歴史的変化から見た電力会社の発展と、マネジメントで生じた蹉跌

石川 貴善

日本での電力は大正時代から都市部における電鉄会社の開通と、関東大震災以降に「明るくて安全な」電灯によって普及してきました。今回の原発事故に伴い、電力会社が原子力発電所を保有している是非が問われていますが、歴史的な変化から課題を検証します。

1)電力導入から普及の時代
大正初期から都市部で電鉄会社の開通が相次ぎました。電鉄会社が土地を販売したのは有名な話ですが、同時に電力会社を兼営し水力発電所を設けて鉄道と沿線住民への電力販売を行うようになりました。当時は電灯が主体でぜいたく品でしたが、関東大震災以降はガス灯やろうそくが火災の原因になるため、生活必需品となりました。
例):西鉄=東邦電力/京福=京都電燈など

2)「電力戦」の時代
当時の電力は成長産業で自由化のため参入が相次ぎ、昭和7年には国内約850社と乱立し、工場の大口需要はすさまじい値引き合戦が相次ぎました。
特に東京電燈と松永安左エ門率いる名古屋の東邦電力が東京進出を図った「電力戦」は極めて顕著な傾向となり、家庭用電力でも激しい値引きに留まらず、同じ家でも1階と2階で電力会社が異なる・電柱が2本ある事態になり経営的に大きく疲弊しました。

3)戦時経済に伴う国家統制の時代
経営の疲弊や昭和恐慌などの影響で、二重投資や地域重複を無くすためカルテルを結ぶようになりましたが、戦時体制を強化するため発電所を接取し、発電・送電を国家統制にし、配電を今までの電気事業者が行うようになりました。(例外として生産体制確立のため、電気を使う製紙・アルミでは企業がダムと発電所を保有しています。今日でも王子製紙が千歳川で、日本軽金属が富士川で所有しているダムは、国策上指定を免れたものです。)
ところが戦時の物資不足などで生産計画がうまく行かないこと、一貫経営でないため電力供給できない責任を互いになすりつけるなど、必ずしもうまく機能しませんでした。

4)九電力体制と地域独占の時代
戦後著しい電力不足により、GHQから集中排除による再編成計画が求められました。この際に全国を九電力会社に分割・民営化し、地域電力会社が電源開発を行いながら発送配電の地域独占を行っています。その後大量の電力需要に伴い大規模な水力発電計画(只見川・黒部川など)と大幅値上げで安定供給体制を整備し、高度経済成長の土台となりました。またエネルギー革命などによって、水力から火力・火力から原子力に変わっていますが現在に至っています。

地域電力会社が電源開発と発送配電を行うビジネスモデルは、戦後からのものですが、その後のエネルギー転換や社会動向の変化により、下記の3点の誤算が生じたものと認識しています。

・エネルギー転換にも関わらず、水力発電と同じ手法で原子力発電を行う
日本は水量が豊富で河川の勾配が急なため、水力発電から普及しました。
ところが水力発電は(1) 雨量によって発電能力に差が出る。(2)ダムの建設コストとエネルギー換算で効率が悪い。(3)水利権の関係が難しい。(4)電力需要の波への対応が難しい。などから基礎的な需要に対応し、急激に増える需要には火力発電で対応する「水主火従」で対応してきました。
また水力発電は地域差があり、「大消費地があるものの、発電域と遠い」「豊富な水力があっても大消費地が遠い」というジレンマがあるため、松永安左衛門が名づけた「凧揚げ方式」によって距離的ロスがあっても、大規模水力発電所から調達する方策を採り入れました。安全性や地元対策など要因がありますが、水力発電と同じ発想で遠隔地に基礎的需要に対応して、一定の地域に集中して原子力発電所を設ける方法は、リスクが高かったと言わざるを得ません。

・市場リスクの高い資源へのアレルギー
電力事業は公益事業の色合いが強く、料金改定のプロセスは監督官庁など許認可が必要となるため、電力料金を日々変えるわけにはいきません。特に火力発電では戦前では石炭・戦後は石油価格の変動と、市場リスクへの強いアレルギーは否めません。

・直接金融から間接金融へのシフトによるガバナンスの低下
電力事業は巨大資本が必要となる装置産業で固定費率が極めて高く、投資のリターンが長くなります。そのため配当抑制や低コストの資金調達がカギとなります。
戦前はヒト余り・モノや資本が不足している時代のため、資金調達は上場などの直接金融でしたが、福澤諭吉の娘婿である福澤桃介が経営している名古屋の大同電力では、木曽川水系の水力発電のため外債発行によって資金調達を図りました。アメリカの銀行が経営効率に極めてシビアなため、国家管理で経営効率化が望めないことから、事業者自ら電源開発に取り組む企業努力が求められました。
戦後、間接金融によって金融機関から調達するようになると、金融機関にとっては極めて優良な貸出先・また株式も安全資産として保有する状況となるため、ガバナンスが低下する状況となりました。

・政治業種のため、発展と腐敗の歴史
電力事業は政治業種の色合いが強いことから、発展と腐敗の歴史を有しています。戦後の東京電力の前身は東京電燈という会社でしたが、一時は経営トップが政治家を兼任し豊富な資金力を背景に政治活動を行うことから、経営不振の一因になりました。
当時は利用者の評判も芳しくなく、例えば停電修理で袖の下を取る・役所以上に応対が横柄で苦情は聞きっぱなし・当時多かった盗電も担当者が懐に収めるなど、腐敗している実態がありましたが、その後小林一三が再建を行いました。
戦後経済でもインフラ基盤として大きく発展しましたが、今日でも料金改定・国会対策以外にも、学界や広告予算などで政治力を駆使している面が否めません。

「アゴラ」では電力需要に対して料金値上げで対応するといった意見が多いですが、逆に90年代の規制緩和から始まった、工場の余った電力の売却や区域外における電力供給などの電力自由化によって、現時点では地域や配電インフラの制約がありますが、利用者が選択できるようにすることが望ましいと考えます。