ジョン・ノイマイヤーの世界

芸術監督ジョン・ノイマイヤー率いるハンブルク・バレエ団が来日中。前半のプログラム『ジョン・ノイマイヤーの世界 Edition2023』の4公演を終え、後半の全幕バレエ『シルヴィア』が3月10日からスタートする。

ハンブルク・バレエ団の来日は今回が9回目。ノイマイヤーは1973年からバレエ団の監督の地位にあり、2024年に退くことが決まっている。1986年に初来日を果たして以来、日本には多くのファンがいるが、今回の来日がカンパニーを率いての最後の公演となる。

photo: Kiran West

ノイマイヤー自身が「語り部」となって、綺羅星のごとき自作のハイライトを披露する「ジョン・ノイマイヤーの世界」は過去にも上演されてきたが、2023年はコロナ禍で作られた新作『ゴースト・ライト』も含め、最新のエディションになっていた。

3月2日と3月3日の二日に渡ってこの舞台を鑑賞したが、改めて唯一無二の振付家であり、最高のパートナーシップであると認識した。一人のアーティストが50年にわたってカンパニーの監督を務めるというのも異例だと思うが、ダンサーたちとつねに最良の季節を過ごし、そこにはわずかの途切れ目もなかったのだろう。

冒頭の『バーンスタイン・ダンス』から、ダンサーの華やかなパッションが炸裂した。マイクを通して、子供時代を回想するノイマイヤーの声は、とても耳に心地よい。84歳の振付家は青年のように若々しく、彼自身も踊るが、分身役をカンパニーの若いダンサー、クリストファー・エヴァンスが前半出づっぱりで演じた。

一生に一度あるかないかの経験で、3月4日は最前列でこの舞台を目撃した。驚くような景色で、バーンスタインの「キャンディード序曲」に合わせて、ノイマイヤーダンサーは信じられないようなテクニックで音楽を表現する。あまりに楽し気で自然なので見逃しそうになってしまうが、ステップもリフトも容易ではなく、音楽の拍の取り方もユニーク。どんなに細いダンサーでも、一瞬空中に放り投げだされるリフトでは、肉体に衝撃が走る。

photo: Shoko Matsuhashi

ノイマイヤーのルーツにはアクロバティック・ダンスがあり、クラシック・バレエの美しさとモダン・バレエの躍動感に、超絶的な瞬間が組み込まれている。ダンサー全員が凄い技術の持ち主だ。ここから「アイ・ガット・リズム」に乗って、タップのような軽妙な踊りが繰り広げられる『シャル・ウィ・ダンス?』も素晴らしいオーラだった。

カンパニーの常連ゲスト・アーティストである世界的なバレリーナ、アリーナ・コジョカルがマリーを踊った「くるみ割り人形」では、少女そのもののコジョカルの愛らしさと、死をも恐れない大胆なパ・ド・ドゥに驚かされた。

photo: Shoko Matsuhashi

恐らく、最前列で見なければそうと認識しなかったと思うが、ダンサーはギリギリの大胆さを求められ、バレエを綺麗な枠におとなしく収めようなんて考えてもいない。。スピーディで歓喜的な振付で、ひと呼吸でもズレるとケガ人が出てしまいそうな勢い。コジョカルは、肉体が当然襲われるはずのパニックをすべて喜びの表情に変えていて、一秒たりとも怯むことはなかった。

今回の後半の公演で上演される『シルヴィア』のハイライトでは、期待のプリンシパル菅井円加さんがタイトルロールを演じ、きびきびとした物語る甲でお転婆な女神を表現した。驚異的な身体能力の持ち主で、ノイマイヤーは監督最後の時代にこういうミューズに恵まれたのだな…としみじみした。

ノイマイヤーいわく「人間関係の永遠の神秘」をバレエにした『シルヴィア』は、男勝りのシルヴィアが牧童アミンタの求愛を受けて変容していくさまが描かれている。ハイライトでは、ワーグナーの戦乙女のような女性群舞、女神と牧童のコミカルなパ・ド・ドゥが魅力的で、ドリーブの音楽がいつもと全く違ったふうに聴こえる。

ノイマイヤーとハンブルクの最後の来日公演がなぜ多くの観客が見たこともない『シルヴィア』なのか謎に思っていたけれど、ようやく納得した。ここには、振付家が言いたいことがすべて凝縮されているのだ。早く全幕を見たいという好奇心が掻き立てられた。

『ヴェニスに死す』は、全幕を見たいと思って最後まで叶わなかった名作。アッシェンパッハを振付家にしたアイデアにはいつも新鮮な驚きを感じる。原作は小説家だが、ヴィスコンティは映画化にあたってマーラーを模した作曲家にし、ノイマイヤーもバレエに相応しい役柄にした。天才の発想である。

ノイマイヤー作品では死に至る狂おしい男女の愛が描かれることも多く、続けて踊られた『椿姫』と『アンナ・カレーニナ』は、改めてその筆致に圧倒された。『アンナ・カレーニナ』はアンナ・ラヴデールとエドウィン・レヴァツォフのカップルの演技が美しく、それにもまして愛を失ったキティ役のエミリー・マゾンの狂気のマイムが心に残った。心に引っかき傷を残すような苦悩の表現で、ノイマイヤーはこうした過酷な所作もダンサーに演じさせる。

photo: Shoko Matsuhashi

後半の『ニジンスキー』は、過去の来日公演でも上演されたが、兄の狂気に導かれるように自らも狂気の世界へと引きずられていく演技が痛々しい。ニジンスキー(アレイズ・マルティネス)とロモラ(ヤイサ・コル)が、共倒れになりながら荒海の中の筏に浮いているような地獄の表現は、他のバレエでは見たことがない。ダンサーの目が本当に正気を失っているかのように感じられ、彼らは踊り終わった後にどうやって自分を取り戻すのだろうかと想像した。

