高市早苗大臣は議員辞職などする必要はない!

放送法の解釈に関する文書を巡って、議論が沸騰している。当初、この文書は捏造されたものではないかとの見解があったが、総務省は本文書を「行政文書」であると認めた。

しかし「行政文書」だからといって、全ての内容が正確であるか否かは現時点では不明であり、松本剛明(総務大臣)も「現時点で正確性が確保されているとは言い難い」と3月8日の参院予算委員会で述べている。

そもそも、この「行政文書」は、立憲民主党の小西洋之参院議員が、総務省の職員から入手したとされており、小西氏はツイッターでもその内容を公開している。

この「行政文書」には「厳重取扱注意」と書かれた頁が多く、そのような文書がしっかりとした手続きを経ずに、公にされたことは、日本政府の情報管理の杜撰さを示すものであろう。が、本稿で問題にしたいのは、そこではない。この行政文書の件が、高市早苗大臣が議員辞職するか否かの問題にまで発展していることである。

安倍政権下で総務相だった高市早苗(現・経済安全保障担当相)は、本年3月3日の参院予算委員会でこの行政文書を「悪意を持って捏造されたものだ」と述べた。

高市早苗(現・経済安全保障担当相)NHKより

小西参院議員が「もし捏造でなければ議員辞職するのか」と迫ると「けっこうですよ」と応じ、自身に関する記述が本当ならば、議員辞職する意向を示したのだ。

しかし、私は仮にこの行政文書の内容が全て事実であったとしても、高市大臣がなぜ辞職する必要があるのかが全く分からない。

「行政文書」に書いてある礒崎陽輔(元・内閣総理大臣補佐官)の言動、例えば「私の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ」のような強圧的なことを高市大臣が官僚に言ったならば話は別である。が、そういう訳でもない。

逆に、高市大臣は、「行政文書」に書かれているような礒崎補佐官の動きや考え方に懐疑的であったことが「行政文書」から分かるのである。「行政文書」(平成27年3月6日)には、高市大臣の次のような言葉が見える。

「本当にやるの?」「これから安保法制とかやるのに大丈夫か」「民放と全面戦争になるのではないか」「総理が慎重にと仰るときはやる気がない場合もある」などである。高市氏は、慎重な姿勢だったのだ(行政文書の当該部分が本物であればだが)。

「行政文書」には高市大臣の言葉は殆ど記されず、目立つのは、礒崎氏の言動である。「主役」は高市大臣ではないのだ。それなのに、なぜ高市大臣が辞任する必要があるのか、私には理解できない。