欧州で日本の人口減少を考える

篠田 英朗

イギリスのブレグジット交渉が大きなヤマを迎えているという報道が続いている。EC加盟以降40年にわたって積み重なったEUの仕組みを取り外す作業は、並大抵のことではない。

イギリスの様子を見ると、EUの負の側面が広まっているように見えるかもしれない。しかし実際には、経済を見れば、EU加盟諸国は堅調な経済成長を果たしてきている。イギリスも例外ではなかった。

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篠田氏の留学先だったロンドンの夜景(Alessandro Grussu/flickr:編集部)

ここ数年、ヨーロッパにしばらく滞在すると、実感することがある。それは、ヨーロッパは豊かになっている、ということだ。特に昨年から政治分析部門の客員専門家の肩書で出入りしたICC(国際刑事裁判所)があるオランダなどの経済は、好調だ。

私は、イギリスで博士課程の学生をやった。論文提出後の非常勤講師や学術雑誌編集長の仕事をしていた時期も含めると、1990年代に、計5年間をヨーロッパで過ごした。その頃は、バブル崩壊直後とはいえ、日本の経済状態も今とはだいぶ違っていたので、日本の相対的な豊かさと比較して、ヨーロッパを見ることが多かった。周囲の人々も、そのような感覚を持っている人が多かった。

その頃の記憶があるからだろう。隔世の感がある。富裕層の数だけでなく、平均的な人々の生活水準が、明らかに向上しているように見える。

1993年当時、日本の一人当たりGDP(名目)は3万5千ドルの水準にあった。当時のオランダの一人当たりGDPは2万2千ドル程度にすぎなかった(もっとも購買力平価一人当たりGDPは日本も2万2千ドル程度だったのだが)。今やオランダの一人当たりGDPは5万5千ドルの水準になっており、4万ドル前後の日本を大きく引き離している。

日本は依然として世界第3位の経済大国ではあるが、一人当たりGDPでは、30位程度の水準にいるに過ぎない。ほんの四半世紀前までは世界のトップを争っていたのだから、その停滞ぶりには目を覆いたくなるものがある。日本を抜き去ったのは、実は復活を果たしたアメリカや主要なヨーロッパ諸国などである。

一人当たりGDPで世界30位でありながら、GDP総額では世界3位の地位を保っているのは、日本の人口規模がまだ世界10位レベルにあるからだ。GDP世界3位と言っても、今や日本と米国・中国との差は数倍単位の圧倒的なもので、人口が3分の2以下のヨーロッパ諸国との差のほうが小さい。

なぜこうなったのか。ヨーロッパで実感するのは、やはり「規模の経済」ということだ。欧州単一市場の成立によって、ヨーロッパ人は、5億人以上の規模の共通市場を獲得した。「規模の経済」が、各国の特性を活かし、弱点を補い、全体的な底上げを図ったことは確かだろう。

日本は1980年代後半に1億2千万人規模の人口を擁するに至ったが、当時の世界人口はようやく50億人になるところだった。しかし世界人口は、2011年に70億人を突破し、さらに現在も増え続けている。その反面、日本は減少し始めている。日本の国内市場の基盤が、相対的に低下しているのは、不可避的な現象である。

あたかも日本が一人当たりGDP世界一の四半世紀前の水準にあるかのように言いながら、人口減少時代について語る人がいる。もちろん幻想である。「対米従属からの脱却」といったイデオロギー言説をつぶやき、あらためて核武装やら自主防衛体制の整備などを夢想したりするのは、合理性を欠いている。

同時に、憲法9条は世界最先端で、世界各国は日本を模倣すべきだ、といった言説も、「日本は世界有数の先進国だ」、という団塊の世代に典型的に見られる思い込みに依拠したものではなかったか。世界の人々は、画期的な経済成長を果たした日本に魅了され、絶対平和主義としての憲法9条を模倣するだろう、という思い込みは、やはり失われた過去にしがみついた幻想でしかない。

絶対平和主義として憲法学者によって解釈された憲法9条は、冷戦体制の産物でしかなかった。冷静終焉とともに、そのような幻想とあわせて、経済成長も、同時に止まった。偶然ではなかった。それが現実だ。

日本もそろそろ現実を直視したうえで、仕切り直しの国家像を構想する時期に来ている。…..というか、四半世紀くらい前に、来ていたのだが…..。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2018年9月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。