「教授」が知識人の、「ちょび髭」が大人の証明にはならない! --- 北村 隆司

2015年03月09日 18:56

橋下大阪市長と、京都大大学院の藤井聡教授兼内閣官房参与(防災・減災ニューディール担当)の論争が、罵り合いになっていると知り、藤井聡と言う人物は何者たらん? とウイキで検索して見ました。

米国のウイキに比べ日本のウイキの信頼性は劣るとの事ですが、藤井氏に関する記述内容に本人から疑義が出ていないようですので、かなり信頼できるのではないでしょうか?

藤井氏の専攻分野は、「人文科学」「社会科学」「土木工学」「総合政策学」とあります。


人文科学とは「哲学、論理学、倫理学、美学、宗教学、歴史学、考古学、地理学、文化人類学、民俗学、言語学’文学、芸術学、教育学、心理学、社会学、人間科学」等々を含み、社会科学は「人類学、考古学、経済学、地理学、歴史学、法学、言語学、政治学、国際研究、コミュニケーション、心理学」等々を網羅した広い学問ですが、教授は更に「土木工学」「総合政策学」も専攻しているとの事ですので、いわば「森羅万象」の専門家だと言う事になります。

世界で数万、数十万の学者が細かな分野に分かれて日夜研究に励んでいる領域を、一人でカバーしている藤井氏は、秀才を通り越した不世出の天才に違いありません。

流石、京都大学の教授だけの事はある! と感心しながら、主な業績、研究活動の項を読み進めるうちに、これは臭い! ひょっとするとハッタリの強い「雑学屋」「何でも屋」ではなかろうか? と言う疑問が湧いて来ました。

業績項目を読みますと「こんな学者の説やこんな本を紹介しました」程度の事で、具体的な成果は何もありません。

数ある受賞歴も、学会仲間で持ち回りするような賞が殆どです。

罵り合いの発端となったと言う藤井氏の「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」と題するネットの文章も「問題解決のためのビジョンとミッションと達成方法の提案を目的とした実学重視」の「総合政策学専攻学者」とは思えない、大受けを狙った難癖だけで、建設的な提言や対案は何一つ見つかりませんでした。

「大阪都構想」を論ずるのが本稿の目的ではありませんが、これでは、橋下市長が「バカな学者の典型」と怒るのも無理はありません。

これと同じ手法で世間の注目を浴びたがる人物に、藤井氏と同じ理科系の博士号(東大)を取得し、国立大学の教授を務める早川由紀夫と言う人物がいます。

早川教授は「福島県の住民は家を捨てて移住すべし」「福島県で育って放射能を浴びた娘は我が家の嫁には迎えないが、これは合理的な理由があるから差別ではない」「福島県の農家が牧場で牧畜やセシウムで汚染された水田で稲作を行うのはサリンを作ったオウム信者と同じだ」といった過激な発言を繰り返し、多くの非難を浴びましたが、早川教授は「ツイッターの読者を増やすために意識的に刺激的な発言をした」「地図を広め、理解を浸透させたかった」と説明している由。面の皮の厚さだけは一流です。

大阪維新の会から「間違った情報を流し、市民に誤解を与えている」として公開討論を申し込まれた藤井氏は、「喧嘩の申し入れに過ぎない」として、公開討論を拒否したそうですが、与党と野党が向かい合って座るイギリス議会の議場は、対峙する座席の前には剣線(Sword Line)と呼ばれる赤い線が引かれていますが、これは決闘に際して両者がその先に出てはならないとした線です。

英国が、議会の座席をこの様に定めた理由は、重大な意見の違いを決闘で決着していた従来の習慣を廃止して公開討論で決しようとしたもので、これが民主議会政治の始まりでした。

この有名な事実を知る筈の大天才の藤井教授が、維新の会の公開討論の申し出でを「喧嘩の申し込み」だとして拒否する理由が判りません。

藤井氏と橋下市長の罵り合いは別として、内閣の中枢である内閣官房参与と言う特別国家公務員の身分にある藤井氏が、地方に与えられた権限が余りに小さすぎるとして統治改革を唱える地方公務員の「大阪府知事・大阪市長」を相手に「公権力者による言論封殺である」と吠えるに至っては、笑止千万です。

