日本国債はバブルか(2) 3つの誤解

小幡 績

日本国債はバブルか。

答えはyes and noである。

この答え方は格好いいから、覚えるべき表現かもしれないが、実際には何も言っていない。

しかし、ここでの意味は、小幡の新しいバブルの定義によれば、Yesであり、一般的な古い定義によれば、Noである、という意味だ。

日本国債は、ファンダメンタルズから行くと割高だとずっと言われてきた。つまり、デフォルトリスクはともかく値下がりリスクがあり、1%では割に合わないということだ。

日本国債への投資は、日本関連の投資商品としては、この20年間相対的にリターンがもっとも高かった。

なぜリターンが高かったのか。

実は、日本国債はバブルどころか、割高ではなく、これまではずっと割安だったのである。

そう。国債は割安だったのだ。


さて、私の常識とはかけ離れた結論に行く前に、普通の議論を見ておこう。

リターンが相対的に他に勝った理由の、一般的な第一の解釈は、他が悪すぎたからということだ。株式を始めほとんどの日本の投資商品は1990年以降、値下がりを続けた。その中で、長期金利6%、7%の世界から0%まで、金利が下がり続け、つまり、国債価格は上がり続けた。これが失われた10年だった。その後も長期金利は0.7%までいき、上下に動いたこともあるが、概ね1%前後という高値を維持し続けてきた。

逆に言うと、値下がりを続けるリスクがあったから、みんな国債が1%でも買った。だから、1%という高い水準でもその価格を維持した。

待避の行動である。ケインズの金利が最低で張り付く、という議論はこれだし、ある種の美人投票でもある。

前者の、他の金融商品にはリスクがあったから、というのは、どこかにお金を置かないと行けないから、という理由で、現代ファイナンスというよりは、需給で価格が決まり、資本の供給量は一定量あるとすると、それはどこかに流れる、という意味で、行動ファイナンス的であろう。また、後者の、その結果、資金が流れ込むから、みんなが買うから、値段は上がり、だから、先に買った投資家の行動は正しかったことになり、整合的な自己循環理論で、国債価格が高止まりしていたことが説明できる。これも美人投票だから、行動ファイナンス的だ。

じゃあ、これはバブルかどうか、というと、この流れが変わらなければ、このバブルは崩壊しない。だから、崩壊しなければバブルではない、という古いバブル定義に基づけば、これはバブルではない。一方、崩壊しなくとも、崩壊の可能性があるとみんなが思い続けても、結局みんなが買うのであれば、それは小幡の定義によればバブルである。

しかし、実は違う。

私は、現在の日本国債バブルは、行動ファイナンス的な考え方は当てはまらないと思う。

そもそもバブルではないと考える。

日本国債はこれまでずっと、割高ではなく割安だったのだ。

なぜか。

先ほどの日本国債のリターンがこれまで高かった二つの解釈のうちのもう一つの解釈は、リスクが高かったからだ、というものだ。

リスクとは実は二種類ある。

本当にデフォルトして返ってこないというリスク。

これしか、メディアなどでは念頭に無いようだが、もう一つの現実的なリスクが存在する。それは値下がりリスクだ。

つまり、1%金利ということは、0にはならないから、上限は限られている。ところが、金利3%は普通だから、大きく下落するリスクは確かに存在するように見える。だから、投資できない。リスクが実は高かったのである。

したがって、その結果、国債は割安で、リターンが高くなったのだ。

矛盾しているようだが、これが国債の正しい解釈だ。

そうだとすると、国債はバブルか?という問に対してはノー、という答え、1本になる。みんなが買うから買うのではなく、いつみんなが売るか分からないから、割安なのに買えない、ということだ。

この値下がりリスクが国債の一番のリスクだ。

こうなってくると、前述の国債価格の説明のうち、どれが行動ファイナンス的で、どれが現代ファイナンス的かはわからなくなってくる

いずれもファンダメンタルズから乖離した価格の説明だから、その意味では現代ファイナンスではない気がする。

しかし、2つのリスクに関してだけ言えば、デフォルトリスクは現代ファイナンスで、値下がりリスクは行動ファイナンスだ。これが、両者の本質的な違いを端的に表している。

デフォルトする、というのはファンダメンタルズに基づくリスクだ。市場の影響はあくまで間接的で、暴落して利回りが高まって、新発あるいは借り換え債の発行の時に、利子率が高くなってしまう、ということだが、直接暴落が効くわけではない。

しかし、一般的にはここが誤解されていて、市場メカニズムというと、この発行者に対するプレッシャー、価格評価機能だと思われているが、それは非常にスタティックなものだ。市場の本質とは、他人の評価である価格が自分の評価に影響を与えてしまうところにある。

行動ファイナンス的というのは、価格下落リスクで、利回りもデフォルト確率も変化していないのに、他人の価格が変わるだけで、自分のその商品に対する評価が変わるということだ。

他者との関係が自分を変え、変わった自分が他者を変える。これが本当の市場におけるリスクであり、行動ファイナンスの基本なのだ。

まとめると、現在の日本国債に関しては、3つの誤解がある。
1:リスクは二種類で、価格下落リスクが本当のリスク
2:国債はバブルではなく、割安。割安なのはなぜか、説明する必要がある
3:市場メカニズムとは、発行利回りの低下のことではない。周りの評価が自分の評価に影響を与えてしまう:これが市場のリスク。