イランとの妥協は「軟弱外交」である --- 岡本 裕明

アゴラ

歴史的合意、とキャプションを打ったメディアもありました。イランの核開発に対してけん制をしてきた欧米。それは厳しい経済制裁となり、日本もイランからの原油輸出が出来なくなるなどの影響を受けています。が、アメリカとイランの歴史的電話会談を経て今般の核開発の段階的凍結に至りました。しかもアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国という主要国が合意の上で到達したものです。


合意そのものは素晴らしいことです。ただ、急速に進捗したこの合意はさまざまな利害関係の中で生まれた妥協の産物であったかもしれません。実を言うと私はこのニュースに初めて接した時、一番先に頭に浮かんだのが幣原喜重郎の軟弱外交でありました。

幣原喜重郎は戦前の日本を代表する外交官であり、終戦直後、総理大臣もした人です。ただ、終始、目立たない人であり、総理になると発表された時、「あの人はまだ生きていたのか」と言われたのは氏の歴史を知る人には有名な話です。この幣原氏は外務省では吉田茂、広田弘毅の上役であり、当時の吉田、広田と幣原の関係や影響は日本の外交史としては必読だと思います。

その幣原氏は軟弱外交として有名であり、強硬な軍部に対して宥和路線を強く押し出していた人であります。外交史の中では必ずしも高い評価とはいえませんが、あの時代によく踏ん張ったという意味で私はもっとも興味をそそられた人物の一人です。

さて、イランですが、なぜ、この合意だったのでしょうか?

最大のトリガーはイラン側にあったと見るべきです。経済制裁によりインフレと失業率で国内経済は壊滅的な状態になっています。そのため、穏健なロウハニ師としてはまずは国内経済の建て直しは最重要と考えた節があります。

次にシリア問題が小康状態にあることもあるでしょう。一時期シリアと欧米の関係が最大限に緊迫した際、ロシアのうまい手引き、そして、欧州でなし崩し的にシリア攻撃への反対ボイスがあがったことでオバマ大統領は窮地に追いやられてしまいました。

もともとオバマ大統領がシリアを攻撃するというスタンスになること自体が不思議であったのですが、どうにか、あげた手を下ろすことが出来ました。しかし、そこには支持率という大きな代償があったことも事実です。

今回、イランとの暫定合意はオバマケアなどから目線を逸らすためという共和党からの厳しい指摘もありますが、それもまんざらうそではないと思います。

ですが、私は最大の暗躍者はロシアだったのではないか、と見ています。ロシアは中東問題をうまくまとめあげることで窮地にあるアメリカとの政治手腕と外交関係においてその差を縮めようとしているように見えます。

米ソ冷戦時代は1991年のソ連崩壊でパクス・アメリカーナが完成したわけですがその繁栄の時期は10年後の911で崩壊したわけです。その後、ロシアはBRICsの一角として一時的な経済的繁栄を通じて新たなる冷戦時代を作り上げる準備を着々としてきています。中国との「都合のよい関係の構築」はその一例でしょう。シリアやイランへの影響も勿論あります。が、それ以上にエドワード・スノーデンがロシアに転がり込んできたことでプーチンを狂喜乱舞させたのです。このたった一枚のカードで世界のゲームはすっかり様相が変わってしまったのです。ゴルフでいう「オナー」は今、ロシアにあるといってよいでしょう。

私が幣原喜重郎を思い出したのはバラク・オバマ大統領がまさに重なって見えるのです。幣原のボイスは当時、かき消されることが多かったのですが、それは氏の影響力がなかったともいえるのです。オバマ大統領が6カ国との話をまとめたというのを歴史的合意とすればそれは美談であり、深堀されていない気がします。

パクス・アメリカーナの終焉からロシアー中国というラインが政治的により強固なものに組成されていくのならこれは厄介です。理由は焦点がアメリカの弱体化に向かうからであります。こう考えれば日本はこの合意そのものとそこに含まれる外交をどう捉えるか、一考の余地はありそうです。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年11月25日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。