実刑確定者逃亡事件は、検察組織の姿勢の問題 ~「人質司法」の裏返し

2019年06月23日 11:30

神奈川県愛川町で、実刑確定者が、収容しようとした検察庁職員や警察官に抵抗し、刃物を持って逃走した事件をめぐり、検察庁・警察の対応の拙さが批判されているが、刑事裁判の確定、刑の執行の境界線のところで起きた事件であるために、この問題を法律的に正しく理解することは容易ではない。

愛川町で逃走した男は身柄確保(NHKニュースより:編集部)

そのためか、この事件をめぐる報道には、多くの混乱や誤りが生じており、また、「罪証隠滅のおそれ」に関する裁判所の判断の問題に結びつけるかのような論調もあり、ゴーン氏事件で国際的な批判を浴び、注目されている「人質司法」の問題にも影響を与えかねない事態になっている。

今回の事件は「刑の執行」の段階の問題であり、「保釈中の逃亡」事案ではない

保釈は、保釈保証金を支払わせ、もし、出頭を拒否したり、逃亡したりした場合にはその保釈保証金を国が没取することによる心理的強制によって出頭拒否や逃亡を防止しようという制度だ。保釈は、審級ごとに許可される。一審での保釈は一審判決が出されることで、控訴審での保釈は、控訴審判決が出されることで失効する。今回の逃亡した男は、控訴審で有罪判決が確定していたので、既に保釈は失効し、実刑判決の確定によって刑を執行する段階に入っていた。

刑訴法96条3項は「保釈された者が、刑の言渡を受けその判決が確定した後、執行のため呼出を受け正当な理由がなく出頭しないとき、又は逃亡したときは、検察官の請求により、決定で保証金の全部又は一部を没取しなければならない。」と定めており、公判に出頭せず、逃亡した場合だけでなく、今回の事件のように、判決確定後の収容に応じなかった場合にも保釈保証金を没取することとし、それによって刑の執行のための出頭を確保しようとしている。それが前提となって、実刑判決後においても保釈が許可されるのである。

今回の事件は、控訴審で有罪判決が言い渡され、被告人の保釈が失効した後の問題であり、「保釈中」に被告人が逃亡した事案ではない。

検察事務官が「裏方」として対応する刑の執行のための職務

一審で保釈された被告人は、一審で実刑判決の言い渡しによって保釈が失効し、ただちに裁判所で収監されるので、身柄収容の問題は発生しないが、控訴審で実刑判決が言い渡されたり、一審の実刑判決が維持されたりした場合は、保釈が失効し、本来は身柄収容すべきであるのに、身柄が収容されないまま、その後に、刑の執行のための身柄収容が必要となる場合がある。本件もそのような事情から検察庁が身柄収容を行うことになったようだ。

「刑の執行」は検察官の権限である。懲役刑に処するための前提として、身柄を確保して刑務所に収容するのも、検察官として行うべき職務である。今回の実刑確定者の収容も、東京高裁での控訴審で実刑が確定しているので、懲役刑の執行の権限と責任は、基本的に東京高検にある。その東京高検が、刑の執行のための身柄の収容を行う過程で今回の事案が発生したと考えられる。

捜査や公判等の職務とは異なり、罰金の徴収や実刑確定者の収容などの職務は、「検務事務」と言って、実際には検察事務官に委ねられており、検察官はほとんど関与しない。検察庁全体では、陽の当たらない「裏方」のような仕事だ。本件では、実刑判決確定後、所在を調査し、出頭を要請するところまでは東京高検の検察事務官が担当していたはずだが、刑の執行のための身柄の収容は、所在地を管轄する横浜地検小田原支部に嘱託することになる。

もともと、保釈保証金を支払わせて、出頭しなければ保証金を没取することの威嚇で出頭を確保するのであるが、保釈金没取の請求手続を行うのは東京高検であるが、実刑確定者と実際に接触して身柄収容するのは、横浜地検本庁の小田原支部であるから、高検・地検本庁・支部の3つの検察庁が、この執行事務に関わることになるため、報告命令関係は複雑になる。

今回の事件は、「『人質司法』の裏返し」の問題

今回の事件の根本的な原因は、実刑判決後に、保釈を許可したこと自体にあるという意見も多い。しかし、一般的に、実刑になるのが相当と思われる事案でも、一審で公訴事実を全面的に認めている場合には、「裁量保釈」される場合が多いし、その際、検察官が、形式的には「不相当」と意見を述べても、詳細に意見を書いて保釈に強く反対するかと言えば、必ずしもそうではない。一審で保釈されている被告人に実刑判決が出た後の再保釈についても、今回の事件のようなことを想定して、「刑の執行」の支障になるという理由で、強い反対意見を述べることはほとんどない。

検察は、従来から、無罪を訴える被告人の保釈に対しては極めて厳しく、全力を挙げて、「罪証隠滅のおそれ」を理由に反対するが、その一方で、公訴事実を認める被告人の保釈に対しては、実刑前科が多数あっても、実刑判決後の再保釈であっても、比較的寛大な姿勢をとってきた。それは、「有罪判決獲得」重視・「刑の執行」軽視という検察の姿勢によるものだ。

