的経営が経営のスタンダードとなりうるか、という疑問のようでもありました。

日本の良いところは品質やサービスが均一化されていること、それに対してカナダやアメリカでは会社の名前を通じた信頼関係よりもそこで働く人との関係が重視される気がします。カナダで大企業が育たないのは規制とルールに縛る企業規範がカナダ人には我慢できないのではないでしょうか?それゆえにカナダには中小企業が多い、と学生さんに説明したところに妙に合点がいっているような感じでした。

たまにこうやって価値観が違うもの同士で討論すると自分の考えがまとまり、実に楽しい気がします。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年2月16日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。

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