毎日の生活をより開放的にしてくれるKY(空気を読めない) --- 内藤 忍

アゴラ

ニューヨークに来てから、4日目になりました。時差ボケは相変わらずひどい状況ですが、街のリズムが何となくつかめてきて、この街ならではのオーラを感じるようになりました。

以前は、この街を歩くのに、日中でもとても緊張したものですが、今は随分違います。深夜に通りを歩いていても危険な感じはまったくありません。東京よりも安全ではないかと思うくらいです。深夜にホテルの近くのイタリアンバーに入ったのですが、日曜日の深夜だというのに、多くのお客さんでにぎわっていました。


それにしても、ニューヨークに来るといつも感じることは、開放的な気分になって、心の中からエネルギーが湧き起こってくるような感覚に襲われることです。東京と比較するせいかもしれませんが、抑圧から解き放たれるような快感があるのです。10年前も、20年前も、そして学生時代に来た30年前も、この感覚は変わりません。

その理由を考えてみると、KY(空気を読めない)であっても誰も気にしない、相互不干渉の気質があるからだと思いました。

恐らく、他人に対して迷惑をかけなければ、何をしても良いという自由が徹底している。人からどう思われるかとか、誰かに見られているという制約を感じることなく生活できる雰囲気があるのです。

街中を歩いていると、そのファッションの多様性に驚きます。思いきりお洒落に恰好つけた人もいれば、サンダルに短パンというスーパーカジュアルな人もいる。レストランに入ると、注文の方法も自由です。それなりのレストランでも、コース料理を頼まず、好きな料理を適当にピックアップしても、受け入れられる。その人のやりたいことが否定されず、自分のやりたいことが気持ち良く実現できるフレキシビリティがあります。

日本では協調性を重んじ、相手の気持ちを推し量る。とても、「思いやり」がある社会です。しかし、その代償として、自分のことよりも周囲のことを考え、場の空気を読んで、それに沿った行動をすることが求められているのです。

しかし、そんな「場の空気」とは誰が決めるものなのでしょうか? 何か1つの決まった価値があるかのように思い込み、それに沿って何をすべきかをみんなが考えて、結果としてみんなが疲れてしまっている。

そんなことにエネルギーを使うのなら、それぞれが自由に自分の価値観で行動すれば良いのです。1つの価値を全員がシェアして、そこから外れるとKY(空気読めない)という世の中は何とも息苦しく、無駄なエネルギーを使うことで疲れてしまうと思うのです。

日本の常識は世界の非常識と思うことが良くあります。もちろん、アメリカの常識も世界の非常識であることも多々ありますが、少なくともニューヨークで感じる自分のやりたいことを他人に迷惑をかけない限り自由にやるという風潮は、人を元気にすると感じました。

編集部より:このブログは「内藤忍の公式ブログ」2014年6月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。