安全保障関連法案成立の2つの危うさ

先日、安全保障関連法案が衆議院を通過しました。参議院の審議はありますが、議席数から考えると、法案が成立するものと思われます。この安保法案については、法学者の多くが「違憲」であるとの判断をくだし、世論調査では国民の大半が説明不足としています。
では、このような状況でなお政府がこの法案を成立させることの真意、背景は何なのでしょうか。また、法案成立のプロセスとして、強引ともいえる政府の姿勢は本当に国民のためであるのでしょうか。法案はまだ成立していませんが、2つの視点でこの法案成立を考えたいと思います。


まず、この安保法案の内容、政府の真意、そして背景ということを考えます。内容は端的に云うなら、従来から一歩踏み込んだ自衛権の行使(集団的自衛権)を定めるもので、更に具体的に云うならば、日米同盟の関係強化、米軍支援の拡大に他ならにと思います。先日の日米首脳会談では、日米同盟の強化がアジア太平洋地域の平和、強いては世界平和に寄与するとしています。確かに日本としては国際的な立場という視点からもっと軍事的な意味で国際貢献をすべきかもしれません。また、自国の防衛についても米国頼りの割合を下げる必要があるかもしれません。

しかしながら、米国の真意は日本の目指す方向に合致しているのでしょうか。元来、同盟は「alliance」であり、両者の利害が一致したところでのものです。米国の利するところ、その真意は日本の貢献なのでしょうか。米国の現状をみるなら、一時期の世界の警察官としての地位から「なぜ、他国の戦争に兵士を出すのか」という国民感情が表れ、第1次大戦後のモンロー主義まではいかないまでも方向性はそちらに傾いているように見受けられます。一次的、直接的には、その中でアジア太平洋地域の安定に日本の貢献を求めるのは当然の成り行きと思います。しかし、歴史的にその真意を探るなら、根本的には米国のアジア戦略は、如何に中国と対峙するかではないでしょうか。そうするならば、日本は米国の真意に十分に推量し、対応する必要があるのではないでしょうか。過去、日英同盟は英国のアジア戦略の中で、アジアの地域安定策の一部を担わせる目的で締結され、英国と米国の関係性(米国の要請)で終了しています。日独伊三国同盟でも、ドイツは当初の防共という考え方から自国の戦略を優先して、ソ連と手を結び、日本が追随してソ連を不可侵条約を締結した後に今度はソ連に進攻しています。英国にしてもドイツにしても、日本の同盟よりも自国の戦略を優先しています。欧米と日本の同盟に対する価値観の相違と云えばそれまでですが、米国が英国やドイツと違うと妄信することは危いことと感じざる得ません。米国の真意は推量するしかありませんが、例えば、対中国について考えるなら、米国にとって貿易相手国としては日本より中国の方が優先されることは貿易額の比較からも明白な事実です。

さて次の危さを考えます。まだ参議院の議論と採決を待つ状況ですが、政府は法案成立に意欲を見せており、議論や多少の修正があるにしても成立の方向であると思います。このような強引な法案成立のやり方、決定までのプロセスには国の意思決定という意味での危機感を感じます。「良薬口に苦し」という言葉がありますが、確かに世論が常に正しい判断をしているとは限りません。満州事変のとき、政府は世論に押される形で関東軍の事変首謀者の厳正な処分を中途半端な形にしています。この結果、その後の軍部の暴走の一因になったことは歴史が語るところです。一方、第2次世界大戦の開戦までの歴史を紐解くと軍部大臣現役武官制を盾にした一部の勢力(当時は軍部)の強引な政策主導は悪い結果をもたらしています。今回の法案決定がどこまで強引なものであるかは今後の情勢を見なくてはなりませんが、法学者をはじめとした識者等、政府に対するカウンターパートである人達の意見を尊重しない姿勢には非常な危さを感じます。先述のように世論が全て正しいとは限りませんが、直近の例では消費税増税の決定において、「増税は嫌だけど財政再建のために仕方ない」というところまで国民の理解があった中での決定であったと思います。

組織の決定プロセスの課題をもう少し考えてみます。組織の決定はその時点、状況下における正しい理論があり、幾つかの方策の中では一見正しい選択をしたようにみえますが、歴史的に振り返るとその是非は選択の理論を覆す場合が往々にみられます。組織に所属したことのある人なら誰しも経験することだと思いますが、組織の方向性を決めるような決定は、常に外部からのプレッシャーが重く圧し掛かり、時限的な制約の中で下されます。そのため、組織の中では客観的且つ長期的な視点での選択が難しいことは自明のことと思います。だからこそ、様々な視野で多くの知恵、見識を束ねた中での判断が必要なのではないでしょうか。

今回、もしこのまま法案が成立したとしても直ちにそれが戦争へ直結するものではないと思います。しかしながら、方向性としては傾きがその方向に向いたことは確かです。歴史的にみて、全世界的にみて戦争は如何なる状況、如何なる情勢においても一度始めるとエスカレーションするものです。ですから、戦争とは常になるべく距離を置くべきであると考えます。同時に自国の防衛という意味の力をどのように保持するかは十分に熟慮すべき事項と考えます。
上記の2つの危さと法案成立の将来的な意味を踏まえて、国としても熟考を望みます。 

後藤身延