活断層問題だけで安全は保たれるのか? --「新安全設計基準」の審議に思う

2013年02月06日 07:30

井上雅則 元会社員(原子力関連企業)

活断層があるから危険とは限らない

地震・津波に関わる新安全設計基準について原子力規制委員会の検討チームで論議が進められ、その骨子が発表された。(編集部注・骨子素案

この分野は耐震設計の広い領域にまたがるため、地質構造や岩盤安定、構造物の地震応答解析などさまざまな専門家が参加しているのは、結構な話だと思う。


ただ報道を見る限り、原子力安全規制委員会の活断層評価の活動を見ていると、ちょっと乱暴な議論になっている。敷地内や敷地に非常に近い所に通っている活断層が話題になっている。筆者は原子力関連設備の製造にかかわった経歴があることから、その知見に基づき指摘をしたい。

活断層か否かの判断やその手法の妥当性は別稿に譲るとして、活断層だというと、即原子力施設の立地そのものを無条件で否定するような意見を述べる専門家がいる。規制委員会での議論もそうだ。しかしち早計であると思う。

活断層ならば過去の活動来歴や将来起こる断層運動、さらにそれに伴う地表変動を予測できて初めて活断層学としての科学的な有意義さが認められるのではないか。しかし、活断層があったとしても、いつ起こるか、動いた場合に地表にどのような影響があるかは、今の研究では完全に予想できない。

そのために原発の製造では耐震性を常に考え、リスクを減らす事を考えてきた。

地震の影響の極小化を考えてきた原子力施設
 
わが国は山間部が多く、鉄道や道路を建設するにあたっては、どうしてもトンネル建設などの高度な土木建設技術に頼らざるを得ない。昨年末に高速道路のトンネルの天井が崩落した事故があり、細かい部分における人の判断は重要なところはある。

しかし基本的な土木技術は十分確立し、岩盤の応力も正確に評価できるようになった。そのおかげで原子力施設の岩盤安定評価も十分に信頼性のある技術となっている。岩盤の一部に弱い層があればそれを取り除いた上で強度の高いコンクリートで置き換える人工岩盤を形成させる技術も確立している。

さらに原子力施設のうち重要な施設の設計・施工にあたっては、一般建築物の3倍(機器・配管はさらに2割増し)の地震力を考慮すると共に、活断層や想定地震からもたらされる地震動を考慮することになっており、極端な想定だが仮に「原子炉建屋を横に倒して吊上げたとしても、建屋そのものはビクともしない強度」を持っていると言えるのだ。

原子炉建屋の底盤となる基礎スラブにいたっては、鉄筋コンクリートの厚さが少なくとも数メートルはあり、補強に使う鉄筋は直径数センチの特大製品でおびただしい数量を投入して建設している。

このような頑丈な施設であったからこそ福島や女川の原子力発電所は、マグニチュード9.0の巨大地震に見舞われても地震動そのもので破壊されることを免れたと言える。要は、福島第一原発では冷却機能を喪失したために生じた水素ガスの爆発によって建屋が破壊されたもので、津波による電源喪失が主な要因と言える。したがって、福島の原発事故と地震動による被害を混同すべきではない。

敷地内の断層、技術で対応は可能

一方で発電所の敷地内には施設どうしを繋ぐ配管を、破砕帯(断層の一種)を横断していることもあるだろう。原電敦賀がこの例にあたるが、この破砕帯が活断層由来のものであったらどうであろうか。
もちろん活断層が将来動いて破砕帯を変位させるかもしれない。だが、一回の地震活動で動く量はたかだか数十センチから数メートルであろう。こういった場合は、可撓式の配管を建設するとか改造するなどして対策を打てばよいのではないか。

さらに第二、第三の配管ルートを確保すれば確実に信頼度は上がるはず。活断層だからダメだという大括りな判断ではなく、その活断層の地震による変位量を評価し、工学的に許容できるものなのか否かを評価する手法を確立する方が先ではないか。活断層と思われるものの科学的な挙動予測なしに、活断層という言葉だけで原子力発電は許容できないというのはどうも科学的な態度とは思えない。

