五輪のために巨額を投じて文化的迎合をする必要は全くない!

2018年03月08日 06:00

新国立競技場の建設現場を取り囲む東京都心のビル街(写真AC:編集部)

「文化」と「文明」はよく似ている。しかし、突き詰めて狭義に解釈すると、両者は大きく異なった概念だ。

広辞苑第七版には、以下のように記されている。

宗教、道徳、学芸などの精神的所産としての狭義の文化に対し、人間の外的活動による技術的物質的所産(が教義の文明である)。

具体的に考えると、経済活動や科学技術が(狭義の)文明であるのに対し、キリスト教やイスラム教などの宗教やそれらに基づく思想や生活様式が(狭義の)文化ということになる(以下の記述は「文明」も「文化」も教義)。

商業活動が世界レベルで活発になり、マネーが国境をまたいで動いている今日、金融・経済活動においては統一ルールがないと不便だ。
安心して貿易や国際投資ができないのでは、国際的な経済活動が停滞してしまう。また、科学技術等の分野でも、先進的な技術等が国境をまたいで多くの人々に恩恵にもたらす方が望ましい。現に、医療技術や製薬技術の進歩によって世界中の多くの命が救われている。

このように、文明はグローバルであることが概ね望ましく、実際、多くの分野でグローバルスタンダードが確立されつつある。WTOやWHOのように、文明の普及を推進する国際機関も多数存在する。

ところが、文化は国や地域によって大きく異なっても構わないし、その方が望ましい場合が多い。
キリスト教徒にラマダンの断食をさせるのはナンセンスを通り越して人権侵害になるだろうし、イスラム教徒に安息日を強制するのも同じだ。

日本は、明治維新と第二次世界大戦後、文明だけでなく文化面でも西欧に劣っているという風潮が世の中に広まってしまった。
明治維新後の鹿鳴館はその最たる例だし、戦後庶民の米国生活様式への崇拝とも言える憧れもその一例だ。

いいものや便利なものはどんどん取り入れてもいいし、それが日本文化の強靭さの一側面だろう。
しかし、自国の文化を卑下してまで西欧文化に迎合する必要は全くない。

室町時代にヨーロッパから来日した宣教師が日本の庶民の家庭の食事風景を見て、その”清潔さ”に感銘を受けたという手紙を母国に送っている。
生活の場である家に土足で上がらないのも、各家庭に風呂がなかった時代に銭湯が設置されていたのも、日本が世界に誇る清潔文化だ。

トイレのウオッシュレットに至っては、他国の追随を許さない日本の文化と文明の融合だろう。

死刑制度の存続や捕鯨を野蛮だというのは他国の文化の押し付けであると同時に、一夫多妻制や犬の肉を食べることを我々が非難するのも自国文化の押し付けだ。いずれも、異なった文化に対する敬意を失った矮小な姿勢だ。

東京オリンピック・パラリンピックの開催が近づいて、税金をはじめとする巨額の資金を投入して、対外的な外面(そとずら)を良くしようとしているように感じられる。しかし、清潔で治安のいい日本文化は、格別の化粧をしなくても地のままで十分世界に誇れるものだ。

オリンピックもパラリンピックも、それぞれたかだか2週間の運動会だ。
民間設備投資はともかく、無駄な血税を投じることなく自然体で臨めばいいのではあるまいか?


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年3月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。

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