「ゴースト・ライト」は、三組のペアの踊りが繰り広げられ、男女のペアのほかに、男性同士のペアも登場するが、マティアス・オベルリンがダヴィッド・ロドリゲスを片恋のように追い求めるダンスは、痛々しくも心に熱く訴えてくるものがあった。能のコンセプトと近いものを感じるかも知れない、と記者会見でノイマイヤーは語っていたが、個人的には能というより振付家のオリジナルな統辞法を感じずにはいられなかった。

バレエフェスなどで踊られることの多い「作品100–モーリスのために」は、アレクサンドル・リアブコとエドウィン・レヅァツォフが踊った。モーリス・ベジャールの70歳の誕生日のお祝いにノイマイヤーが振り付けたバレエで、サイモン&ガーファンクルの音楽が使われている。

リアブコは何度もこれを踊っているのを見たが、長身のレヴァツォフが相手役を踊るのは初めて見た。二人とも信頼の厚いノイマイヤー・ダンサーで、新しい組み合わせからは新しい表現が生まれていた。これを見終わった後は、毎回なぜか熱いものがこみ上げてきてしまう。

『マーラー交響曲第3番』は、終楽章の「愛が私に語りかけるもの」が使用され、菅井円加をはじめとする精鋭ダンサーたちが踊ったが、ラストで日没の海を見つめるかのような目でノイマイヤーが見つめる相手役も、菅井さんであった。

ノイマイヤーは音楽をダンスに「翻訳する」天才であり、命と愛の意味をダンサーに語らせることの達人である。ノイマイヤーのダンサーは皆聡明で、振付家の楽器に甘んじることなく、それぞれの思考で踊りの意味をつかみ取る。

ラストのこの演目は音楽の力もあいまって、劇場全体に震えるような波をもたらした。ノイマイヤーは優れた振付家であり、演出家であると同時に、卓越した音楽学者だと思った。オーケストラがステージで奏でる響きにも増して、録音のサウンドが狂おしく聴こえた。振付は音楽の神秘から自然に生まれてきたという印象。ノイマイヤーの創作は、どの時代のものも決して古くならず、永遠の輝きを放つ。ごく若い頃から自分の創作の指針が揺らがなかった人なのだ。

photo: Shoko Matsuhashi

私が観た両日とも会場は喝采とスタンディングの嵐で、日本のバレエの観客が長年このカンパニーを愛し続けてきたことを実感した。

彼らを日本に呼び続け、最後にこのような豪華なプログラムを上演させてくれた招聘元には感謝が止まらない。総勢102名の大所帯の旅費や滞在費、膨大な衣裳や装置の運搬・管理は膨大な経費がかかっているはずだ。飛行機の燃料代もホテルの料金もすべてが高騰している。それでも、ノイマイヤーのハンブルク・バレエと日本の観客の相思相愛の絆は、ほどけることがなかった。

 

最後の公演となる『シルヴィア』は、パリ・オペラ座のエトワールのために1997年に作られた全幕もののバレエ。今回はノイマイヤーと彼の「家族」が、日本の観客のために心を込めて踊ってくれるはずだ。

バレエを通じて「愛」というものをこれほど多彩に、豊かに見せてくれたノイマイヤー。魅力満載のハイライトに触れ、是非ダブルキャストで見てみたいと思った。カンパニーのスター、菅井円加自身が「自分にとっての理想の役」と語るシルヴィアは、恋によってすべてか変わってしまう愛のヒロインで、ガラではそのスリリングな瞬間がユーモラスに演じられていた。ノイマイヤーはドリーブの音楽にのせて、日本に大切な置き土産を残してくれるような気がする。

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【ハンブルク・バレエ団 来日公演】

男勝りな愛の神話──愛する心が芽生えたら 『シルヴィア』

音楽:レオ・ドリーブ
振付・ステージング:ジョン・ノイマイヤー
装置・衣裳:ヤニス・ココス

■ 2023年 310日(金)19:00 (18:00開場)

シルヴィア:菅井円加
アミンタ:アレクサンドル・トルーシュ
ディアナ:アンナ・ラウデール
アムール/ティルシス/オリオン:クリストファー・エヴァンズ
エンディミオン:ヤコポ・ベルーシ

■ 2023年 311日(土)13:30 (12:30開場)

シルヴィア:イダ・プレトリウス
アミンタ:ヤコポ・ベルーシ
ディアナ:パク・ユンス
アムール/ティルシス/オリオン:フェリックス・パケ
エンディミオン:アレッサンドロ・フローラ

■ 2023年 311日(土)18:00 (17:00開場)

シルヴィア:菅井円加
アミンタ:アレクサンドル・トルーシュ
ディアナ:アンナ・ラウデール
アムール/ティルシス/オリオン:クリストファー・エヴァンズ
エンディミオン:ヤコポ・ベルーシ

■ 2023年 312日(日)14:00 (13:00開場)

シルヴィア:菅井円加
アミンタ:アレクサンドル・トルーシュ
ディアナ:アンナ・ラウデール
アムール/ティルシス/オリオン:クリストファー・エヴァンズ
エンディミオン:ヤコポ・ベルーシ

■ 会場:東京文化会館(上野)

上演時間:約2時間15分(休憩1回含む) 予定

指揮:マルクス・レティネン
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

■ NBSチケットセンター(月〜金 10:00~16:00 土日祝・休)

TEL:03-3791-8888

WEBhttps://www.nbs.or.jp/ticket/ticket.html

(※ウェブサイトからの申し込みは上記URLから)