私自身が現職の検察官であった当時のことを思い起こし、自戒を込めて言えば、実刑判決を受けた犯罪者の身柄を確保し「刑の執行」を確実に行うという、検察事務官が担当する職務に対する配慮が欠けていた。無罪を主張する被告人の「罪証隠滅のおそれ」には徹底してこだわる一方で、「刑の執行」確保にはあまり関心がない検察官の姿勢が、実刑判決後の保釈に伴って不可避となる「身柄の収容」の現場での偶発的な実刑確定者の逃亡事案の発生につながったといえる。

今回の事件は、「刑の執行」の確保の職務に関して生じた問題である。直接担当したのは東京高検の検務部門であり、その執行の嘱託を受けたのが横浜地検の検務部門だが、決して彼らだけの責任ではない。実刑判決後に「裁量保釈」が許可されたことも、もちろん原因の1つだが、それは、保釈を許可した裁判所だけの責任ではない。控訴審判決で実刑が確定した場合の身柄の収容という「刑の執行」に関する困難な問題に、組織として十分に向き合って来なかった検察の組織の対応の方に根本的な問題がある。

「有罪判決の獲得」のため無実を訴える被告人の身柄拘束の継続には徹底してこだわる一方で、公訴事実を認める被告人の保釈には、「刑の執行」のことをあまり考えず寛大な姿勢をとる検察の姿勢によるものとも言える。そういう意味で、今回の事件は、「『人質司法』の裏返し」の問題でもあるのである。

最近の裁判所の保釈容認の傾向に不満を述べるのではなく、控訴審の判決時に実刑となった被告人を法廷で確実に収監できるよう制度を改めることなど、検察庁として、「刑の執行の確保」の問題に真剣に向き合うべきであろう。

今回の事件を保釈の可否全体の問題に結び付けるべきではない

上記の通り、今回の事件は、「刑の執行」の確保の職務に関して生じた問題だ。ところが、それを「保釈」全体の問題に結び付け、事件によって高まった社会不安を、ゴーン氏事件を契機に海外からの批判も受けて高まっている「人質司法」批判に水を差すことに向けようとする意図が感じられる記事がある。その典型が、産経新聞の【保釈率倍増、高まる逃走・再犯リスク 裁判所判断に浮かぶ懸念】と題する記事だ。

この記事は、「身柄拘束を解く判断基準緩和の流れ」などという曖昧かつ不正確な表現で、懲役11年の実刑判決を受けた被告人の保釈や、ゴーン氏の保釈を俎上に上げ、保釈中の「逃走」や「再犯」の増加傾向が、保釈容認の裁判所の傾向によるものであるかのように述べている。

しかし、保釈の可否は、保釈保証金を納付させることで逃亡を防止することができるかという判断と、罪証隠滅の恐れがあるかどうかの判断の両面から判断されるのであり、この2つを混同させるような議論はすべきではない。

「懲役11年の実刑判決を受けた被告人が保釈された事案」に言及しているが、この事案は、自宅で妻を殺害したとして殺人罪に問われた講談社の雑誌編集次長が、妻は自殺したとして無罪を主張している特異な事件だ。直接審理を担当し殺人罪の長期実刑を言い渡したのと同じ構成の裁判官が、有罪との結論は出していても、家族内の事件という特殊性と4人の子供がいることから、被告人を「裁量保釈」すべきという異例の判断に至ったもので、保釈の判断として一般化すべき事案ではない。

また、同記事は、「一方で保釈中の逃走は後を絶たない」として、「29年6月には盗撮事件の判決公判で、保釈中の男が仙台地裁の法廷で警察官に切りつけ、逃げようとした事件」、「昨年2月には千葉県館山市で、覚せい剤取締法違反罪に問われ、保釈が取り消された男を函館地検の職員が収監しようとした際に逃走する事件」などを挙げているが、仮に、「逃亡したり、再犯に及んだりするケース」が最近増えている事実があったとしても、従来、「罪証隠滅のおそれ」を理由に、保釈を認めなかった被告人が再犯や逃亡に及んだという話ではない。

「罪証隠滅のおそれ」が厳格に判断される傾向が強まり、裁判所が安易に「罪証隠滅のおそれ」を認める姿勢を改め、「人質司法」が徐々に是正されつつあることを、今回の事件に関連して持ち出すのは、極めて不適切だ。

今回の事件で収容を免れて逃走した男が、周辺の住民のみならず、社会に大きな不安を与えたことで、「裁判所の保釈許可の傾向」に対する警戒感を煽り、裁判所が適切に保釈の可否を判断する姿勢に水を差そうとしているとすれば、極めて不適切な報道と言わざるを得ない。産経新聞は、この記事に基づいて、【実刑確定の男逃走 保釈のあり方急ぎ見直せ】と題する社説を掲載し、「行き過ぎた現行の保釈のあり方が、その目的に適(かな)っているとはいえまい。早急に見直す必要がある」などと述べているが、そのような論調は改めるべきだ。

郷原 信郎 弁護士、元検事
郷原総合コンプライアンス法律事務所

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