不信任案提出より付帯決議獲得を選択した大人の国民民主党

早川 忠孝

働き方改革法案の付帯決議について演説する玉木、大塚両代表(国民民主党サイトより:編集部)

まあ立憲民主党や共産党の方々は不満だろうが、単に抵抗勢力としての存在をアピールするために委員長不信任案提出に拘った方々よりも付帯決議の獲得に向けて汗を流した国民民主党の方々の方を私は評価している。

委員長の不信任案を出せば、一定期間国会の審議をストップさせることが出来るのだが、今の国会の構成を考えれば不信任案が圧倒的多数で否決されることは明らかなので、国民民主党が党の方針としてそういう無駄なことはしないで、意味のある付帯決議を獲得することに勢力を費やされたことは立派なことだと思う。

付帯決議の書き方を工夫すれば、可決された法案の問題点や制度運用上の留意事項などが自ずから明らかになってくる。制度は作ったらそれでおしまい、ということにはならない。実際にその制度がどういう風に運用されるのか、ということを注視しておく必要がある。

法を作るのは国会だが、国会は法を作った後の運用についても責任を持たなければならない。
付帯決議は、大体は法案の問題点を浮き彫りにし、運用上の留意事項などを具体的に示すことが多い。

付帯決議の起案は、法律案を丁寧に検討した人にしか出来ない作業なので、付帯決議が付されているというのは、見方によれば、それだけ法案の審議が丁寧に行われたことを示す証拠にもなる。

反対という意見は、比較的簡単に出せるだろうが、法案の修正意見や付帯決議は相当程度深く法案を読み込んでおかなければ出来ない作業である。

多分、国民民主党には法案を深く読み込んで意見を述べることが出来る議員がいたということだろう。

国民民主党が、ちょっとだけ大人になったようだぞ。

国会が学芸会からちょっとだけよくなりつつある、という証左だろうか。

まあ、野党の統一行動を期待しておられる方々からは不興を買うだろうが、自民党は、本当はこういう勢力が大きくなるのを恐れているのではないかしら。

「穏健保守の野党はいらない、自民党さえあれば十分」という議論は成り立つか

中選挙区制になれば別かも知れないが、現行小選挙区制度の下では、穏健保守の野党の存在は必然だろうと思っている。

しかし、私が穏健保守とみなしている国民民主党の支持率が1パーセントを切っている現状では、「穏健保守の野党などいらない、自民党さえあれば十分だ」などという議論がそれなりに力を持つことは認めざるを得ない。すべては来年の参議院選挙にかかっているのだが、本当に自民党さえあればいいのだろうか。

小選挙区制度の下では、候補者公認権や政党助成金配分権、さらには人事権などを介して党の執行部の権限が格段に強くなっているから、党の執行部の構成次第では党内民主主義が十分機能しなくなる虞がある。

物も言えない平目の国会議員ばかりが増えたのでは、政治の世界から自由闊達な議論が消え、いつの間にか開明主義的な気風も失われていく。

政党において執行力の強化が必要な場合もあることはあるが、政治の世界から自由闊達な議論の場が失われ、社会全体に閉塞感が広がることは大きな損失になる可能性が高い。

自由民主党は、自由と民主主義を標榜している政党だから、今のところそれほど危惧しなければならない状況にはないが、霞が関の官僚の世界に忖度や隠蔽、改竄の悪弊が拡がりつつあったことはモリカケ問題や自衛隊日報隠し問題等でその一端が明らかになったとおりである。

あったことをなかったことにする、などというテクニックを駆使しているのではないかしら、と思うようなこともあった。

自民党の中での自浄力が適切に働いているのであれば別だが、現実には今の永田町ではある種の開き直りがそれないに通用しているように見えて仕方がない。

自民党の代わりに保守層の受け皿になれるような野党があった方がいいのではないかな、というのが、私の感想である。

対決だけでなく解決を、という対案路線に消極的な方もおられるようだが、私は、政党を名乗る以上は対案くらいは出せるような力を付けてもらわないと困るな、と思っているところだ。

皆さんのご意見をお聞かせいただければ幸いである。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年6月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。