復興財源の日銀引き受け 本質は何か

2011年04月01日 07:36

震災後の復興財源をめぐって、ついにというか予想通り日銀の直接引き受けという話が出てきた。

これは中央銀行の独立性を揺るがす問題であり、断固反対という声も、いまこそ日銀を動かせという声もあるが、私はどちらでもいいと考えている。

もっと重要な問題がある。


今、何が必要か。

復興のためのヴィジョンとアイデアと具体的なプランであり、それを支える金融的資源、人的資源、そしてガッツである。

つまり、今議論すべきことは日銀に直接引き受けをさせるべきかどうか、リフレ政策を採るべきかどうかではなく、復興を実現できるかどうかだ。そして、復興実現のためには、ヴィジョンとアイデアとプランを結集する仕組みが必要であり、その仕組みの出来不出来は重要だ。
この仕組みには、ヒトとカネとパワーが必要だ。この三要素を結集する仕組みが必要なのである。パワーとは権限の場合もあるし、人的カリスマによる説得力の場合もあるが、もっと広く組織デザインによるシスティマティックな実質的な意思決定力をここでは指す。
パワーとヒトの議論は改めてすることにして、重要な資源であるカネを動員するメカニズムとして効率的なものが確立すれば、それはその財源が税だろうが国債だろうが構わない。国債が市場経由だろうが日銀直接引き受けだろうが、郵貯でも何でも構わないのだ。問題は調達された資金が効率的に、経済にとって大きくプラスとなるように使われるかどうかにかかっている。
この意味で安心なのは、市場による資金調達である。そのプロジェクト、あるいはその会社が効率的に資金を使うかどうか、債券市場であれば、それは利回りに応じてリスク評価され、価格が付く。最も効率的なところから順番に(その分リターンが高いかリスクが低いから)お金が付いていく。だから、投資家に任せておけば、万事うまくいく、というのが教科書的な(つまり理想だが現実ではない)金融市場だ。
投資家が見る目があるかというのは、一般的には、金融市場において、ミクロ的な選択として機能するかどうかという議論であり、前述のとおりである。投資家の質が低ければ、その投資家は損失を出すが、それは自己責任だから構わないということであるが、マクロ的には、誤った資金配分が実現するので、それではすまない。投資家は平均的に賢い、自己利益のために知恵を振り絞るから平均的に正しい選択をする、多様な情報、見方、知恵を結集するメカニズムとして市場はマクロ的にも効率性をもたらすシステムだということが社会的に必要だ。それが機能したとき、市場経済は持続可能な社会システムとなる。
一方、ここでの我々の議論は、効率的な資源配分メカニズムが日本経済全体の資本についても成り立っているかどうかというところがポイントとなる。
つまり、復興プランについて、いいプロジェクトにはカネがついて、良くないプロジェクトにはカネがつかない、そのようなメカニズムを成り立たせるのが理想である。それはこの場合は市場では難しい。大型のプロジェクトに対するプロジェクトファイナンスを除いては、組織的に資金供給および配分をする必要がある。
供給とは、マクロレベルで全体でいくらまで供給するかということであり、配分はミクロ的にその資金をどこにどれだけ割り振るかということである。このミクロ的な配分の効率性は、この組織のデザインの巧拙によるのであるが、マクロレベルを決定するのに重要なのが、組織デザインとともに、その資金源あるいは投資家である。
ここではミクロ的な判断を市場メカニズムに依存することは出来ず、したがって、ミクロの積み上げとなるマクロ的な効率性も市場システムによりサポートされない。ここではマクロレベルを直接決定する投資家が重要なのである。すなわち、この復興へ資金供給する仕組みあるいは組織に対して、その資金量の妥当性、効率性を判断する投資家が重要だということだ。
その投資家とは誰か。
議会である。
議会が必要な資金規模を決め、そしてその調達手段も決議する。そしてその財源は税がいいか国債がいいか、議会が判断する。その国債の買い手を誰にするか、市場経由で幅広い投資家のオークションにゆだねるか、日銀という特定の資金源を指定するか、それも議会の判断である。
実はこの場合はミクロの判断も議会という投資家にゆだねる可能性がある。どのプロジェクトを採用するか。議会あるいは議会で多数を占めるために次の選挙を勝つためにどのプロジェクトを選ぶか決める。したがって、マクロもミクロも議会にゆだねる仕組みになっているのである。
これは不安だ。我々だけでなく、まともな議員は議員自身が不安になる。自分達に出来るわけがないと。したがって、彼らは仕組みを考えた。マクロ水準は経済効率性だけでなく、社会的価値観から決まってくる。だからこれは議会で直接決めよう。誰から財源たる税を徴収するか、それも公平性から議会で決めるべきだ。一方、ミクロの配分は、議会がチェックしつつ、執行部にゆだねよう。それが政府で、議会が決定した大臣が部下たる官僚達とともに効率的なミクロ配分をしよう。
マクロレベルで借金をするべきときもあるのではないか。この震災もそうだが、危機には一時的な借金も将来のために必要だ。それも議会で決議しよう。しかし、それでは過大になるバイアスがあるから、長期的な財務健全性をチェックするのは金融市場にゆだねよう。国債への投資家がそれを判断し、多すぎると思えば、利回りが上昇し、資金調達できなくなるから、マクロの非効率性に歯止めがかかる。
このときに金融を緩和するということも可能で、金融市場自体をマクロ的にコントールして、その土俵の上で、投資家達に効率的な意思決定をさせよう。
しかし、議会には金融市場や経済のプロフェッショナルはいないし、執行できる力はない。ではそれは中央銀行にゆだねよう。金融政策によって、景気の安定、金融市場の健全性をマネー、貨幣の健全性を担保させよう。これが日銀の役割である。
日銀への直接引き受けの指令をすることは議会として可能である。もともとゆだねたものを取り戻すことは可能だ。しかし、出来ないからゆだねたものを取り戻すと言うことは出来るようになったということだろうか。ゆだねた先が信頼できなくなったから取り戻すのであれば、ゆだねる先を信頼できる組織に改革する、あるいは別の組織を作るべきではないのか。
これに対する反論は、ミクロもマクロも議会で判断できるということか、もしくは新しい仕組みを作るということになる。
私は、新しい仕組みの中で、日銀が資金供給することとなり、その資金供給と配分が効率的に行われるような仕掛けがあり、それが機能するのであれば、いままでの枠組みにこだわる必要はない、と考える。だから、日銀が財源を供給しようがしまいが、それは二次的な議論あるいは仕組みの中での手段の一つとしての議論に過ぎないので重要でない。重要なのは、新しい仕組みが可能かどうかということなのだ。
そしてその新しい仕組みの中では、カネだけでなくヒトもガッツも結集するようなものになっている必要がある。この議論は次回改めてしたい。

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