明るい人、暗い人

北尾 吉孝

トップは常に発光体でなくてはいけません。トップが暗い顔をしていると(会社全体の雰囲気が悪くなり)会社の運気を悪くするだけです。だから常に明るい会社にしておく必要がありますし、そういう意味でも和みや安らぎが感じられる会社でなくてはいけません――之は、拙著『ビジネスに活かす「論語」』(致知出版社)第五章で「常に戦場にいる意識を持つ必要がある」と題して述べた一節です。

多くの人を引っ張って行くリーダーは、常に暗いという人はリーダーとしては失格でしょう。リーダーという職責に在る人は、明るくなければその責任を果たし得ないとは言えるかもしれません。

昔し、小生のことを可愛がってくれた人に、八尋俊邦さんという方がおられました。三井物産で社長、会長を務められた方です。八尋さんは「ネアカ、のびのび、へこたれず」という名言を残されています。ネアカということはリーダーに限らず大切なことだと思います。

尤も、仕事によっては別に明るくなる必要性はありません。例えば「緑色蛍光タンパク質 GFPの発見と開発」に対し、Martin Chalfie博士(米)及びRoger Y. Tsien博士(米)と共に08年ノーベル化学賞を授与された、下村脩博士を考えてみましょう。

博士の場合「一家総出で、19年間に85万匹ものオワンクラゲを採集した結果がノーベル賞へ」と繋がって行きました。博士はクラゲを解剖し続け60年代に、オワンクラゲの発光源GFPを発見したのです。

そうして自分でずっと研究している下村博士のような方は、それ程明るい人間でなくても良いでしょう。仮に博士が所謂「暗い人」であるとしても、その暗い人が人類社会の発展に多大なる貢献を果たしているわけです。

人間やはり夫々に染み付いたものがありますから、明るいから良いとか暗いから駄目とかとは必ずしも言えないでしょう。但しリーダーはこう在るべきだとは前述の通り、発光体で常に明るくある必要性があるとは言えるのかもしれません。

『論語』の「衛霊公第十五の二」に、「君子固(もと)より窮(きゅう)す。小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る…小人は窮すると取り乱すが、君子は窮しても泰然としている」という孔子のがあります。

君子は常に定まった恒の心、恒心で乱れることがないのです。そして恒心を保っていればこそ、発光体であり続けることが出来るのです。また同時に、全体の雰囲気を和に持って行くことも出来るというわけです。

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