ペーパーテストによる入試選抜は、学生の学習意欲を削いでしまう --- 竹内 健太

2012年09月29日 15:47

池田信夫氏の記事「ペーパーテストをやめたら大学は崩壊する」の本質的な問題は、私がこの記事に対してツイートしたように、日本には大学の数が多いことである。これは2年程前の記事で池田氏が述べていたことである。日本では社会人になるために、新卒一括採用が存在しているため、高校を卒業すると大半の学生は大学に進学する。そんな社会人へのレールの中で、大学入学が存在しているが、少子高齢化により大学全入学時代が到来し、大学を選ばなければ誰でも大学へ進学できるようになった。


そのような誰もが大学へ入ることができる時代の中では、より偏差値の高い大学への進学実績を作ろうとするのは一部の有名高校だけであり、私が卒業した普通の高校は、とにかく大学へ進学すれば良いという考えであった。そのため私が卒業した高校の教師たちは、生徒たちを偏差値の高い大学へ進学させようとするインセンティブはほとんどなかったと思える。このように、大学の数が多いため、大学入学に競争が生じないため、日本の大半を占める普通高校の教師には生徒たちへの教育に対して努力をしようというインセンティブが湧いてこない。その結果、大学へ進学できてもどこにでもいるような平凡な学生が生まれてしまう。

もう一つ、大学教育に存在する問題は茂木健一郎氏が述べる、学力を「偏差値」という物差しで測るペーパーテストである。このペーパーテストによる大学入試の弊害は、中学高校で学ぶ数学や英語、理科、社会のような科目を、問題を解くための手段として教えずに、教えること自体が目的化してしまう教育を作りあげてしまうことである。本来、学問は自然現象や社会現象に潜む問題を設定し、その問題を解くための手段であるべきある。しかしペーパーテストは往々にして、それぞれの科目を手段として身につけることを要請しているものではなく、習得すること自体が目的化してしまうようになっているのだ。

私が卒業した高校は、学年で250人程度の学校であるが、国公立大学に進学するのはそのうちの2割程度であり、東京大学のような旧帝大に合格するのは数年に1人の程度という、平凡でどこにでもあるような高校である。高校での教育は、数学や英語、理科、社会などの科目が有機的につながるようなものではなく、全てがそれぞれ単独で身につけることが目的化してしまっていた。学問を習得する目的、勉強する目的は直接教えられることはなく、淡々と文科省の指導要領に基づいた教科書で授業が進むのである。はっきり言って、勉強することが面白いと思えるわけがない。私は、数学や英語、理科などの科目を身につけることは、自然や社会現象に潜む問題を解くための道具でしかないと理解したのは、大学に入って時間が経ってからのことである。

このように、偏差値で測るようなペーパーテストを導入していると、中学や高校での教育において、数学や英語、理科、社会などの科目が有機的につながらず、手段としてではなく学ぶこと自体が目的化してしまうのである。このような教育をしていると、過去の私のように勉強することが面白いと思えない学生を増やしてしまい、学ぶ意欲を削いでしまうことになる。ペーパーテストのような入試選抜方法では、教師が文科省の指導要領を忠実に守って教えていれば解ける問題であるので、教師側は特に努力する必要もない。問題を作成する側は楽であるし、採点する側も楽である。知識を問う問題をベースにすれば、まるバツで採点することができ、マーク式であれば機械で判定できるのでなおさら簡単である。

しかし、現代の世の中に潜む問題は複雑なものであり、知識をベースにした教育方法では解くことができないものばかりである。様々な学問を身につけてそれらを有機的につなげて、それぞれの学問を手段として用いて、問題を設定し、解を導いていかなければならない。そんな現代にペーパーテストはそぐわないのだ。ペーパーテスト形式ではなく、試験ではインターネットや辞書を積極的に利用してエッセーを書かせたり、面接形式での口頭試問によって今までの経験や学んだ知識をフル活用してその場で最適な解を出すような、ペーパーテストとは違った評価形式で学生の能力を測っていく必要がある。そのことを茂木氏は言いたかったのではないか、と私は感じたのだ。

したがって、まず定員割れしている大学を廃止したり統合したりするなどして、大学の数を減らすことが必要である。そして、入試の選抜をペーパーテストのような形式ではなく、もっと学んだ知識を手段として用いるような問題を設定できるエッセーや口頭試問のような面接形式に改めるべきである。そうなると、中学や高校での教育が、ただ単にそれぞれの科目を教えること自体が目的化せず、手段として用いるような教育となり、科目ごとが有機的につながり、勉強する目的が理解できるようになる。そして、学生を選抜する側は、評価をまるバツではつけられないため、優秀な学生を選抜しようと血眼になる。中学や高校で教える側も、世の中に存在する多様で難題な問いを設定し、手段として数学や英語、理科などの科目を生徒たちに教育しなければならないので、様々な知識を要することにもなり、教育するインセンティブが湧いてくる。そうなれば、今よりも多くの子供たちが学ぶことを楽しいと感じ、そして今よりも優秀な学生が増えるのではないだろうか。

竹内 健太
リハビリテーションセラピスト
twitter:@kentatakeuchi(T☆K)

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