震災後の復興財源をめぐって、ついにというか予想通り日銀の直接引き受けという話が出てきた。
これは中央銀行の独立性を揺るがす問題であり、断固反対という声も、いまこそ日銀を動かせという声もあるが、私はどちらでもいいと考えている。
もっと重要な問題がある。
今、何が必要か。
復興のためのヴィジョンとアイデアと具体的なプランであり、それを支える金融的資源、人的資源、そしてガッツである。
つまり、今議論すべきことは日銀に直接引き受けをさせるべきかどうか、リフレ政策を採るべきかどうかではなく、復興を実現できるかどうかだ。そして、復興実現のためには、ヴィジョンとアイデアとプランを結集する仕組みが必要であり、その仕組みの出来不出来は重要だ。
この仕組みには、ヒトとカネとパワーが必要だ。この三要素を結集する仕組みが必要なのである。パワーとは権限の場合もあるし、人的カリスマによる説得力の場合もあるが、もっと広く組織デザインによるシスティマティックな実質的な意思決定力をここでは指す。
パワーとヒトの議論は改めてすることにして、重要な資源であるカネを動員するメカニズムとして効率的なものが確立すれば、それはその財源が税だろうが国債だろうが構わない。国債が市場経由だろうが日銀直接引き受けだろうが、郵貯でも何でも構わないのだ。問題は調達された資金が効率的に、経済にとって大きくプラスとなるように使われるかどうかにかかっている。
この意味で安心なのは、市場による資金調達である。そのプロジェクト、あるいはその会社が効率的に資金を使うかどうか、債券市場であれば、それは利回りに応じてリスク評価され、価格が付く。最も効率的なところから順番に(その分リターンが高いかリスクが低いから)お金が付いていく。だから、投資家に任せておけば、万事うまくいく、というのが教科書的な(つまり理想だが現実ではない)金融市場だ。
投資家が見る目があるかというのは、一般的には、金融市場において、ミクロ的な選択として機能するかどうかという議論であり、前述のとおりである。投資家の質が低ければ、その投資家は損失を出すが、それは自己責任だから構わないということであるが、マクロ的には、誤った資金配分が実現するので、それではすまない。投資家は平均的に賢い、自己利益のために知恵を振り絞るから平均的に正しい選択をする、多様な情報、見方、知恵を結集するメカニズムとして市場はマクロ的にも効率性をもたらすシステムだということが社会的に必要だ。それが機能したとき、市場経済は持続可能な社会システムとなる。
一方、ここでの我々の議論は、効率的な資源配分メカニズムが日本経済全体の資本についても成り立っているかどうかというところがポイントとなる。
つまり、復興プランについて、いいプロジェクトにはカネがついて、良くないプロジェクトにはカネがつかない、そのようなメカニズムを成り立たせるのが理想である。それはこの場合は市場では難しい。大型のプロジェクトに対するプロジェクトファイナンスを除いては、組織的に資金供給および配分をする必要がある。
供給とは、マクロレベルで全体でいくらまで供給するかということであり、配分はミクロ的にその資金をどこにどれだけ割り振るかということである。このミクロ的な配分の効率性は、この組織のデザインの巧拙によるのであるが、マクロレベルを決定するのに重要なのが、組織デザインとともに、その資金源あるいは投資家である。
ここではミクロ的な判断を市場メカニズムに依存することは出来ず、したがって、ミクロの積み上げとなるマクロ的な効率性も市場システムによりサポートされない。ここではマクロレベルを直接決定する投資家が重要なのである。すなわち、この復興へ資金供給する仕組みあるいは組織に対して、その資金量の妥当性、効率性を判断する投資家が重要だということだ。
その投資家とは誰か。
議会である。
議会が必要な資金規模を決め、そしてその調達手段も決議する。そしてその財源は税がいいか国債がいいか、議会が判断する。その国債の買い手を誰にするか、市場経由で幅広い投資家のオークションにゆだねるか、日銀という特定の資金源を指定するか、それも議会の判断である。
実はこの場合はミクロの判断も議会という投資家にゆだねる可能性がある。どのプロジェクトを採用するか。議会あるいは議会で多数を占めるために次の選挙を勝つためにどのプロジェクトを選ぶか決める。したがって、マクロもミクロも議会にゆだねる仕組みになっているのである。
これは不安だ。我々だけでなく、まともな議員は議員自身が不安になる。自分達に出来るわけがないと。したがって、彼らは仕組みを考えた。マクロ水準は経済効率性だけでなく、社会的価値観から決まってくる。だからこれは議会で直接決めよう。誰から財源たる税を徴収するか、それも公平性から議会で決めるべきだ。一方、ミクロの配分は、議会がチェックしつつ、執行部にゆだねよう。それが政府で、議会が決定した大臣が部下たる官僚達とともに効率的なミクロ配分をしよう。
マクロレベルで借金をするべきときもあるのではないか。この震災もそうだが、危機には一時的な借金も将来のために必要だ。それも議会で決議しよう。しかし、それでは過大になるバイアスがあるから、長期的な財務健全性をチェックするのは金融市場にゆだねよう。国債への投資家がそれを判断し、多すぎると思えば、利回りが上昇し、資金調達できなくなるから、マクロの非効率性に歯止めがかかる。
このときに金融を緩和するということも可能で、金融市場自体をマクロ的にコントールして、その土俵の上で、投資家達に効率的な意思決定をさせよう。
しかし、議会には金融市場や経済のプロフェッショナルはいないし、執行できる力はない。ではそれは中央銀行にゆだねよう。金融政策によって、景気の安定、金融市場の健全性をマネー、貨幣の健全性を担保させよう。これが日銀の役割である。
