今必要とされる「善い会社」

松本 徹三

日経ビジネスの2月9日号に「善い会社」100社ランキングという特集記事が出ている。「今必要とされる善い会社」とは「働き手、顧客、取引先、地域社会、投資家、等々、多様な利害関係者の全てに、持続的にプラスの影響を与える組織」であると定義し、過去10期にわたる「連結営業利益率(40点)」「従業員数及び増減率(20点)」「法人税額(20点)」「株価変動率(20点)」の総和から順位を算出している。1位が70.7点でソフトバンク、2位が65.4点でファーストリテイリング、3位が65.2点でキーエンス、以下ファナック、ヤフー、イオンモールと続く。


「面白い会社」とか「ダイナミックな会社」とかいう評価は受けても、「善い会社」とまではあまり言われた事のないソフトバンクが首位にランクされたのは、過去に6年弱この会社の役員の端くれを務めた私としても大変嬉しい事ではあるが、今回この事を取り上げたのは、別にそれを自慢したかったからでも、古巣の経営者にヨイショをしたかったからでもない。これを機会に、私自身でも何が「善い会社」の条件であるかを深く考えてみたかったからだ。

私なりに考える「善い会社」も、日経ビジネスの考えと基本的にはほぼ同じだと言ってよいが、その眼目は若干異なる。

私の定義でも「善い会社」というものは下記となる。

1)「顧客(消費者や生産者)が必要とし、買ったり使ったりしたいと思う商品やサービス」を提供する会社
2)直接・間接に多数の人たちが雇用されるような活動を行い、且つ、それが維持・拡大されるように努力する会社
3)多額の利益を上げ、法人税や各種の寄付金、社会活動等でその多くの部分を国に還元する会社
4)資金的に会社を支えてくれている株主に「株価の上昇」や「高配当」で報いる会社

1)と2)を合わせて合計60点、3)と4)を合わせて合計40点の評点としたいと考えるので、ここまでは日経ビジネスとほぼ同じだ。

しかし、この採点のベースとなる指標については、私としては、まず、連結売上高に15点、総投資額に15点、売上利益率に15点、人件費の支払総額に15点をそれぞれ割り当て(これで合計60点)、次に、法人税の支払総額に20点、配当金支払総額に10点を割り当て、最後に「将来の発展性に対する市場の期待を示すものとしての株価総額(市場価値)」に10点を割り当てたい。また、これらの数値の算出にあたっては、日経ビジネス同様、過去5年間の累積値や平均値だけではなく、増減率(成長率)を加味するものとしたい。

こう言えばお分かりの通り、私の着目点が日経ビジネスの着目点と大きく異なるのは、日経ビジネスでは「売上利益率」一本に割り振っている40点を、私の場合は15点に縮小し、その代わりに「売上高」と「投資額」に新たに15点ずつを割り振っている事である。また、雇用関係については、自社の正社員の数ではなく「非正規社員も含めた人件費の支払総額」で測るものとし、更に、これについての評価は20点から15点に減額、その代わり「他社での雇用の創出」を「売上高」や「投資額」の指標で評価する事にしている。

今回の日経ビジネスの特集では、「規模は小さいが自らが創り出している付加価値が高い会社」が、高い評点を得るにふさわしい「善い会社」であると言いたいように見えるし、その事に世間の耳目を集めたいという意図も私は高く評価する。今回の特集で紹介されている幾つかのユニークな会社も、その意味で全て極めて魅力的だ。

しかし、それでは「自らが生み出す付加価値はわずかだが、大量の人を雇い、大量の資金を運用して、大量の商品やサービスを需要者に提供している会社」が少し可哀想な気もする。例えば、付加価値はわずかなのに売上高がべらぼうに大きい総合商社などは、40%の評価の対象となる「売上利益率」は極端に少なくなるから、全て「善い会社」ではないとして圏外に遠ざけられてしまう。これは少し不公平ではないだろうか? (私は、最近、かつて勤めた総合商社のあり方等についてあらためて深く考えることが多くなっているので、特にそう思うのかもしれないが。)

そこで、私は、日経ビジネスが敢えて無視している「売上高」や「投資額」を敢えて重視した。元来、需要者が潜在的に求めている商品やサービスを創り出して供給する為には多くのプレイヤーが連携することが必要だし、その為には誰かが大きな投資を決断して、こういった連携をリードする必要がある。これがなされないと、それを創り出す能力を持った会社がいくら手ぐすねを引いて待っていても、彼等がその設備や人員をフルに稼動する機会は失われてしまい、そうなると消費も刺激できず雇用も生み出せなくなってしまう。

