憲法(1)どこ製でも、良い物は良く悪いものは悪い!

2013年05月07日 05:00

法律を学んだ事の無い私が「憲法」に興味を持ったのは、「憲法」と一緒に暮らしていると錯覚するほど生活に密着した「米国憲法」と、生活とは殆ど縁のない「日本の憲法」との違いに気がついた時でした。

同じ「立憲国家」に暮らしながら、日米両国民の憲法意識がこれだけ違う理由には、両国の憲法の質の差もありますが、憲法と国民の権利・義務の関係をしょっちゅう論議し、日常生活に憲法を活かそうとする米国民の態度が大きく影響していると思います。

私は憲法改正論者で、日本の自衛権は勿論、集団的自衛権も肯定する意見の持ち主ですが、一部の人が主張する様に、現行憲法が「米国製」だから改正すべしと言う、国粋主義的な改憲論にはとても賛成出来ません。

そもそも日本は、外国の諸制度や法律、文化、商品などを自由に取り入れ、それに日本人独特の改良を加えて多くの創造をして来た国です。その伝統からも、「何処の国が作ろうと、良い物は良く、悪い物は悪い」と考えるのが自然な流れで、「憲法」は例外だと言うのは理屈に合いません。

私が「憲法改正」を主張する理由は、内容と運用がお粗末過ぎて、「憲法」として機能していないからです。

現行憲法には、子々孫々に継承すべき「建国の意図」も「普遍的な理念」も有りません。日本国民が国家的危機に際して戻るべき「原点」も、従うべき「理念」も持てない事は誠に不幸です。

飛田茂雄教授は「現行の成文憲法としては世界でもっとも古い歴史を持ちながら、1788年に施行されてから休みなく国政の歪みを正し、国民の基本権を守り続けている点では世界でも稀な若さを保っている」とアメリカ合衆国憲法を評していますが、その若さの秘訣が憲法に盛り込まれた「建国の意図と理念」です。

憲法にこの要件がなければ、普通の法律と変わりません。

建国の父に価する指導者もなく、国の理念も無しに憲法が制定された不幸な歴史を持つ我が国ですが、憲法論議が活発になった今こそ、国家のあり方について国民的な論議を起こす絶好の機会だと思うのですが、現状は反対の方向に進んでいます。

それが「憲法第九十六条」の改正論です。

この点について、筋金入りの憲法改正論者である小林憲慶応大学教授は「憲法は権力者たちを縛るものです。変えるには、法律よりも厳格な手続きが必要だからこそ、憲法なんです。その時々の政治の多数派によってクルクル変えさせてはいけない。一般の法律以上に改正ハードルが高いのは当たり前なのです。」と語って居られますが、全くその通りだと思います。

現に日本同様の硬性憲法を持ち、日本より改憲のハードルが高い米国やドイツでは、改憲のハードルを下げずに、戦後だけでも米国は6回、ドイツは50回以上も改正(修正)をしています。

これは、憲法を政争の具にしない成熟した国民の、冷静な論議があってこそ可能だったのです。

いくら「九条」が重要であっても「護憲派」と「改憲派」に分かれた憲法論争は、余りに短絡しています。

「熱し易く冷め易い」国民性を持つ日本では、国家百年の計の原点となる憲法を、一時の興奮に流されたり、政争の具にする事は何としても避けなければなりません。

現行憲法が「機能」しないもう一つの理由に、「法律」への丸投げと「丸投げ先」の裁判官のレベルの低さによる判断間違いがあります。

字数では余り変わらない日本語訳で、日米憲法を比較しますと、米国の憲法には一回しか登場しない「法律の定めるところにより」とかそれに類した言葉が、日本国憲法ではなんと三十箇所も出て来る事です。

米国では、憲法に規定された「建国の意図」や「理念」から逸脱した法律は、全て無効であると言う確立したルールがありますが、日本の憲法にはその様な定理もなく、「法律でこれを定める」と言う一言で、「法律」にその責任を転嫁しています。

公権力の行き過ぎを制限する筈の憲法が、「行政の道具」である「法律」に、自分の責任を丸投げする様では「立憲国家」の憲法として機能する筈がありません。

本来なら、憲法は体系的に論ずるべきだと思うのですが、残念ながら法律の素養に欠ける私にはそれが出来ません。

そこで、思いつく侭に:
「一審敗訴の検事側控訴を認めない、米国の公正の原則」
 「刑務所ではなく、最高裁に入った元社会保険庁長官」」
「米国の独立行政委員会と日本の三条委員会は,月とすっぽん」
「似て非なる、米国の陪審制度と日本の裁判員制度」
「米国では「憲法」、日本では「週刊誌」が扱う堕胎問題」
「200年以上も前に『一票の格差』防止を盛り込んだ米国憲法」
「教育:国の干与を禁止する米国と、文科省が独占する日本」
「押し付けられたと言うけれど、もっと酷かった松本私案」
などの身近な例を取り上げ、日米の憲法や国民の違いを書いて行きたいと思います。

この「街角憲法論」は、私が日常の会話や専門家の論議などで得た耳学問に、素人向けの書物などで学んだ限られた知識を混ぜ合わせた「独断と偏見」そのものですが、これをお読み頂き日本の「悪の根源の一つ」に我々国民がある事が伝われば望外の幸せです。

2013年5月7日
北村 隆司

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