井沢元彦「忠臣蔵 元禄十五年の反逆」

2015年11月25日 14:59

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井沢元彦の「忠臣蔵ー元禄十五年の反逆」は実におもしろいので簡単に紹介したい。最良の推理小説のようにスリリングでおもしろい。井沢はこの「浅野発狂説」によって赤穂義士関係者から蛇蝎のごとく嫌われている。

先ず、初めに「忠臣蔵」というネーミング。これは浄瑠璃と歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」に由来する。「忠臣蔵」というネーミング自体ある価値判断を表す。つまり「吉良上野介は悪人で彼にいじめられた浅野内匠頭はかわいそうな被害者で、主君の仇を討った大石らは忠臣である」ことを示している。
 
勿論、幕府に憚って時代を室町時代初期にとったが、主要人物はすべて実在の人物。
吉良上野介義央=高師直(こうのもろなお) 浅野内匠頭=塩冶判官高貞(この本で「塩谷」となっているのは間違い) 大石内蔵助=大星由良之助等。

ほとんどの「忠臣蔵」の映画、ドラマはこれを下敷きにしており、吾々の「忠臣蔵」観もそれによって形成された。
この「忠臣蔵」という命名自体先ほど言った価値判断が含まれているので、井沢は価値中立的な「赤穂事件」もしくは「赤穂浪士(義士や忠臣ではなく)事件」とでも命名すべきだと言っている。

最初に「仮名手本忠臣蔵」論。この作品は竹田出雲、三好松洛、並木宗輔の三名の合作であり立作者(「たてさくしゃ」と読む。メインライター)は並木宗輔とする説が現在では有力。竹田出雲はプロデューサー兼興行主。
この並木宗輔はこの作品以前に「南蛮鉄後藤目貫」という作品で上演禁止処分を受けている。理由は足利尊氏に擬えられた徳川家康が狙撃されるシーンが不敬に当るというもの。そのため並木は時代を更に遡って鎌倉時代初期にとり、「義経腰越状」を書いた。ここでは頼朝が家康に擬せられている。

つまり並木の作品には一貫して徳川幕府批判精神がある。そうした目で「仮名手本忠臣蔵」を見直すとどうなるか。
高師直を吉良と見立てることには相当無理がある。特に高師直が塩冶判官の奥方に横恋慕してすげなくされたために、判官につらく当たる点は史実とはかけ離れている。吉良が浅野の奥方の顔を見る機会は皆無だったし、吉良はこの当時60過ぎの老人であった。

ところが高師直を五代将軍綱吉に見立てると俄然辻褄が合う。綱吉は寵臣牧野成貞の奥方と娘をともに犯している。
だから実は作者の意図は、「吉良殺し」ではなくて「綱吉殺し」だった。そして作者は高師直が実は将軍綱吉だという手がかりを劇中に提示している。高師直の官名は「武蔵守」。「武蔵」と言えば概ね当時の江戸に相当する。その江戸に君臨しているものは誰か?容易に想像できるではないか? 江戸時代に入ると将軍家におそれ多いので「武蔵守」は誰も名乗らなかったが足利時代初期、都は京都であり武蔵は片田舎であったので「武蔵守」の官名も許されていた。

歌舞伎では勘平の職業を猟師に設定し、壁に毛皮を吊るしたシーンもある。これは「生類憐みの令」の痛烈な批判である。

作者の本当の狙いは「綱吉批判」、「綱吉殺し」だったが、ドラマとして出来がよすぎたために、吉良は悪人、四十七士は忠臣であるという観念がすっかり定着してしまった。  以上は作品としての「忠臣蔵」論

では実際の事件はどうであったか。
殿中刃傷事件と吉良邸討ち入り事件と分けることにする。
殿中刃傷事件の最も信頼できる資料は、この事件を間近で見ていて浅野を止めた梶川与惣兵衛の「梶川筆記」。浅野の凶行の前後部分を抜粋する。

梶川と吉良が立ち話をしていてところ、突然吉良の背後から「この間の遺恨覚えたか」と声をかけて切りつけたものがある。よくよく見ればそれは浅野であった。吉良は後ろを振り返ったところを切られ、さらに逃げようとしたところを切られた。自分は跳びかかって押さえつけた。以上「梶川筆記」から。

つまり映画、ドラマのように吉良が浅野をいたぶって、我慢しきれず浅野が吉良に切りつけたのではなかった。凶行を一部始終見た当事者の記録である。これ以上信頼すべき資料はない。これはどう考えても喧嘩ではないし、浅野だけ切腹させた裁きは喧嘩両成敗の仕来りに反するとは到底言えない。

浅野の家臣への口頭の遺言でも「予め知らせておけばよかったが、その時間がなかった。今日のことは仕方のないことであった。定めし不審に思っているであろう」というもので、切りつけた理由は何も語っていない。

一方、吉良は事情聴取に対し、「切られる心当りはない。浅野は乱心したのであろう」と答えている。たとえ心当りがあったとしても吉良はこう答えたであろうからこれだけで浅野乱心説を引き出すことはできない。

当時江戸詰めであった堀部安兵衛らも刃傷の原因について何も語っていない。吉良邸討ち入りの際の犯行声明文にも理由は書いていない。その後四十七人(正確に言えば寺坂吉右衛門を除く四十六人)は細川家ら四家にお預けの身となり死を賜るまで三ヶ月以上あり、その間浪士相互或いはお預かり家中のもの達とある程度自由に交流できた。浪士とのやり取りを書き遺した四家の記録もあるが、そこでも浅野刃傷の理由に触れたものはない。はっきりした理由があってこそ主君の行為を正当化できるのである。それを遺さなかったということは大石初め誰も主君刃傷の理由を知らなかったとしか思えない。
となると吉良の証言「浅野は乱心したのではないか」がにわかに真実味を帯びてくる。 続く

青木亮

英語中国語翻訳者

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