記憶にございません - 原淳二郎(ジャーナリスト)

アゴラ編集部

「あれだよ、あれだってば」
「あれって何よ、あれじゃあ分からないじゃないの」

落語に出てくる大家さんがおかみさんにたしなめられる場面である。この私も大家さんの年齢に近づいたのか、あれ誰だっけ、なんてことが多くなった。


人間の脳には記憶の限界があるのか、滅多やたら大量に記憶できない。その昔、受験で思い知った。鮮明に記憶していたことでも、ある日何の前触れも なく忘れることもある。不都合な記憶は忘れやすいともいう。それに引き換え半導体メモリーや記憶ディスクの記憶容量はどんどん増える一方である。80年代初め、コンピューターの内部メモリーは数キロバイト だった。フロッピーの記憶容量も数百キロだった。それがメガになり、ギガになり、いまやテラの時代である。キロは10の3乗、メガは6乗、ギガは 9乗、テラは12乗である。テラバイトの記憶容量はキロ時代と比べれば10億倍になる。テラバイトのハードディスクは1万か2万円も出せば買え る。技術の進歩はめざましい。2、3年に一度は次世代メモリーが話題になる。最近も記憶の読み出し速度を高速化する次世代メモリーの開発が新聞をにぎわせた。

10年ほど前ある東大教授からこんな話を聞いた。「人間が一生かかって見る映像は、数テラのメモリーがあれば記憶できる」。毎日、頭の上にビデオ カメラを乗せ、自分が目にしたものすべてを映像として記憶しても数テラで記憶できるのだそうだ。となれば、家庭内の機器で人の一生をすべて再生できる。「おーい、あれ何だったっけ」なんてことはなくなるはずだ。その代わり、「あの時あんたはこういったじゃないの」とおかみさんに叱られることが増えること請け合いである。人の一生が記憶できる装置をすべての国民に義務付けるとするなら、冤罪事件など起こりようがない。真犯人の取り調べはその容疑者の人生記憶を取り寄せるだけで済む。警察や検察の取り調べを可視化する必要もない。不都合な過去は消し去るか、改変したくなる人もいるだろう。過去の記録を改竄することを可能にするソフトがよく売れるに違いない。検察の仕事は取り調べより、改竄の有無を調べることが重要になる。フロッピーの改竄をした大阪地検特捜部の検事は時代を先取りした検事だったのかもしれない。都合の悪いことは「記憶にございません」と答弁する政治家はどの政権でもいる。最近もこの答弁を聞いた。少なくとも政治家にはこの生涯記憶装置を 身につけさせれば、こんな都合のいい答弁はなくなる。