大日本帝国の密教と顕教

2012年06月25日 11:29

けさの朝日新聞に「沖縄慰霊の日―戦争の史実にこだわる」という社説が出ている。沖縄県が那覇市の首里城公園内に設けた説明板について「県から委嘱された大学教員らの検討委員会がまとめたが、原案にあった壕内にいた「慰安婦」や、壕周辺であった「日本軍による住民虐殺」の言葉が、県によって削除された」ことが問題だという。


史実にこだわるなら、まず朝日は「慰安婦が女子挺身隊として強制連行された」と記述し、今に至る騒動のきっかけとなった1992年1月11日付の記事を訂正して謝罪すべきだろう。慰安婦が挺身隊(工場労働者)だったなどというのは、左翼の歴史家もいわない荒唐無稽な事実誤認であり、慰安婦という軍属がいなかったことも歴史的に明らかである。

「日本軍による住民虐殺」という事実がなかったことも最高裁が認定している。住民虐殺はもちろん、集団自決を命じた軍命も存在しない。問題は、軍命もないのに数百人の住民が玉砕(当時の用語)したのはなぜかということだ。これについては先週、書評した片山杜秀氏の考察が参考になる。

軍においても、バンザイ突撃や特攻のような玉砕を文書で命じた公式の軍命は見当たらない。これは軍関係の文書が終戦直後に焼却されたことも原因だが、特攻は自発的に行なわれたのだ。そういう「空気」を醸成したのが、『戦陣訓』に代表される日本軍の極端な精神主義だった。

他方、公式の御前会議で昭和天皇がたびたび外交的に解決せよと命じたにもかかわらず、東条内閣は日米開戦を決定した。御前会議が閣議のように全員一致だったら天皇は拒否権を行使できたはずだが、その決定ルールは決まっていなかった。かといってそれは多数決でもなく、「御前会議というのはおかしなものである。天皇には会議の空気を支配する決定権はない」と昭和天皇も『独白録』で嘆いている。

このように命令がなくても現場が玉砕し、命令があっても現場が拒否することが日本軍では珍しくなかった。こうした「下克上」は明治憲法に埋め込まれた仕掛けによるものだ、と片山氏はいう。憲法ではすべての決定権は天皇がもっているため、内閣にも議会にも決定権がなく、軍の統帥権も政府から独立していた。しかし実権を握っていたのは、法律上は存在しない長州閥の元老だった。つまり明治憲法は、密教としての藩閥政治を隠すために天皇という名目的な君主を立てた顕教だったのだ。

実際の政治は密教で動いているのだから、顕教はどうでもよい。なるべく威勢よく戦意を昂揚して玉砕を煽動すればいい。そのお先棒をかついだのが朝日新聞だった。しかし藩閥政治は密教であるがゆえに、元老の力が(山県有朋を最後に)衰えると求心力を失い、顕教が一人歩きするようになる。それは天皇がすべてを決めるようでありながら何も決めることのできない、恐るべき憲法だった。

同じような欠陥は、新憲法にも埋め込まれている。内閣には決定権がなく、国会は多数決が機能しない。これは明治憲法のような「仕様」ではなく、占領下でバタバタとつくられたためにできた「バグ」だが、それを修正することは不可能に近い。そのデバッグを阻んでいるのが、朝日新聞のような「護憲勢力」なのである。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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