現在行われている議論は、地質学と工学がそれぞれの立場を主張し合っているように感じられる。両者が英知を融合するための議論を行えば、わが国の国情に合った解決策が見出せるはずだと思うがどうだろうか。活断層をひとくくりにして議論し、見つかったら原発を稼動させないとするのはあまりに荒っぽいように思う。

活断層だけのリスクに注目しても意味がない

地球は常に動いているのだから、未来永劫活断層が出来ないと保障できる場所は地球上どこにもないように思う。そう言うと「だからこそ原発はやめるべきだ」と言う人がいる。しかし、それを言ったら、何も地球上ではしてはいけないということと同じではないか。

例えば、新幹線や高速道路は、明らかに活動性の高い活断層を貫いて作られている。多数の死者が出るリスクであるが、それを避けて東京と名古屋の間を結ぶ路線は作れない。極々稀に想定される事象に対して、被害をどこまで許容できるかを考えるのが工学的判断だと思う。

活断層の定義を40万年間動かなかったものに広げるとの方針が出されているが、発電所の供用期間数十年に対し、40万年間動かなかった断層と10万年間動かなかった断層に工学的にどのような意味ある違いがあるかを考えてみるべきだと思う。

新安全基準策定にあたっての提案

東日本大震災というマグニチュード9.0の超巨大地震と、これによって引起された巨大津波と原発事故に、わが国の専門家も含めた大多数は、大きなショックを受け、茫然自失となり思考停止に陥ってしまった感がある。

しかし人間は立ち上がって前に進んでいくべき唯一の生き物だ。欧米はまさに原子力災害も含め、何らかの大事故の後は、事実は事実として受け入れ、前に進んでいるように見える。TMI(スリーマイル島)然り、チェルノブイリ然り、スペースシャトルのチャレンジャー号爆発然り。原因追及や将来への展開の仕方が違うように感じているのは私だけだろうか。

「とにかく活断層を避ければ良い」「危ないところには近づかないほうが良い」的行動パターンでは、豊かな日本を将来にわたって持続させることができない。リスクゼロを目指すのも分からぬではないが、合理的に判断をするべき手法を確立することが大事であるが、その基本が「活断層」評価一辺倒になっているように感じられる。

人びとは生活を豊かにする過程で文明を発展させてきた。文明の発展とともに科学技術も巨大化し、科学技術の巨大化に伴いその潜在リスクも巨大化してきたことは事実だ。リスクの存在を前提としてそのリスクを如何に軽減するかが工学の使命とも言える。現代の豊かな社会は巨大科学技術に支えられているのはまぎれもない事実だ。

リスクの規模、顕在化の可能性、顕在化した時の回避の可能性等を評価せず、「潜在リスクの存在」だけでその技術そのものを否定してしまえば、未来に続く現代社会の維持・発展は到底望めない。

今回発表された新安全設計基準の骨子案は「世界最高水準の安全性」という理念のもとに策定されたという。基準が「世界最高水準の安全性」ということは果たして誇るべきことなのか。この「世界最高水準の安全性」のすぐ先の延長線上に、「何もしないことが唯一の絶対安全への近道だ」と言わんばかりの規制委員会の発想があるように思えてならない。

今、日本の今後の原子力の動向には世界の目が注がれている。一度転んだのだから、また転ぶかも知れない、転ばないためにはむしろ起き上がらない方がいい、というのはこれまでも、これからも科学技術立国を謳うわが国が取るべき道だとは思えない。検討チームは今後の調査・検討においては、海外からの人材にも参画してもらい、より現実的かつ確実で、総合的な判断のもの、合理性のある安全基準にしてもらいたい。

(編集部より)GEPRは活断層問題をめぐる意見を募集している。info@gepr.org まで。

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