「文書改竄はありえず」と官僚OBがいうのは本当か

2018年03月17日 09:00

フジテレビ「バイキング」より:編集部

フジテレビの「バイキング」で森友文書改竄問題で少し話をさせていただいた。そのなかで話したことと補足を書かせていただきたい。

東国原氏などほかの出演者は、「政府は佐川氏に責任を押しつけようとしているが、佐川氏は組織の犠牲になっているだけで、巨悪はほかにいるのではないか」といいたいようだが、それについては、すでに、 「佐川氏はなぜ文書改竄に手を染めたのか?」で指摘したとおり、佐川氏は自分が首謀者でもないのに泥を被る動機がない。そんなことをしても、地位も名誉も保てないし、金銭的代償もありえない。

基本的には、彼の出世欲が行き過ぎた文書改竄をもたらしたとしか説明できない。ただし、部下のやったこともある程度、かぶるとか、ほかの幹部にほのめかしていたことまでは可能性を否定しない。政治家や官僚の世界で、あまりはっきりいわずに、「ご迷惑をかけないようにできると思います」「それなら安心だ」的なやりとりはよくあることだからだ。

元官僚たちが、「文書は神聖なもので改竄なんぞありえない、財務省も地に堕ちたもの」だとか、もっともらしくいっているのには苦笑せざるをえない。役所を辞めたあと、「自分の現役中は絵に描いたような模範的な役人だった、まわりもそうだった」と言いだし、不祥事があると、「役所のモラルも地に堕ちた、自分には想像もできないことだ」という人が多い。

たしかに、そう言っておいた方が得に決まっている。そのことで、後輩たちの不祥事のとばっちりを自分は受けないし、霞ヶ関批判の片棒をかついだほうが評論家稼業で発言機会も与えられやすい。しかし、あまりにも現実離れすると、世の中を惑わすし、後輩たちにも迷惑をかける。まして、現役の役人に文書を改竄したことがあるか、行き過ぎた接待受けたことあるかとか聞いて、肯定的な回答など戻ってくるはずがない。

そこで、あえて天邪鬼に、ちょっと違うのでないかということを申し上げたくなった。
ただし、言っておきたいのは、今回の佐川長官のイニシアティブで行われたという改竄は論外だ。なぜなら、文書は残っていない廃棄したといい、それに辻褄を合わせるために、まさにその該当部分に手を加えたからである。

だから、文書改竄の善し悪しでなく、国会や世間に嘘を言ったことについて、私は許しがたいと思う。

ただ、その一方で、役所で文書というものが、いま、世間で言われているように、厳密に扱われ、そこに書いてあることは正しく、改竄など絶対にないのかといわれれば、少し疑問がある。(ただし、完全な電子決済が普及してくると少し様子が違ってくるので電子決済以前の問題として書いている)

だいたい、起案文書が稟議されてくるのを、丁寧に見ていたら日が暮れるし、一人一人がそんなことしたら、決済に何ヶ月もかかることになる。だから、持ち回りで「この文書の要点はなんですか」とかいって説明させて判子を押すとか、ひとこと「あの点は大丈夫ですね」とかいうだけで承認するのが普通のことだ。それぞれの部署にとってこれだけは最低、チェックしておかねばと思う点だけを見て判子を押す。

まして、添付書類なんぞしっかり見るはずがない。それはのちのちのために、関係資料をくっつけておいたほうが、確実な保存のために合理的だからそうしているだけのことも多いからだ。

また、稟議の途中で、添付文書を差し替えることくらいはあると思う。私の前に10人の人が判子押していたとしても、起案者が「新しいバージョンに差し替えたいので」とか「ちょっと間違いがありましたので」とか「よく考えたら余計だったので」といって差し替えたいといってきたら、「差し替えるなら、私より前に判子押した人からもらいなおしてきなさい」というかといえば、実質的に問題なければ言わないだろう。

決済が終わった後に添付文書の間違いを発見したら、その間違いが、決済の結果に影響を及ばさないものなら差し替えることがないとはいえない。添付資料が間違っていたからと言って、決済を取り消して取り直すことなんぞ面倒だからだ。

今回の改竄は、もともと、払い下げの決定に影響するとも思えない、周辺状況をしるしたものである。しかも、籠池氏の一方的な言い分など、信用もできないし、また、それが公開されれば、そこに登場する人たちに迷惑がかかるので抗議を受けることになるのは当然だ。

だから、そもそも、文書を添付したこと自体が異常であり、おかしいのである。だとすれば、それを「発見」したら、削除したくなるのは、ありそうな話である。

また、今回の改竄が犯罪になるかといわれれば、形式的にはなる。しかし、刑事罰に本当に問えるとして、起訴できるかと言えば、少し難しいかもしれない。決裁に影響を与えるような性質でないからだ。犯罪として成立するには、改竄しただけでなく、それが決裁に影響を及ぼしたことが必要になるのではないかという見方もあり得るのである。

また、NHKが

財務省は13日、同省近畿財務局が2015年6月頃にも、書き換えのあった14文書のうちの一つに添付されていた書類1枚を削除していたことを明らかにした。一連の書き換えは、17年2~4月に同省理財局の指示で行われたが、今回は、その2年前に財務局の独断で行われていた。同省は、学園側の情報公開請求に対し、不都合な文書を隠すためだったとみている。・・・・近畿財務局は学園側から賃貸料を下げるように求められていた。同省は、削除の理由について、学園側から賃貸料設定に関する文書の情報公開請求があり、問題の文書が開示されることで、財務局が、学園との交渉に本省が関わっていることや賃料設定の手の内を学園側に知られたくなかったため。

と報じている。

この場合など、将来、公開されるかもしれないということだったら、添付文書などにしなかっただろうという案件だから、気持ちとしては理解できるし、そういうことが他で絶対におこなわれていないかといわれれば断定などしない方が良い。だから、この修正をした人たちは、改竄そのものをどこまで異常なことと思ったかと言われれば、少なくとも、あり得ないことが起こったと言うほどのことではないと思う。

もちろん、上記のようないい加減な書類管理は、事務の電子化のなかで廃れつつある。途中で差し替えたら、その情報が共有化されることになろうし、逆に実態的には、あとで問題にならないように、最低限、必要な文書以外は添付しない、あるいは、面倒なことはそもそも文書化しないという自己防衛がされているのだと思う。

理想論と違って、手続き透明化は、その代償として「ややこしい話は、書類にしない」という方向に実態がながれることを防げないのである。

そして、「文書の改竄は常態化していたのではないか」と問題になっても、それについて、財務省もそのとおりだともいえず、このケースだけ非常識なことが行われたと言わざるを得ないのだろうが、そんなことをするから、嘘を嘘でうわぬりすることになるのだと思う。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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