開発主義の復古--池尾和人(@kazikeo)

2010年06月25日 10:29

2006年に出版した拙著『開発主義の暴走と保身』(NTT出版)の基本テーマは、「一度導入された政策レジームは、それを必要とする環境条件が失われた後も存続しようとする」というテーゼ(「政策レジーム持続」のパラダイム)を日本の場合に適用して、開発主義の逆機能化とそれからの脱却の必要性を論じることだった。ここでいう開発主義というのは、池田さんの記事における「国家資本主義」とほぼ同義だと考えていただいて差し支えない。


当初の環境の下では存在意義があって、例えば成長促進的な効果をもった政策であっても、それとは異なる環境の下で実施されたならば、逆機能的な効果をもつことになり、むしろ成長抑制的なものに転じてしまいかねない。開発主義(という1つの政策を超えた政策の体系、あるは政策を領導する思想)は、まさにそうしたことの典型例の1つであり、開発途上段階では有効であったとしても、日本経済の成熟化・先進国化とともに、むしろさらなる成長を妨げる桎梏に転じてしまったと考える(詳しくは、前掲拙著を参照されたい)。

しかるに、6月18日に公表された政府の「新成長戦略」(の少なくとも第七の「金融戦略」のところ)をみると、「官民総動員による成長マネーの供給」といった目標が掲げられ、実施すべき事項の1つとして「政府系金融機関・財政投融資の活用によるリスクマネー供給の促進・成長戦略分野への重点的な資金供給・地域金融の活性化」があげられている。この部分は、まさに開発主義金融を実施すべきだといっているものである。

また、実施すべき事項の別の1つとして「経済活性化を担うファンドの有効活用に向けた事業環境整備(郵貯・簡保等の国民金融資産の運用に関する見直しの慫慂を含む。)」とあり、まるでベクトルの違う話が一緒にして書かれている。これらをみると、開発主義が成長戦略という名の下に復古してきていると思わざるを得ない。こうした昔のやり方がいまも有効だという考えは、事実に反しているにもかかわらず払拭されないでいる。

ケインズがかつて『一般理論』の末尾で次のように記したことは、有名である。
「私は、既得権益の力は思想の漸次的な浸透に比べて著しく誇張されていると思う。なぜなら、経済哲学および政治哲学の分野では、二五歳ないし三〇歳以後になって新しい理論の影響を受ける人は多くなく、したがって官僚や政治家やさらには扇動家でさえも、現在の事態に適用する思想はおそらく最新のものではないからである。しかし、遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ危険なものは、既得権益ではなくて思想である。」(塩野谷祐一訳、東洋経済新報社刊)

古い思想に基づく経済運営がこのまま続けられていくことになると、ケインズのいうように思想の方が既得権益よりもさらに危険だということをわれわれは実体験する可能性が高いと危惧する。

[付記]「新成長戦略」そのものに関するコメントとしては、昨日と今日の日本経済新聞「経済教室」における谷口満氏、宮川努氏の主張がともにきわめて適切なものだと考える。金融分野に関しては、「新金融立国」というスタンスを掲げたことは評価する。また、「?金融が実体経済、企業のバックアップ役としてそのサポートを行うこと、?金融自身が成長産業として経済をリードする」という話も正しい。問題は、そのために政府が何をすべきかである。

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