更に、論議の主体でも客体でも無い「京都大学」を持ち出して「京大をなめてもらっては困る。弾圧には絶対に屈しない」とか「わが京大は言論封殺には屈しない」などと言い出すようでは、典型的な「虎の威を借る狐(権勢を持つ者に頼って、威張る小者の事)」だとしか言いようがありません。

誰が資金を出しているかは知りませんが、こまめに大阪まで出張って自民党や反橋下集会に出る暇があるなら、多くの被害住民が救済を待っているにも拘らず、東日本大震災の復興予算のうち、約5兆円が使われず、国庫に残ったままになって居る事実を会計検査院から指摘された事を深く受け止め、国民に頭を垂れて謝罪し、直ちに防災・減災ニューディール担当の内閣官房参与として東日本大震災の早期復興に邁進するのが当たり前です。

それでも、このまま、講演会やテレビ出演、政治活動、マスコミへの寄稿などアルバイトを優先するのであれば、京都大学の学生からすれば詐欺師、国民から見れば税金泥棒と呼ばれても仕方がありません。

現役正教授だけでも千人を越える京大の教授の品質管理の難しさは判りますが、京大もこの種の粗悪教授は何とかすべきです。

此処まで、激しく藤井氏を批判して来ましたが、本稿は「都構想」の是非を論じたり、橋下市長を支持しり、藤井氏を非難することが主題ではなく、岐路に立つ日本の将来に重大な役割を持つ知識人の腐敗を指摘することが目的です。

1835年、30歳の若さで『アメリカのデモクラシー』を著したフランスの天才的政治思想家のトクヴィルは、多数派世論を構築する新聞(現在のマスコミ)と政治とが密接な関わり合いを持つ米国型民主主義の将来は「新聞(マスコミ)の劣化による大衆世論の腐敗や混乱で引き起こされる社会の混乱は、大衆の教養水準や生活水準に大きく左右される」と指摘し、その混乱を防ぐ重要な役割を「知識人の質」に求めました。

その点、日本の知識人の質の激しい劣化を見ますと、日本の将来には多くの困難が予測されます。

何故、日本の知識人や我々国民の教養水準の劣化が激しいのか?

その答えは、1957年に「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」と述べた社会評論家の故大宅壮一氏の言葉に隠されているように思えます。

1957年当時は「一億総白痴化運動」への加盟を躊躇していたその時代の「知識人」の誇りも、藤井氏の例にもある通り、その後は売名と金の魔力に押された”知識人”は、先を争うようにタレント化にいそしむ事となり、それに輪をかけた様な粗悪なネットの拡大は、誠に嘆かわしい限りです。

この現状を知るにつけ、「テレビ局は『コメンテーターにはその道の専門家を起用する』という当たり前のことをルール化すべきだ」と言うあるネットに載った意見には、我が意を得たりの感があります。

元東京大学総長で文化勲章の受章者でもある有馬朗人博士も歎きは同じで、数学者で文化勲章受章者の岡潔博士の「春宵十話」の文庫化に際して、こんな一文をしたためています。

「私は一芸に達した人々の著書を読むのは楽しい。岡先生の本もそうだが、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎、数学のフィールズ賞、文化勲章を受けた小平邦彦等々の人々の、専門を越えた話、教育論などとても参考になり、読んで楽しい。しかしそこまで一芸に達しない人々が、単に大学の教授であるくらいで、専門を越えてさまざまな述べる意見にはあまり賛成しないことが多い。この人々は先ず自分の専門で十分認められる仕事をすべきである。或は書くならば自分の専門についての一般向けの本を書くべきであろう。このことは大いに必要である。しかし自分の専門でない分野について述べる時は、客観的データを中心にできるだけ主観を排して、客観的な論を展開すべきであると思う。又積極的に意見を言いたい時は、科学者であるとか数学者であるとかという肩書を捨てて、一般人の立場で書くべきであると考えている。」

藤井氏は2年前の動画で「対談したら負けない」と豪語したそうですが、対談は勝負ではありません。

どうしても対談で勝負したいのであれば、「警察に電凸する」に登場する“ノエル少年”との対談に留めて欲しい物です。

今回の藤井・橋下罵り合いを調べてみて、「教授」が知識人の証拠でもなく、「ちょび髭」が大人の証明にならない事をつくづく感じた次第です。

2015年3月8日
北村 隆司

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