日銀への直接引き受けの指令をすることは議会として可能である。もともとゆだねたものを取り戻すことは可能だ。しかし、出来ないからゆだねたものを取り戻すと言うことは出来るようになったということだろうか。ゆだねた先が信頼できなくなったから取り戻すのであれば、ゆだねる先を信頼できる組織に改革する、あるいは別の組織を作るべきではないのか。
これに対する反論は、ミクロもマクロも議会で判断できるということか、もしくは新しい仕組みを作るということになる。
私は、新しい仕組みの中で、日銀が資金供給することとなり、その資金供給と配分が効率的に行われるような仕掛けがあり、それが機能するのであれば、いままでの枠組みにこだわる必要はない、と考える。だから、日銀が財源を供給しようがしまいが、それは二次的な議論あるいは仕組みの中での手段の一つとしての議論に過ぎないので重要でない。重要なのは、新しい仕組みが可能かどうかということなのだ。
そしてその新しい仕組みの中では、カネだけでなくヒトもガッツも結集するようなものになっている必要がある。この議論は次回改めてしたい。
コメント
この文脈に即して言うと、日銀の国債直接引き受けは「ミクロもマクロも議会で判断できるわけがないのに、できると考えている」という意味になってしまうところに本質的な問題があると思います。
先生がおっしゃるような、「新しい仕組み」が可能であれば、日銀の直接引き受けも問題ではなくなる可能性がありますが、そこまでの覚悟と能力が民主党(少なくとも現政府)にあるとは思えません。
うーん、論点にずれがあるような気がします。
確かに復興のプランを作る事は大事だけれど、お金がかかる事はもう間違いない。
だから、増税あるいは国債の発行は避けられない。ただし、それが妥当な金額か、プランがうまくいくかどうかは、増税であれば国会の議論と選挙で、国債の販売であれば市場からの価格と金利という目で判断される。だから国会はそれにきちんとコミットしなくてはいけない。
けれど、日銀の直接引き受けにはそういったcheckが働かないのでは?あるいは、そういうチェックを回避した、自信がない、と言うのが市場の解釈になるのでは。直接引き受け=政治家の責任回避、丸投げ。
本来なら、特別増税、社会保障の一時的な削減、追加で必要最低限の国債発行が筋ではないでしょうか。
もちろん、津波被害地域の今後の安全をどう図るか、というプランを作っての事ですけれども。個人的には無駄な防潮堤をやめて高台に街を作り直すか、あきらめて捨村する方が良いと思います。2度も3度も津波被害に会っているという事は、本質的な対策がとられていないという事ですし。
例えば、今回の津波で被害にあった人が、「また海のそばに住みたい」と言って来たらそれは許される事ですかね?私は国がお金を出す事には反対しますよ。
せめて5分で高台に逃げる工夫をした街にしてくれないと。
どちらにしろ街の再建には時間がかかるのだから、本質であるプランを作る事が優先というのは同意します。
どんな法案も、裁判所が違憲と認めれば審議入りしません。ただし、参議院には、裁判官を罷免できる裁判官弾劾裁判所・裁判官訴追委員会が備わっています。
危険なのは、日銀の国債直接引き受けによるハイパーインフレ懸念です。高橋是清財政にしかり。直接介入は結果としてオーバーフローズンアセッツ、資産超過を招き、金利を押し上げ、ハイパーインフレが予想を遥かに凌ぐ勢いで襲ってくるでしょう。
与謝野大臣は、日銀が新発債を買うのは日銀法自体が想定してないことだと述べ、長期金利の跳ね返りを危惧した発言を閣議後の記者会見で述べてました。(日本経済新聞)
新規発行国債を市場を介さないで買うということになれば、高橋是清財政以来の試みになるでしょう。
復興は個人リスクでもとの危険な場所へ戻る人達と、国のグランドデザインで造る復興地区へ移住する人達を明確に分ける必要がある。前者には一切税金で援助せず、個人の資金で再建してもらう。国の復興地区へ居住する人達には税金で援助をする代わりに、税金による旧居住地の土地の買い上げは一切行わない。
復興計画は被災地の地方自治体ではなく国が立案し予算を執行するようにする。これは消滅する自治体も多数でる可能性もあると同時に、政治力のある自治体に復興予算が偏るのを防ぐ為である。国の立案する復興計画に不満のある自治体があれば地方債を発行して追加工事をやればよい。経済的に合理性があれば買手もつき、金利も低くなるだろう。
復興資金を市場から調達できればそれに越した事はないが・・・という事ですが、ある動画でこんなアイデアがありました。
津波被災地をいくつかのブロックに分け、復興計画のコンペティションを行うと。普通、先進国における都市計画は今ある都市を徐々に変えていくもので、既存の利権が絡まって、なかなか大胆な計画が取れない。しかし、今回の大災害は戦後の焼け野原と全く同じのまさに壊滅状態。自由に未来都市の計画を描ける。そこで世界中から都市設計の専門家を参加させた復興都市計画コンペティションを開き、其処に未来の夢を描き、市場から投資資金を調達する。その呼び水として、政府復興債も投入すれば、より多くの市場マネーを呼ぶ事ができる、とね。
この際、日銀が国債を買い取るとか増税するとか、その財源調達方法はどうでも良い、復興プランが重要だという論旨には賛成です。ですが、市場マネーが触手を動かすようなプランを誰が描くか?そのプランを引き出す手法を検討する良い方法がコンペだと思うのです。
新しい仕組みの提案期待しています。自分は、自然災害が多い日本で、自然の2ノ矢、3ノ矢に耐えられる経済を構築できる案が聞きたいです。個人的は、個人の小額投資を集めた共同組合みたいなもの、または株式会社を作り、水産従事者を雇うことで、一時的に雇用と産業を守るのもありかと。