法王の「不可謬説」の落日

2018年09月03日 11:30

ローマ・カトリック教会には、その最高指導者ローマ法王は信仰や教義に関する決定では間違わないという「法王不可謬説」がある。「法王不可謬説」は1870年、第1バチカン公会議で正式に教義となった。

▲バチカン法王庁の夕景(2011年4月、撮影)

▲バチカン法王庁の夕景(2011年4月、撮影)

ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月~2005年4月)の27年間の在位時に「法王不可謬説」の是非で大きな論争が起きたことがあった。チュービンゲン大学基礎神学教授だったハンス・キュンク教授は1979年、「法王の不可謬説」を否定したためヨハネ・パウロ2世から聖職を剥奪された。同教授は後日、「世界のエトス」を提唱し、宗教界に大きな影響を与えている。

ヨハネ・パウロ2世の後継者、ドイツ人のベネディクト16世は「法王不可謬説」を余り意識しなかったが、「カトリック教会は真理を独占している」というドグマを堅持し、欧米社会の相対主義を厳しく批判した。

そのべネディクト16世(在位2005年4月~13年2月)は2009年、オーストリア教会リンツ教区のワーグナー神父を補佐司教に任命したが、教区内の反対を受け、任命を取り下げた。「法王の任命権の絶対性」を法王自身が否定した例だ。「法王不可謬説」が崩れ出した最初の実例ともいえる。

参考までに、ベネディクト16世は2005年9月、訪問先のドイツのレーゲンスブルク大学の講演で、イスラム教に対し、「モハメットがもたらしたものは邪悪と残酷だけだ」と批判したビザンチン帝国皇帝の言葉を引用したため、世界のイスラム教徒から激しいブーイングを受けた。近代法王の中で神学に最も精通したローマ法王と言われたが、ベネディクト16世は人間の機微、信者への牧会には余り精通していなかった。

南米出身のフランシスコ法王時代に入ると、法王の「不可謬説」は一度として囁かれたことがないし、メディアの話題となったことはない。フランシスコ法王は、世界の信者ばかりか、普通の人々からも愛され、ツイッターのフォロワー数ではトランプ米大統領とトップを競い合っているほどだ。理由はフランシスコ法王が過ちを犯さないローマ法王だからではなく、気さくで陽気、頻繁に失言を発し、時には間違いもするため、信者ばかりか、無神論者までに「われわれの法王」と受け取られているからだ。

キュンク教授が現在、「法王不可謬説は間違っている」と主張したとしても、誰が注目するだろうか。「何を言っているのか。法王も人間だ。人間は誰でも間違いを犯す」と冷笑され、議論とならずに幕を閉じてしまうだけだろう。

すなわち、ヨハネ・パウロ2世からフランシスコ法王の約40年間でカトリック教会の「法王観」は根底から変わっていったわけだ。ペテロの後継者として“聖なる存在”ローマ法王がフランシスコ法王時代には「法王も人間だから、間違いは当然だ」という法王観が支配的となってきた。「聖なる存在」から「普通の人間」に急落したわけだ。

フランシスコ法王の名誉を守るために、少し説明する。フランシスコ法王は2016年4月8日、婚姻と家庭に関する法王文書「愛の喜び」(Amoris laetitia)を発表した。256頁に及ぶ同文書の中で「離婚・再婚者への聖体拝領問題」について、法王は「個々の状況は複雑だ。それらの事情を配慮して決定すべきだ」と述べ、法王は最終決定を下すことを避け、現場の司教に聖体拝領を許すかどうかの判断を委ねた。これは大きな教会改革だ。バチカン主導の教会運営から現場の司教会議を中心とした非中央集権化に移動することを意味するからだ。その結果、法王の権限は縮小され、「法王不可謬説」といったドグマも必然的に消滅してきたわけだ。

世界のカトリック教会は聖職者の未成年者への性的虐待問題で頭を痛めている。「フランシスコ法王は米教会セオドア・マキャリック枢機卿(88)の聖職者や未成年者への性的虐待を知りながら5年間沈黙してきた」というバチカン駐米大使だったカルロ・マリア・ビガーノ大司教の書簡内容が世界のローマ・カトリック教会の屋台骨を揺り動かす一大事となってきた。

フランシスコ法王がマキャリック枢機卿の性犯罪を知り、それを隠蔽してきたとすれば、法王は聖職者の性犯罪の共犯者となり、辞任は避けられなくなるが、「法王不可謬説」とは元々無縁のフランシスコ法王は世界に向かって謝罪を表明すれば、ひょっとしたら、この試練を乗り越えることが出来るかもしれない。

世界の信者たちはフランシスコ法王に少し失望するかもしれないが、彼らはローマ法王に完全な不可謬説を求めていないのだ。フランシスコ法王が辞任し、生前退位した場合、ベネディクト16世と共に、バチカンは2人の生前退位のローマ法王を抱えることになる。世界のカトリック信者たちはこの不名誉な事態だけは避けたいところだ。

興味深い点は、バチカン内で「同性愛」と「小児性愛」を区別し、後者は絶対に許さないが、前者に対しては批判を慎む傾向が見られ出してきたことだ。その背後には、教会内に同性愛の聖職者が余りにも多いことが挙げられる。同性愛者の聖職者を教会から追放したならば、聖職者不足は更に深刻になることは目に見えている。

ちなみに、フランシスコは2014年7月、イタリア日刊紙ラ・レプップリカとのインタビューで、「聖職者の約2%は小児性愛者(ペドフィリア)だ。司教や枢機卿の中にも小児性愛者がいる」と発言し、教会内外で衝撃が広がったことがあった。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年9月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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