(最終的に需要者が支払う商品やサービスの対価はこれに関係した多くのプレイヤーが受けとるネット収益の総和であるのに対し、「売上高」なるものは各プレイヤーが二重にも三重にも計上する空虚な数字であるから、これを過大に評価するのは禁物だが、「善い会社」を評価する為の評点の15%程度を割り振るぐらいなら、まあ良いのではないかと思う。)

この特集で、日経ビジネスが読者に注目して欲しかったのは、従来ともすれば「悪いこと」であるかのように思われがちだった「利益を生み出すこと(儲けること)」を「善いこと」であるとする事だったと思うが、その観点からも、利益の「質」を示す指標である「売上利益率」が、利益の「量」を示す「納税額や株式配当額」の総和より大きいのは、ややバランスを欠くのではないかと思う。納税や配当の原資となる営業収益は「売上高」に「売上利益率」を掛け合わせたものであるから、「売上高」の無視はその意味でも問題だとも思った。

雇用についても然りで、自社の社員数と彼等に支払われている給与などだけでは、雇用問題に対する貢献の評価には片手落ちだと思う。誰かが売上を着実に拡大していけば、そして新しい事業に対して誰かが投資をすれば、それによって生まれる雇用は自社による雇用にとどまらず、関係するすべてのプレイヤーの雇用を創出することになり、貢献度は更に大きくなる筈だ。

一方、率直に言って、「投資額」の評点が今回の日経ビジネスの評価基準から完全に欠落しているのは解せない。「善い会社」の経営者に求められる最大の決断は「何に、どのタイミングで、幾ら投資するか」であると思うのだが、それが評価の対象になっていないのは何故だろうか? その評価なくして果たして「善い会社」を本当に見つけ出せるのだろうか? 

勿論間違った投資の決断は大きな損失を生み出し、その会社を「善い会社」どころか「悪い会社」にしてしまう。しかし、技術革新の早い現在の産業界では、積極的な投資活動なくしては、顧客が求める商品やサービスを供給して経済全体を活性化するのはとても不可能だと、私には思えてならない。

今回の日経ビジネスの「善い会社」特集を、私自身とても嬉しく受け取りながらも、敢えて一つのアンチターテーゼを提起したのは、とどのつまりは、「売上利益率」という一つの指標への過大な評価に大きな疑問を持ったからである。この指標に限らず、アナリストやジャーナリストには、一つの指標で物事を推し量ろうとする傾向が一般に強いように思えるが、多くの場合これは危険であると私は常日頃から思っている。

私の知っているある会社は、売上利益率が落ち、これをアナリストにマイナス要因として評価されることを恐れて、「潜在市場は大きいが売上利益率の小さい低価格商品」を切り捨て、無名の競争相手に躍進の機会を与えてしまった。本当は高率のオーバーヘッドを賦課しない第二ブランドを作ってでも、この市場でも圧倒的な優位性を維持し、競争相手を勇気付けるべきではなかったのだと私は思っている。

私が長年かかわってきたモバイル通信業界では、ARPU(一加入者あたりの収益)という指標が極めて重視されており、世界中の通信事業者の経営者はこの増減に極めて敏感である。しかし、市場によって、また個々のユーザーの性向によって、ARPUは極めて異なったものになるので、これを単一の指標として見ると経営を誤らせる事になりかねない。本当に重視すべきは「収益の総額(絶対額)」であって、これが順調に伸びている限りは、ARPUが減少しても全く構わない(場合によればむしろ当然)と考えるべきだ。

また、この業界では、近年アップルがiPhoneで巨額の売上を計上すると共に極端に高い売上利益率を記録しているので、日本の端末機器メーカーは軒並みに意欲を喪失してしまったかのようだ。しかし、日本の素材メーカーや部品メーカーは、売上利益率は低くとも、数量の伸びに支えられて安定した収益性を確保し、着実に業績を伸ばしているところが多いし、一定のブランド力を持つ日本の端末メーカーも、一つの指標に拘ったり、固定観念にとらわれたりしなければ、なお勝負のしようはあるのではないかと思えてならない。「低価格商品は何をやっても中国メーカーにはとても勝てない」と決めつけてしまうのは早すぎると思う。

これから生まれてくる「善い会社」は、何よりも「技術革新と市場の激変を歓迎する会社」であるべきだ。新しい会社が生まれてくる事に対する期待が大きいのは勿論だが、現時点で大きな売上規模を誇っている会社も、柔軟な発想と大胆な投資によって、自らこのような会社になって行って欲しい。