金融抑圧と金融抑制(*ややテクニカル)

2011年06月06日 23:11

世界的に公的債務が膨大に積み上がっている状況の中で、公的債務を解消する手立ての1つとして「金融抑圧(financial repression)」があり得ると、カーメン・M・ラインハートほかが指摘した(この点については、岩本氏のブログ記事を参照の)ことから、改めて「金融抑圧」の概念に関心が集まっている。金融抑圧とは、簡単にいうと、市場実勢に比べて著しく低い水準に金利を規制する政策のことである。


金融抑圧という用語は、元々はマッキノンやショーといった国際経済学者によって使われ始めたもので、(1980年代に始まる金融自由化以前の)新興国の金融システムのあり方を特徴付けるためのものであった。ところが、ラインハートほかは、「実は金融抑圧は第2次世界大戦後の先進諸国においても標準的なものであって、程度の差はあれ1980年代までそうだった(financial repression was also the norm for advanced economies during the post World War II and in varying degrees up through the 1980s.)」と主張している。

しかし私も、P・クルーグマン同様に、こうした主張(というか用語法)には違和感を覚える。クルーグマンは、自身のブログ記事の中で、次のように記している。

What’s happening here is that Reinhart is using a term originally developed to describe an extremely distortionary policy in developing countries, and applying it to much more defensible policies pursued in advanced countries. It used to be common for third world governments to impose sharply negative real interest rates on savers year after year, driving saving down or pushing saving into unproductive channels.

ここで起こっていることは、ラインハートは発展途上国における極端に歪みを伴う政策を記述するために元々は作り出された用語を使っており、その用語を先進国において追求されてきた、もっとより擁護可能な政策に対して当てはめているということである。第三世界の政府が、長年にわたって貯蓄者に対してきわめて大幅にマイナスの実質金利を課し、結果として貯蓄を減少させる、あるいは非生産的な用途に貯蓄を振り向けさせてきたことは、かつては一般的なことだった。


こうしたやりとりを見ていて思うのは、かのアメリカにおいても、過去の研究は容易に忘れ去られるのだなぁ、ということである。それが、J・E・スティグリッツのような高名な経済学者の研究であったとしてもである。

スティグリッツは、「金融抑制(financial restraint)」という概念を提唱し、それを金融抑圧と混同すべきではないと述べている(参照しやすいものとしては、J・E・スティグリッツ/B・グリーンワルド『新しい金融論-信用と情報の経済学』東京大学出版会、2003年のpp.235-6)。両者は確かに紛らわしいのだけれども、「金融抑圧は実質金利を大きくマイナスにし、経済成長にマイナスの影響を与える。金融抑制のもとでは、金利は、しばしば低いけれども、プラスに保たれる」という違いがある。

実際的な効果としては、金融抑圧が、政府が民間の貯蓄者から収奪することを意図したものであるのに対して、金融抑制は、民間部門の内部にレント(超過利潤)獲得の機会を生じさせるものであり、民間金融機関の誘因構造を変化させることを狙いとしたものである。こうした違いを踏まえて、やはりスティグリッツ流に金融抑圧と金融抑制(しかし、実に紛らわしい!)を区別し、戦後の先進国における金利規制等は、金融抑制と呼ぶのが適切だと考える。

戦後日本のいわゆる「人為的低金利政策」に関しては、とくにそうだという感じがする。日本政府の戦時債務は、戦後直後のハイパーインフレで実質的に解消されていたし、その後もしばらくは、ハイパーインフレの反省から均衡財政を続けていたので、日本政府が金融抑圧政策をとって、公的債務の解消のために民間部門から自らに所得を移転させる必要は(当時は)乏しかった。それゆえ、この頃の低金利政策に関しても金融抑圧と呼ぶのは、ミスリーディングであると思われる。

多少の類似性はあるにしても、基本的にはかなり性格の異なる現象を同一の用語で呼ぶのは混乱の元であり、たとえ紛らわしくとも用語を分けて議論するのが適切である。

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池尾和人@kazikeo

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